「メタ彫刻」という「自分彫刻」

ご案内のように、私には、手掛けてきている二つのサイトがあります。この『フィラース』と、兄弟サイトの『両生歩き』です。後者の前身が創刊されたのは2005年ですから、もう、20年近い年月を経てきています。

私は、この2サイトについては、これこそが、ここでいう「自分彫刻」作品ではないか、と考えています。

「瞬間最大風速」の集大成

つまり、ミケランジェロが刻んだような彫像としての彫刻物ではなく、文章という言語に託された情報としての彫刻です。つまりそれは「メタ彫刻」と呼んでよいものでしょう。

先にも述べたように、これら2サイトの持つ情報量は、合わせて15ギガバイトほどとなり、A4サイズ1ページを500キロバイトとすると、約3万ページにもなり、本にすれば百冊をはるかに越える量です。

私の「メタ彫刻」とは、そうした全てがなすもので、私自身が作り出した作品でありながら、それはその総体で、私を越えています。

この「越えている」というのは、気象用語に「平均最大風速」というものと「瞬間最大風速」というものがあります。たとえば、一つの台風について、その最も風速の強い一定時間の上下する風速を均したものが「平均最大風速」で、一瞬に吹いたもっとも強い風速が「瞬間最大風速」です。

この二語を引き合いにして言えば、この2サイトに書かれているコンテンツは、いわばその各々がその時の「瞬間最大風速」に当たる私自身のマキシマムの表現です。そして普通、それを書き終えた段階では、私はもう疲労困憊し、腑抜けの殻同然となっています。つまり、日常の自分が表しえているものは、せいぜい「平均風速」程度のものです。とてもとても、「瞬間最大風速」を常時に維持してゆけるものではありません。

上記の「メタ彫刻」が私を越えているとの意味は、このようにして表されている一つひとつの作品がこの「瞬間最大風速」相当のものであって、それらの集大成がこの「メタ彫刻」であるということです。

そして心情を吐露すれば、この二十年を要して、なんとか、自分のこの「メタ彫刻」を表し、残してこれたことは、むろんまだ完了はしていませんが、実に幸せなことだったと思っています。

永遠保存可能なデジタル記記録

「メタ彫刻」というこの特異な彫刻は、デジタル信号化されたもので、その信号記録自体が抹消されれば、一瞬にしてでも消えてしまう性格のもの――他方、そのコピーはいくらでも可能――です。その一方、距離や時刻に関係なく、どこからも、いつでもアプローチ可能です。また、近年、めざましく進歩してきている翻訳技術を使えば、言語の壁も、技術的には無きも同然です。

それに、このデジタル記録が残されている限り、「メタ彫刻」は永遠に残り続けます。

私は、こうして、自分が生み出した作品であるこの「メタ彫刻」を、いまや、他者の作品をそうするように、鑑賞しています。そして、そういう「メタ化された自分」と出会い、対話しています。

加えて、生の自分がこうして「メタ化された」時、それは自分の生きた身体を離れ、別の自分となってそこに別の存在を初めているとも考えられます。

こうした「メタ化された自分」とは何なのか、それは量子理論でいう「量子もつれ」にも通じるものではないのか。こうしたさらなる観点については、また機会を改めて考えてみたいと思います。

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