《時空地球》とは

この『フィラース Philearth』内に、新たなページ《時空地球》を設置しました。それは、誰のものでもなく、国境もない、まして異常気候にも見舞われていない、私たち皆の《地球-観》です。

《時空地球》という旅先

というのは、私の「四分の三プロジェクト」に一定の前進があり、それが「時空トラベル」という考えに現れてきたがゆえです。

すなわち、旅は旅でも、非物理的な「時空」を行き交うトラベルです。そういうメタな移動こそ、今後の「四分の一」にふさわしい場と考えるものです。いうなれば、人生をおくるなかで、そこまで磨き上げてきた旅ということです。

ただ、その「時空トラベル」を、一人称で、モノローグ式に描くのは、すでに兄弟サイト『両生歩き』で、ことにその中の「私共和国」において扱ってきています。

それをここでは、三人称としての設定を置きます。つまり、それを一人旅として行うのではなく、旅の仲間を持とうというわけです。というのは、誰も自分の人生の旅を磨き上げようとしていることには変わりないでしょう。そういう「時空トラベル」のいわば実行舞台を《時空地球》と呼び、本サイトの内に置いたものです。

この《時空地球》を、そういう「時空トラベル」の実行者たちの体験を交換し、語り合う場とします。いうなれば、「時空トラベラー」たちが縦横に行き交うメタ空間が、この《時空地球》です。

時空トラベル=現実空間×時間

加えて、この「時空トラベル」は、数式で表せば、〈現実空間×時間〉となります。

したがって、私のように年齢を加えた、人生上の長い時間的経験がすでにある者には、この「時間」が十分長く、そこで思い出されるその過去の時間的空間を念頭に、その〈現実空間×時間〉といったイメージを描くことは、さほど難しいことではないでしょう。

ところが、まだ、人生体験の短い若い世代にとって、〈現実空間×時間〉をイメージしようとしても、その「時間」の大半がこれからのもので、むろん未知です。要するに、「時空トラベル」を考えようとしても、今後迎えてゆく、人生一般の「旅路」といったイメージとそれほどには違わないものでしょう。

ただ、若い世代にとっては、このページ《時空地球》を訪れ、経験者たちの体験談を伺い知ることによって、それを自分の今後の体験への「他山の石」とすることは可能です。

ことに、そういう先達たちの過去の実例は、とかく失敗や無駄に満ち溢れています。言わば、そういう先例を疑似体験することで、必ずしもする必要のない遠回りを避けることができます。

そして、とにもかくにも理想的には、老若両者による、それぞれの体験談が交換されることで、単に無駄を避けるということではなく、既知と未知の交流や刺激の交換による新たな視野の形成がおこるだろうことです。

つまり、この《時空地球》でさまざまに実践される「時空トラベル」は、この地球上ではもっとも自由なトラベルであり、創造的な旅であることです。少なくとも、その可能性が内在されていることです。

さあ、誰にも、無限に開かれたこ《時空地球》上で、旅の醍醐味を追究してみませんか。

「時空トラベル」への参加の仕方

次回からさっそく始まるように、この《時空地球》の当面のコンテンツは、運営人である私がとりあえずの進行役となって、具体的な交流のレポートを掲載してゆきます。

それは一見、師と弟子といったような問答との形となりますが、それは外見上のみで、そうしたやり取りの内にできあがる共有空間こそが「時空」で、その体験をすること自体が「時空トラベル」であり、両者の共有財産となります。

また、これまでに運営人との接触のない読者は、本サイト末の「コメント欄」を利用して、そのメッセージを送ってください。

あるいは、運営人はたとえば9年前より、「共闘」という1960/70年代当時の生硬な用語を引っ張り出し、「老若共闘」との取り組みを提案してきています。というのも、本来なら、たとえ先輩と後輩であろうとも、共通する要素すらあるにも拘わらず、とかく世代間ギャップに分断されて反目しがちな「老若」間に、なんらかの交流がなされることの意義を信じるからです。

さらには、高齢になった先輩たちにも、むろん若い時代はあったはずで、それが時間を経ればへるほど、単に追憶の隅に押しやられ、本来なら、当時の自分も、今日の若い世代も、せんじ詰めれば同種の問題に悩んでいた、そういう共感や共鳴の要素は広くあるはずです。

「共闘」といった堅苦しいアプローチを取るかどうかはともかくとしても、老若の両世代が相集って、それぞれの見解や知恵を出し合う場を、この《時空地球》としたいものです。

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