「両生学/論」から「フィラース Philearth」へ

人生の《意味》を紡ぐ系譜


「人生は旅路」とは、あまりに言い古されたフレーズですが、それは人生の妙味をうまく言い表しています。つまり、人生あるいは一人間の生命活動には、《移動》という行為とそれのもたらす環境の変化が、決定的に重要な働きを及ぼします。そもそも、人の成長自体が、この行為を伴わないではなされません。

この新サイトの設置までの経緯も、まさしく、その《移動》に啓発されたものです。旧サイトは、下の写真のように、「両生歩き」とタイトルされ、「両生」つまり、移動に伴う違った地での自分の生き方を、水陸両世界に棲息する両生類をヒントに、「両生」と呼んだものです。

旧サイト「両性歩き」

そうした《移動》には、子供時代の小冒険、家族の引っ越しに伴う移動、学業をなすための都会への移動、専門上の新開拓を求めての海外留学、そして異国での居住などなど、まさしく、ひと時として休むことのない移動の連続でした。

こうしたさまざまな移動によって得た体験的知識、それを私は《両生学》とか《両生論》とかと呼んで、外見は学問体系であるかの形式として組み立ててきました。

ただし、それは便宜上、学術体系を見習っただけもので、学問自体を目指したわけでも、そこに価値を置いたわけでもはありません。

重要なのは、それが《移動》という人間活動と密接な関係をなす産物であると同時に移動への道しるべであることです。

そこで、その「産物」については、その物的現れが人生自体とするなら、その学的現れが非物的=情報的産物であることです。またその「道しるべ」については、みずからの人生開発のための道具となるもので、学位とか学歴などには縁のない、それこそ実用本位の知識体系でした。

この「産物」であり「道しるべ」であるものを、何らかの形あるものとして残すことは、したがって、私の生のあかしでもあります。

世の中、他の人たちはそうした「あかし」を、地位とか、財産とか、権力とか、あるいは血族とか、さまざまな有形なものをもって残します。

私の場合、そのいずれでもなく、こうしたサイト上の産物、つまり情報としてです。

世界の在り方に、物的側面と情報的――敢えて言いますが――《意味》的側面があるとするなら、私にとっての在り方の「意味を紡ぎ出す」側面がこの情報産物です。

ところで、今や世界は、コロナパンデミックによって、人々の物理的移動を意図的に断たねばならないという、実に特異な状態に遭遇しています。ここでは詳しく触れませんが、ウイルスという情報体がそれをもたらし、その打開として、人間社会が様々な「リモート」な、つまり「情報依存」の方策が求められているのは、なにやら因縁ある現象であるかに思われます。すなわち、コロナウイルスという自然の摂理は人類に、物理的移動への過大依存からの脱皮を教えているのかも知れません。

旧サイトについて

上の写真のように、旧サイト「両生歩き」の副題は、「人生二周目、ポスト還暦」とありますように、還暦に至るまでの道程と、その後の思考をつづっています。

旧サイトは、二つの「もくじ」が提示されています。それらは、2013年のサイトデザインの変更を境に、以前のものは「旧サイト」として、「一括したもの」と「テーマ別にしたもの」の二種のもくじが用意されています。2013年以後のものは「総合もくじ」として、サイトの三本柱「リタイアメント オーストラリア」「両生空間」「私共和国」に分けられています。なお、「両生図書館」は、そうしたコンテンツの中から、書籍に相当するものを個々取り上げて、図書館風に展示したものです。また「Amphibious Space」とは、コンテンツの一部を英訳したものですが、後に機械翻訳サービスが発達したため停止されています。

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