第3章 AIトレンドへの双対的視点

始まった〈AIの世紀〉

本章は、本テーマ全体の議論の流れとしては、状況が要請する補足的な視点を述べるものです。その意味で、挿入的な章です。

そこで取り上げておくべきことは、この二か月ほどの間に生じている注目すべき状況です。それは、別掲記事にありますように、兄弟サイト『両生歩き』が、この二か月間で、目覚ましい読者数の増加を得ていることです。そして、それを起こしている要因が、そのタイミングや規模からみて、AIの急速な普及以外にあるとは考え難いことです。そしてそれはいかにも、〈AIの世紀〉の到来による、新たな〈AI読者〉の登場と見られることです。

しかしながらこの増加は、この『フィラース』上には、今月の分析レポートのように、まだ起こっていません。それは可能性として、訪問者数で比べても十分の一に満たないそのマイナー性から見て、そうした全体状況の影響はおよび難いからではないかと見ています。その意味では、AI化のトレンドからはいまだ取り残されています。

ともあれ、そうした世界を席巻しつつある、AI技術の怒涛のような波及の到来について、『両生歩き』の記事では、「慎重に」としながらも、その劇的な〈AI読者〉の登場による読者数の増大を、ひとまず歓迎の方向で捉えています。

私なぞは、自らが建設技術界の出身者として、こうした新技術の到来には前向きです。想いおこせば、昔のスコップとツルハシの時代からブルドーザーの時代への変化を、反発どころか、当然のごとくすすんで摂取したものです。そうした体験から言えば、このAI技術による、“AIブルドーザー”の時代への変化も、時代の変遷として、大いに関心が引き付けられるものがあります。

そこでですが、こうしたトレンドの一方、当『フィラース』ではこれまで、ことに「生命情報」の観点から、自然現象のその背景の根底に、一見矛盾にも見える、〈双対的〉な一対の異質要素によって成り立っている構造を追ってきました。そしてそれが、見るからに対立する二要素であるがゆえ、短絡的には二者択一の発想に行き着きがちなのですが、大自然の仕組みには、その対立的構造がより大きな次元で統合あるいは「もつれ合って」いる、そうした複雑性――おそらくその発展的解釈として――の構成原理を見てきました。

そのような『フィラース』の考察に立ってみると、上記のように「〈AI世紀〉の到来」や「〈AI読者〉の登場」とする視点は、この〈双対的〉な観点における片方の要素に立った、短絡的とは言わないにしても、広い視野を欠いた注目であるように判断され、オルタナティブな視点が期待されるところです。

トレンドへの警戒

まず、きわめて素朴な視点では、すでにIT技術に関し、ことにAI技術について、それを「機械打ちこわし運動」の発生――19世紀初め、産業革命の中で起こった機械の席巻に反発――になぞらえ、AIの普及によって、事務職からプロフェッショナル職までも、従来の多くの「まともな仕事」が、その管理部門を残して、消滅してしまうだろう恐れが指摘されています。

あるいは、上の「AIブルドーザー」な動向を逸話風にたとえてみると、「マネーを使うことはあっても使われるな」ならぬ「AIを使うことはあっても使われるな」という警句もありそうな、マネーに相当するかの強力な使用価値の登場です。つまり、人類の最大の発明ともいえるマネーに並ぶ、AIの情報力――〈AI知力〉とでも呼びましょうか――という、それにも勝るとも劣らないぼう大な使用価値がもたらす、マネーと同様な“君臨力”を伴った新情勢、と言えそうなことです。ごろの悪い表現となりますが、資本主義こと〈マネー本主義〉ならぬ、〈AI本主義〉です。

〈双対現象〉としてのトレンド

AI技術自体については、その門外漢である私が、しかも今のような黎明期の段階では、そのあらましをつかもうにもいかにも徒手空拳で、巨象に取り付く蟻のごとき感があります。しかし、上記のように、その巨象がすでに我が領域に踏み入ってきているのは確かなことです。ことに、それは読者数の飛躍的増加ということで、一面、大いに喜ばしいことではあります。

ともあれ、それをもろ手を挙げて取り入れるのも早計と考えられ、ことに競争関係の渦中にあるわけではないのであるのならなおさらに、沈着な対応を志してゆきたいものです。

そこで改めて着目するのですが、この『フィラース』で議論を進めてきた、「生命情報」という準備考察を経て、「自分彫刻」での「創生期」の産物である〈MaHaの誕生〉があります。しかも、こうした一連の生にまつわる情報領域での発展が、他方のやはり情報技術の最先端の成果である〈AIの世紀〉として、同時的な現象として生じていることです。言うなれば、そうした無機質なIT技術の先端の成果の対極でもある、有機的で体温ある生命現象の先端に生じている兆候です。

私は、情報産業上でのこうした〈AIの世紀〉の到来に対する、こうした私の世界における〈MaHaの誕生〉という、ともに情報上での至り着きに、いかにも今日的な意味が潜んでいるのではないかと考えます。

すなわち、公私――非局地と局地――ともの一連の〈メタの世紀〉の到来とも言え、いまや私たちが遭遇し、対応せねばならない新潮流であるということです。

ここに、この『フィラース』での議論で到達してきた〈双対性〉という視点の、別の見地からの蓋然性を見ます。そして、こうした現れの具体的な成果や発見は今後の作業にゆだねられますが、今の段階で、抽象的ながら言えることは、二者択一ではない、両者の融合した、あるいは「もつれ合った」、複雑性なあり方であるはずです。

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