二つの「縁」をめぐって

7月4日、オンラインの「老若コラボ」を行いました。

今回は、あらかじめ私が直前にアップした「理論人間生命学」の第4部第2章をレジメに使って、二つの「縁」つまり、「血縁」と「氣縁」をめぐっての交流となりました。

今回はことに、宿題として出されていた私の12年前の小説「メタ・ファミリー+クロス交換/偶然」を使って、これまでのどちらかと言えば理念的な意見の交換から話題を転じて、自分についての現実的状況を焦点にするとのお膳立てで行なわれました。

ところで、私がこの宿題をあえて出したのは、人生において、そこで頭で考える理念的分野――ことに男の場合(私の場合はことさら)、これが強く現れる――はさることながら、日々に接する日常的現実がその行方を左右する決定的要素となることが強く、それに目を向けて置くねらいからです。

ことにその小説のテーマである、人生に子供を持つことの有無をめぐって、子ありという「血縁」要素、そして、小なし人生を選ぶという「氣縁」要素に関し、それぞれの意見が交わされました。

Rさんは、この「血縁」か「氣縁」をめぐる決断については、自分がこれまで、ほとんど「氣縁」中心の判断や生活をしてきたので、それがひと段落ついたこれからは、これまでしてこなかった「血縁」に重きをおいた道を選びたいとの話でした。むろんそこには、子供を持つということも射程に入っているようです。

つまりRさんは、女性として、やはり子供を産める性として「血縁」は大事にしたいし、自分が看護師のの道をえらんだのも、やはり、人間に避けられぬ、そうした身体上の苦痛や問題への関心があったからとの話です。

それを聞いての私の内心の反応なのですが、私はここのところ、近年のノイジーな世情に接し、男女の違いというのは、今日ではいわゆる差別論議の中でも筆頭事項で、むしろ、事は何であれそれを理由にするのはちょっと微妙なことかと考えてきたのでした。ところが、女性自身であるRさんが、すすんでそれをそのように前面に出して語ったのは、そういう脈絡ではちょっと驚きかつ新鮮でした。つまり、男女の違いについて、自然な部分と人為的な部分との見極めの大事さです。

一方、男性で、しかも理念的発想の得意なK君は、「血縁」よりはやはり「氣縁」をめぐる談義に関心が強いようで、私の体験的男女関係ストーリーには、たとえ小説としても、ただお聞きしておきます、かの様子でした。

そしてむしろ、自分の構想する取り組みの中心である、日本で実施されているいわゆる「地域包括ケアシステム」について、その制度的改革への意気込みを語ってくれました。

たとえば、どうも日本の場合、看護の世界は、自分の献身の度合いといった属人的要素に焦点が当てられがちで、制度自体の問題とか、問題の原因分析といった社会的要素への取り組みが不足しており、日本の関係者と話しをしても、どうも根本的なズレがあるとのけっこうネガティブな受け止めでした。

また、日本の制度の改革との話においても、海外での事例や体験を話に出しても、大概、事情が違うとして噛み合う接点ができず、それどころか、日本で働けないから海外に逃げ出したのだろうなどとの言い方すらされるといった、日本の閉鎖性への壁を強く感じているようでした。

  • そうした脈絡で出た、日本人って頭がいい、との話は、私も同感するところがあり、たしかに、日本人による日本人理解のほどは、たとえば、オージーのオーストラリア理解のほどとは段違いのものがありそうです。つまり、そういう深堀りの効いている日本は、確かに、なまじっかな批判にも“打たれ強い”ところがあります。したがって、その深さが逆に壁の高さにもなっていて、日本をめぐる長短入り混じった特色となっています。ただ、そうした自国理解の深さとその閉鎖性は別ものだろうし、その深さと開放性は、必ずしも互いに矛盾するものではないはずです。僕がブログをしつこく書いている理由のひとつも、この深さと開放性の両立を願いたいからです。

ところで、私にしてみると、テーマが看護といった専門分野に入ってゆくと、どうしても門外漢にならざるを得ず、しかも、個人として現実的にもっぱら接しているのは、オーストラリアにおける現状です。

そんな具合で、医療問題に関して強いて言えるのは、自分の健康追究としての体験談くらいです。ただそれでも、一般情況、ことに日本の状況を意識した見地では、私の体験は、ちょっと異例すぎるもののようです。

そこでなんとか接点を見出したいわけですが、今回の交流では、たとえば、自分の日本での労災事例の体験から、言葉としてはかなりドギツイながら、問題の「後追い」とか欠陥制度の「尻ぬぐい」を避ける視点からの「コラボ」案を提案してみました。

つまり、私としては、同じ健康問題でも、その治療とか予防(健康マイナス側状態)とかは他にまかせ、「健康のプラス側状態」とか、さらには、《幸福追求》のインフラとしての健康開発という視点との提案です。そしてことに、老人世代の課題として一般化させるという角度でなら、私としても積極的に取り組んでゆける分野であり、それに、はるかに将来的な試みだと思えている次第です。

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