究極の「Missing Link 失われた環」

本サイトの兄弟サイトである「両生歩き」の最新号(7月7日付)で、「自分って何人」と題したシリーズ記事が完結します。その最終回に述べてありますが、人間がその歴史の中で――ことに合理性の追求という観点をもって――考察してきたことで、フルには手を付けてきていない、あるいはあえて排除さえしてきた分野があります。そのMissing Linkとも言えるものが、カテゴリー上では「神秘主義」と呼ばれる、科学と宗教、あるいは、物質と情報/情念の間に存在する境界領域です。またそれは、残されているという意味では、一種のパイオニア領域です。

現在のコロナパンデミックに関しては、PCR検査に代表される新型コロナウイルスの判別技術において、DNAシークエンスとよばれる特定化学物質の配列があります。つまり、その配列が、そのウイルスの感染力とか潜伏期間などの特性を規定していると考えられ、ゆえにその配列をもってウイルスの種別が判定されるわけです。

ということは、その物質の配列が言わば言語に相当する働きをもって、あたかも自分の“名前”を表示するように、《情報》を伝達しているということです。私はこの配列を《物質と情報間の相互変換現象》と見、上記の「神秘主義」を科学として採り上げる際の有力な手掛かりにしうると考えています。

あるいは、視点を変えて「コロナの歴史的意味」といった問題の切り口を考えてみると、コロナ発生の当初は風邪の一種などと見なされて、人造か自然発生かはともあれ、その新規性を無視する風潮がありました。ところが、やがて感染拡大やその変種が次々に登場するなど事の深刻性がすすむにつれ、どうも従来のインフルエンザと一緒にしてはおけない新種であるとの認識が一般社会にも広がってきました。

インフルエンザについては、新型コロナ発生以前より、それを発症させるウイルスは病原菌という微生物とは異なる一種の《情報体》であることは知られていました。ところが、新型コロナウイルスが、約2週間の潜伏期間を持つなど実に巧妙な特性を持っていて、その「賢さ」が注目されるようになりました。つまり、その感染の害毒面に加え、偶然の所産とはいえ、あたかも一種の「作戦」をもっているかの「情報面」がクローズアップされるようになったわけです。それを上の「歴史的意味」という切り口で見れば、様々な薬品の駆使で病原菌を退治する病気の「物質の時代」がほぼ克服され、それに取って代わるように、病気の「情報の時代」が到来――昔からも混在はしていたのでしょうが――してきたかの光景です。

考えてみれば、たとえば現代病をもたらす新たな原因の多くが、「ストレス」に関わっていると考えられてきています。そしてこの「ストレス」とは、人体にかかる負荷の精神面への効果が過剰になった場合のことです。この精神面への負荷とは、まさに情報を通じての負荷と言っていいものです。

人類は、その歴史の中で、まず、物質を拠りどころとした解明に努力し、それが科学の基本的土台となってきました。だがいまや、その時代がいわば「満了」しつつあり、今度は、過去の過程の中で排除あるいは見落とされてきた部分を主因とするさまざまな問題が、ことに健康問題面で、私たちの重要な課題にせり上がってきていると言えましょう。

その排除されてきた領域への関心は、過去の不可解な性質から「神秘主義」と呼ばれてきましたが、いまや、その「神秘主義」――この名称が適切がどうかはともあれ――が持つ、現代的意味が指摘できるようになってきています。それはまさに、「究極のミッシングリンク」です。

さらに、本サイトですでに展開してきたように、量子理論で「もつれ合い」とか「重なり合い」と呼ばれている量子雲の世界に注目してきていますが、それも、上記のような観点を通じて見れば、そのミッシングリンクの一つの関連を提示しているものとみなせます。かくしてここに、量子理論と神秘主義が、互いに排除し合う必要のないものであることの端緒が見られます。

文末とはなりましたが、学術論文でいう「引用」に関しての見解です。私はこれまで、一連の私的見立てを「牽強付会」と呼んで、学術的引用とは区別する立場で、いろいろな見解を参照してきました。そうした時代の潮流の取り込みの試みの中で、ことに本サイトで「理論人間生物学」と呼ぶ私の注目分野について、上のようにそれを「神秘主義」に含ませる、ある種の「分類法」を適用します。というのは、別記事で取り上げているように、松岡正剛による『千夜千冊』という「ブックナビゲーションサイト」を「知の旅のガイドブック」に値するものと位置づけ、そこで松岡が「神秘主義」として扱う分野と、私のこの注目分野とが、同等物とは言わずとも、多くの類似性を持ったもの同士であると考えられるからです。むろんこれは私の見解にすぎませんが、学術文献引用についてのテクニカルな規定事を越えて、いっそう本質に踏み込める手法として、このカテゴリー化をはじめ、それを通じての類似性や共鳴の存在に注目するものです。

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