「フィラース Philearth」とは何か

この言葉の起こりは、ほぼ半世紀前にさかのぼります。1960年代半ば、私がある工科系大学の土木工学科で学んでいた際――まだ19歳の末――、学科内に、学術サークルと学生自治会とを混ぜこぜにしたような組織、「土木学生会」の設立にかかわりました。その時、会の雑誌を設けるにあたり、そのタイトルを「フィラース Philearth」と定めました。

それが発端なのですが、それは、哲学の Philosophy の philo(愛) + sophy(智)をもじったもので、愛+地球であるphil+earthつまり「愛地」という趣旨をもって造語したものです。

当時、土木工学といえば、それこそ地球や列島を改造する発想が主流で、「愛地」などという“柔で青臭い”発想などとはほど遠いものでした。そこを、未来を先取るつもりでこのタイトルを考案したのでした。それから半世紀余り、今やまさに、こうした発想抜きには何事も考えられなくなっています。

その学生組織と雑誌のその後の経緯は耳にしていません。それはそれでよいのですが、その古参OBとしては、当時の若かりし直観の正鵠さを思い起こすとともに、老境に至ろうとしている現在であるからこそ、次元を異にした《地球》の「未来の先取り」をならって、その「Philearth=愛地」を継承し、提起したいとするものです。

そこでさらに、そうした先見性の潜みうる発想に加えて、その趣旨をいかに実践してゆくのか、その方法の体系を「理論人間生命学」と呼び、今後の本サイトの主要コンテントとしてゆきます。

なお、「理論人間生命学」構想のこれまでの経緯については、それを準備する直近の10回にわたる連続記事があります。ご参照ください。

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