生命創造性 Life Creativity;理論人間生命学 第1原則

理論の理論たるところ

先に私は、『自‘遊’への旅』を出版しました。そしてここに、それにつなげて本稿を書こうとしています。つまり、先書をそのイントロとして、この「理論人間生命学」への発展があります。

こうして、タイプやねらいの異なった著述を、ひとつの体系に持ち込んでくるというのは、手法としては順当ではないでしょう。しかし、この異例なアプローチこそが、この「理論人間生命学」のユニークさを表しています。

つまり、先書では、私たちの人生の一つひとつの体験に――老若、性別、そしておそらく人種の違いなどを越えて――生きる意味の源泉が潜んでいることを述べ、しかもそれが、現代の先進科学によっても支持されている理由のある現象であることを指摘しました。

ただ、そうした諸体験の意味は、とかく断片的で拡散しがちという弱点があり、それがゆえに、その総体である自分自身が見失われがちでした。そうした弱点を補うために、ひとつに体系化しようとするのが、この《理論》の理論たるところです。

創造性の源泉としての自分

そのように、私たち自分自身が《ものごとの起こりの原点》だと認識するなら、もう、こわいものはありません。それどころか、私たちは自分自身を、あたかも《創造の源泉》として用いれるのではないかとの発想が導かれます。もう、自分自身が宝の箱です。

それをもう少し具体的に考えてみるために、その創造というものを、健康という切り口で見てみましょう。

先書『自‘遊’への旅』で、「健康はインフラ」ということを述べました。また、健康とは「失って知る有難さ」とも述べました。そして「健康をえることで、人も社会も生産性を上げれる」とも述べました。

その一方、「健康とは病気でない状態」と転倒して考えられる傾向があるとも述べました。

そこでこれらを総合して、たとえば、「健康度」というものが考えられます。つまり、「健康度マイナス」が病気状態で、「健康度ゼロ」が現状維持状態であるわけです。

そうであるなら、「健康度プラス」という状態もありうるわけです。それはたとえば、健康増進のために、日々、運動を続けてきて体力が増し、一時はあきらめかけていた何か、たとえば、山登りを再開できたとしましょう。

おそらく、そうしてその久々の山登りから無事帰ってきた時、その人の抱く満足感や充実感は、それはそれは巨大なものであるでしょう。そしてますます、毎日を積極的に生きようとの意欲を湧かせる刺激となるに違いありません。

つまり、健康という状態は、ただ、病気でないという静的なものではなく、その度合いに応じて、極めて動的に、ダイナミックに、その健康の持ち主の毎日を変化させるものとなるということです。

生命創造性方程式

そこで、その健康度に応じて高められるものを《生命創造性;Life Creativity》略して「LC」と呼びましょう。

つまりこのLCには、毎日の幸福感や、満足感、達成感そして、そうした前向きの心理がもたらす活発な活動、そしておそらく、それを仕事に向ければ生産性の向上となるでしょうし、それを家庭生活に向ければ、円満でハッピーな家族関係といったこと等々、そうしたものすべてが含まれることとなるでしょう。誰もが求める生きている意味です。

すなわち、健康度が高まることによって、このLCが生じるということです。

ということは、LCは健康度の関数ということであり、以下のように方程式で書き表せます。一見、少々味気はなくなるのですが、極めて明瞭な定式となります。

  LC=f(h) ・・・・・ (ここにLCは生命創造性、hは健康度を表す)

つまり、hが大きくなれば、LCも大きくなるという関係です。逆に小さくなれば小さくなり、マイナスになればマイナス、つまり病的状態になるという関係です。

この関係を、上の山登りの例を用いて言えば、h=0の時が、病気ではないが山登りをもはや断念していた状態とすれば、h=1の時は、標高1000メートルの山に登頂でき、h=2の時は、2000メートルの山の登頂、h=3は3000メートルの山といった具合となります。

当然のことに、このhが1から段々大きくなるということの実際の日常生活上の意味は、たとえば、肥満が解消され、コレステロール値も平常となり、高血圧や血管障害の心配も薄れて行く状態を意味します。もちろん薬の服用などもいらなくなり、毎日の食事もおいしく楽しめるようになります。

これまで私たちは、健康というものを、どういうわけか、良くてh=0の状態としか考えないでいて、なんとかマイナスにならないようにと用心していた、というのが実情でした。

それを、h=0の状態に立ってマイナス側を見るのではなく、プラス側を見ることもできるはずです。

私たちの身体は、実に変幻自在です。その扱いを間違えば、それは確かに病気状態に陥ります。しかし、それを適切に扱えば、その状態はどんどん向上させることができます。歩くことすら難儀な人もいれば、42キロのマラソンを2時間少々で走ることのできる人もいるのです。同じひとつの身体でありながら、そんなに違う結果に至っているのです。

医療界も激変

もし、LC=f(h)と言うような考え方が定着し、私たちの社会にその実際上の効果が表れてくれば、医療界の様相も激変してくるはずです。

少なくとも、国の医療関係出費は大きく減少し、病院の持つ入院施設や高度治療設備の規模もそれほど大きい必要はなくなるでしょう。もちろん、それでも特殊な事情から重度の疾病にかかる人はいるでしょうから、その人たちや、また加齢による健康度の衰退は無くならないでしょうからそのための対応など、最低必要限度のものは維持されなければなりません。しかし、医療界全体として、その風向きは、根本的に変わるものと予想されます。

現在はまだそういう名称はありませんが、医療界とは逆の概念である、それこそ「LC界」とでも呼べる分野が発生、成長するに違いありません。

今日では、たとえば、「スポーツ界」と言えば、プロとか記録を争う競技選手向けの分野が主体です。そこにこの「LC界」を想像すると、富士山のような形状を想像して、その頂上レベルは、現在のようなプロ向け状態としても、その大きく広がった裾野では、新たでさまざま分野や業界が出現してくるはずです。さらには、身体能力の向上とメンタルな能力の向上の両方を結合させた、人間に関わる総合的創造性向上の分野やプログラムも開発されてくるでしょう。それこそ、健康に関しての、マイナスとプラスが逆転した状況です。

それに加えて、そうした健康度とは、たとえば、室内のジムで、さまざまな機械を使うことのみで効果的に向上するものではないでしょう。お忙しい人向けに、そうした便宜も無駄ではないでしょう。

しかし、健康というものは、それを足下で支えるインフラとして、周囲の環境の支援も必要としています。上の山登りの例で言えば、ジムの機械の目標数値に達することで、山の登頂と同じ満足や喜びが得られるかどうか、大いに疑問です。

さらに、健康度への貢献要素として食べ物がありますが、それも、安全であることは言うまでもなく、自然によってもたらされた、新鮮で色とりどりな食品の摂取も、それに欠かせない重要な要素です。

自然環境の荒廃の問題はここでは取り上げませんが、それも意識しつつ、人間創造性の方程式の実用を、この理論人間生命学の第一原則として提唱するものです。

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