5.02 「愛」・〈心〉世界

MaHa まず、これまでの議論を等式を用いて簡潔に表現すると、
 お金に拠らぬ世界=第四次産業革命+愛・〈心〉媒体
と表せます。
 つまり、物の世界の側ではAI搭載の完全自動生産が整い第四次産業革命が起こって、人々はいわゆる「食ってゆく」苦悩からは解放され、その上に、非物的な世界である愛あるいは〈心〉の充足が加わって、それが、これまでお金に拠らぬ世界と呼んできている、今後に実現されてゆくだろう世界であるわけです。

相棒 そこでなんですが、その等式関係の意味を別の角度から探るために、それ右辺の愛・〈心〉媒体を左辺に移動させて、以下のように書き換えてみます。
 お金に拠らぬ世界愛・〈心〉媒体第四次産業革命 
 これで、第四次産業というAI主導の革命が、愛・〈心〉媒体を欠いた〈片手落ち〉な現象であることが可視化されるのですが、ともあれ、いまやまさに極めて有力な道具であることが浸透して行っているAIについて、それがそうであればあるほど、この〈片手落ち〉についての認識、いわば愛・〈心〉革命も合わせて必要であることです。

MaHa なるほど、この変形式は、象徴的だね。

相棒 そうなんです。いまやあまりに華々しくAIがデビューし、この〈片手落ち〉関係がはるか彼方に霞んでしまっています。

MaHa そこで、前回の最後に指摘された、
愛を媒介とする社会は、どんな「原理」で動くと思うか? 例えば、

  • 「必要に応じて与える」
  • 「互恵性」
  • 「無条件の贈与」

という原理での問いだが、これについてはどうなんだろう?

相棒 前回でも言いましたが、人間はその原理をひとことで言い表す言葉をまだ持っていません。したがって、せめて言えることは、MaHaの挙げるそのような三つの原理にしても、それらすべてが統合されたものが、「原理」というか「条件」というか、そうした手掛かりとなる。言い換えれば、手法的には、AIがもたらす網羅された情報について、そこに表されていることに、何らかの違和感を見出す、その「感性」といったものが重要となる。その意味では、いまこうして我々が行っている議論も、そういう「感性」が決定的に働いている。MaHaの挙げたこの三原理も、それもどうやら、モノを遣り取りするような、〈片手落ち〉な発想においての原理じゃないか。

MaHa つまりは、AIリテラシーを身に付けたとしても、それは両手のうちの、片方だけということか。

相棒 ことに、「第四次産業革命」の達成によって物的必要が到達された段階においては、その広い意味で情報として働く非物的世界の遣り取りは、それはもう、微妙かつ高度な意味の違いの交換の世界で、そんな貧弱な三原則で扱われる次元のものじゃないと思う。

MaHa ということは、「必要に応じて与える」とか「互恵性」とか「無条件の贈与」とかは、物的次元でしか扱われていないというのかな。

相棒 これまでの世界では、そうした三つの原理が問題とされたのは、そこに不足があって、何らかの選択と切り捨て、言い換えれば差別をもって、資源の分配がされていた。 だからそこに競争とか、格差が生じ、いわゆる「生きる世知辛さ」が避けられなかった。だけど「愛・〈心〉」の世界は、言うなればそれぞれがみな違う意味をもった多様性の世界で、そこではその三原則の言うような、遣り取りの問題ではない。たとえば、過去に「囚人のジレンマ」という一見の命題が広く議論されたことがありますが、それも、人間関係や社会関係を、そうしたモノの遣り取り関係に置き換えた、損得関係を尺度とした議論。今、僕たちは、そうした損得の次元をもう終えた世界での話をしている。

MaHa そこでは、多い少ないではなく、もろもろの多様性であって、もはや損得の問題ではないということなんだね。

相棒 それはもう、人間の多様性の世界のなかで、多種多様な必要が情報とし無数に飛び交っている。それを、個人がAIリテラシーをフルに活用して、その中から自分向きのものを発見してゆく。つまり、そういう交流とどれをも獲得できる自由が存在していなければならない。だから、あえて「原則」と言えば、限りなく自由な交流と選択ということとなる。

MaHa その「限りなく自由」ということだが、たとえAIがどれほど発達しても、厳密に言って、それが処理する情報は、無限つまり完全ではない。神に限りなく接近するだろうが、神ではない。

相棒 そこの、「神的だが神でない」AI的有限と、この宇宙を含む無限の世界との間にこそ人間が存在し、だからこそ、人間にとっての「愛あるいは〈心〉」の問題となる。つまり、それはまだ言葉つまり情報化できていないからこそ「愛あるいは〈心〉」の問題であり、だからその現実次元での判断という面では、個々の人間の「愛あるいは〈心〉」に任されることとなる。

MaHa そこまで個々人がオープンに自由になれるには、その現実次元での「第四次産業革命」による物的必要の充足は不可欠。いうなれば、明日の「衣食足りて礼節を知る」だ。

相棒 だから、お金に拠らぬ世界=第四次産業革命+愛・〈心〉媒体との数式となる。 

MaHa 逆に言えば、右辺の第四次産業革命+愛・〈心〉媒体が発達途上であればあるほど、左辺のお金に拠らぬ世界が限られる、つまり、依然、貨幣制度が併用されるということとなる。

相棒 「愛・〈心〉」情報は具体的かつ個別的で、それぞれの個人的体験に基づきます。つまり、個々の「人体実験」の結果というひとつのエビデンスです。もちろんそれらはその一例のみで、それを一般化はできませんが、これの同類、あるいはその共鳴が広がれば、それは一般論に近づいたものとなります。僕はそれを社会的実験のプロセスと見、そういう科学的方法であると考えています。

MaHa そうそう。

相棒 MaHa、そこでなんですが、いま、すごいアイデアが登場してきています。『両生歩き』の新記事(12月22日公開)の中で、ある新タームが述べられています。これって、どうやら、上で言った「人間はその原理をひとことで言い表す言葉をまだ持っていない」の、その「ひとこと」のようなんです。

MaHa そうか、よし、次回でそれを議論してみよう。

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