「もしグレタが僕の孫だったら」

今朝、まだ日の出前の薄暗がりの中、目覚めたばかりでまだ眠りと覚醒にまたがっている意識が、いきなり、表記のタイトルのような設問をとなえ出しました(「グレタ」とはスウェーデンの18歳の環境活動家グレタ・トゥーンベリのこと)。それはたぶん、昨夜寝る前に、日本のグレタたちを報じる新聞記事を読んでいたための余波でしょう。つまり、グレタの言う、(地球温暖化問題に)「なにもしようとしない大人たちを許しません」とのきついメッセージを、もし自分の孫から言われたら、自分なら何と答えるだろうか、との設問です。

ただ僕には、この問いかけの設定は論理的にはありえますが、現実的には、僕には子供がおらずむろん孫もいませんので、実際にそうした場面に出くわすことからも、その可能性からも、隔離されています。ですから、それをよいことに逃げを通すことは可能なのですが、今朝、こんな設問が頭をかすめたのは事実です。

というのは、昨夜のその記事にあった、なぜ学校ストライキをするのかという記者の問いに、一人の日本のグレタの「もう遅すぎるから」との返答がありました。つまり上の問いかけ設定は、こうしたティーンエィジャーたちの「急進主義」が僕にもたらした思い起こさせがゆえのようで、半世紀もの時間的隔たりを一気に近づけました。

以下のように言うと、それは勝手な“同類化”と受け取られるかも知れませんが、僕も若いころ、同じような「急進主義」を信じ、また、同じような説得を受けた経験を思い出します。つまり、あれから半世紀以上もたっているのですが、交わされている言論のパターンは変わっていないとの感慨です。上の目覚め時の設問も、そんな遠い記憶が意識の奥底からよみがえって作用したからかも知れません。

すなわち、そうした急進的な動きに対して、世の大人たちのほぼ誰しもが、今は学業に専念し、それを終わらせ卒業してから、学んだ知識を生かしてそうした問題に取り組んでも遅くないしより適切と説得する、それに対する自分も若い時代に持っていた共通した感性の思い出しです。

つまるところ、地球環境を汚しっ放しで先に死んでゆく大人たちはそれでいいかも知れないが、その後始末をその責任もないのに負わされるのは自分たちだ、とのもっともな抗議です。

また僕が当時体験した「急進主義」とは、1960年代末のいわゆる大学紛争時代の、授業ボイコットやキャンパスのバリケード封鎖であり、また、就職をもって社会に出てからわずか半年でその仕事を辞めることとなった、毎日の仕事に感じさせられていた鬱屈でした(そのあらましについては拙著『自’遊’への旅』を参照)。どちらの行動も、当時の「高度経済成長」と呼ばれていた状況の中で生じていた急速な経済成長のもたらす歪みの自体験や憤懣を動機とするもので、もちろん地球温暖化が問題とされるはるか以前のことです。そうですが、今になって思えば、そうした経済成長の歪みとは、今日の環境問題の先駆けであった問題です。ただ当時の学生たちの考えは、それを資本主義経済に共通するポリティカルな問題として、その抗議行動が主たる先進国の学生たちに燎原の火のように広がり、「スチューデント・パワー」と呼ばれて時代を風靡させるものとなりました。

今日の地球温暖化、つまり、地球環境の汚染悪化問題については、それを外的環境の問題とする大多数の大人たちとちがって、現在の若い世代にとっては、たとえばグレタにしても、あるいは日本のグレタにしても、何らかの形――ことに個々人の健康をむしばむ症状――で、もはや外的な環境の問題などではなくなっており、アスペルガー障害とか自閉症とか不登校とかと、医学的には原因不明とか対象外とされながらも、すでに自分自身の内に巣食う病的状態にも悩まされてきたわけです。その外と内の両問題を無関係のものとみるのではなく、結びついたものと直観的に受け止めている世界のグレタたちの反応は、決して理由のないものではないでしょう。だからこそ、その危機感が、世界のグレタたちの、あのきわめて歯に衣を着せない、かつ、世の権力者には実に辛辣な言動となって、世界的に表わされているのしょう。

他方、僕が自身で体験した半世紀前の「急進主義」は、当時そうした外部環境の問題はまだ若い世代の身体内部にまでは侵入してきておらず――あったかも知れませんが無認識で――、世間一般には「左翼過激派」、肯定的でも、価値観の違い、あるいは、個人的な生き方の違いとして、もっぱら頭の中の問題としてしか受け止められませんでした。

ただし、ここで言っておかねばならないのは、当時日本ではすでに、「公害」とよばれた実に深刻な環境汚染問題が発生しており、イタイイタイ病とか水俣病とかと、日本は国際的にも公害問題の先頭ランナーのような悲惨な現実にありました。だからこそ、そうした問題は、社会的には局地的な特殊問題として徹底的に抑え込まれていたわけですが、今にして振り返れば、今日の問題につながる発端として、あきらからな警鐘となっていたのは間違いありません。

上に、交わされる言論のパターンは変わっていないとの感慨を述べましたが、僕らの世代ではそれは左派的政治運動との角度からの取り組みでした。しかしそれが、今日では環境問題との切り口で取り上げられています。しかし、かく表面的なアプローチは異なりながら、半世紀を隔ててもなお、その根は、利益を追求する動機の行き過ぎた徹底です。

ところで、私事とはなりますが、本サイトの『フィラース Philearth』とのタイトルは、別記にように、当時の公害問題の深刻さを目撃して、環境のかけがえのなさを「Phil-earth」すなわち「愛・地球」として掲げた当時の大学学科内のジャーナルのタイトルを拝借して用いているものです。

そうして、上の早朝の設問に刺激され、それに続いて浮かんだのは、せめて、できる限り「エコ・ニュートラル」な生き方で行こう、という返答です。「サステナブル」という硬い用語に似た言葉ですが、もうちょっと、わかりやすい言い方と思います。つまり、何かにつけて、ものが古くなると、それを早々と捨てて新しいものに買い替える、もはや染み付いてしまったようなそうした習慣をやめ、身の回りにそれこそいくらでもある、使い古したものに再度手を加え、それに新たな使い道という再生をもたらそうとするものです。そして、最低限、ごみを新たに出さず、環境に負荷を与えないことを原則にする、というライフスタイルです。

また最近、上の設問に答えるように合わせて知った言葉に、「アップ・サイクリング」というものがあります。まるで自転車スポーツの用語のようですが、そうではありません。いまやもう日常語としても定着した「リサイクリング」に対する用語で、リサイクリングが古いものを再利用しようというものですが、再利用にとどまらずにさらに手や考えを加え、以前の価値以上のものに作り替えようというものです。

そういう意味では、今、僕が日々専念している「健康インフラ」とは、古くなった自分の身体を、工夫をこらして再利用し、一層有効に使いこなそうというものです。まさに自分自身の「アップ・サイクリング」です。

なお、この「健康インフラ」の詳細については、兄弟サイトの記事を参照してください。

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