《越境》へのリアリティー

本サイト『フィラース Philearth』は、HPのメニューの「ホーム」にあるように、兄弟サイト『両生歩き』の主テーマを引き継ぎ、人生における「移動」の意味を、最も広い次元にまで広げようとするものです。

そのこころみの中で、これまで、「理論人間生命学」として、その理論的考察を追究してきました。そして、その到達点が科学と宗教に両属する領域における量子理論の役割と可能性です。それをこの「近量子生活」というカテゴリーでは、今度は理論ではなく、日々の生活の具体的ありさまに、その考察の到達のあらたな手掛かりを探ろうというものです。

そのため、この「近量子生活」というカテゴリーでは、一冊の本とか学問といった系統的な構成を持つものではなく、いろいろな話題やエッセーの寄せ集めといったオムニバス形式をとっています。その総覧は、HPのメニューの「近量子生活」をクリックすればプルダウンして一覧できます。

その中で本稿は、私たちの人生における移動の結果、越えるべき不可避の〈境界〉である「死」について、量子世界への《越境》という観点から考察するものです。そしてそういう《越境》へのリアリティーを、A 主体的体験、B 客体的体験、C 「異次元」の健康という、三つの角度から検証して行きます。

《越境》観への三つの展望 

A 「見え方」という主体的体験

『納棺夫日記』という「死の研究書」

もう十年以上も前になりますが「おくりびと」との題名の映画がありました。その気の利いたタイトル付けもあって評判になった映画でしたが、あの映画はいわくつきでした。というのは、あの映画の実質の原作となった本『納棺夫日記』の著者、青木新門氏は、その映画化の要請を、その脚本を読んで断り続けました。その結果、この映画は原作者なしの作品として世に送り出されました。つまり、この映画と同著作の間には、公式な映画・原作関係はありません。私も、映画を見たのち、その著作を読みましたが、確かにこの映画は、原著作の内容の、よく言って半分しか表現されていません。つまり、著者の納棺夫という奇異な体験は描かれていますが、その体験を土台にした著者の思考内容や死をめぐっての宗教的、思想的考察は――売れる映画にはならんと判断されたのでしょう――ほぼ完璧に対象外です。いわばそんな空っぽな映画であったわけですから、それが原作となることを著者が断り続けた理由も納得できました。

いかなる人も避けられない、人間の死をめぐるその尊厳な生命現象について、この原作は、著者が葬儀に伴う「ほとけ」の納棺に携わった体験、つまり〈他者の死〉を土台として、それを考察したものです。つまりそれは、死がすでに起こった事後の話です。一方、私はその不可避な〈自らの死〉について、それを《越境》と呼び、一種の通過点との仮説を立ててそれを考察しようとしています。つまり、自分がその死へと向かい、通過してゆくのであろう連続的過程として捉えようとしています。

そのように、考察の設定対象について「自」「他」の違いがあり、さらにその違いがゆえに際立ってもいる死についての見解、すなわち、片やは「未体験」のことであり、他は日々生じている「実体験」のことがゆえにもたらされる、主体的か客体的かの対比も、おのずから生じます。

そういう異なった観点に触れるねらいで、改めてこの本『納棺夫日記』を読み直しました。著者の青木新門氏はそこで、あまたの本当の死がいかに形骸的にしか扱われていないか――その意味で、人の一生の意味までもが実に歪めて弔われている――を論じていると解するわけですが、そう断ずる氏の見解は、私自身についてのこの仮説を吟味する上でも大いに有効です。

そこで私は、この『納棺夫日記』を、その死についての諸見解をまとめた広義の研究書と見なし、私がそれを《越境》ととらえる仮説がどれほど妥当なものかについて、その考察を借用する次第です。

〈光〉との出合い

その借用の仕方ですが、私にとっての死とは、まだ生じていない仮定の出来事であり、そういう意味で、実際の死がどう扱われているかとの現行宗教的、葬儀行事的、あるいは葬式ビジネス的な観点――著者は極めて批判的――は取り上げません。逆に、まだ生きている人間がそれをどう捉えるのかという、哲学的、宗教的、科学的観点に焦点をあてます。

話題は跳ぶのですが、看護師の専門のなかに緩和看護と呼ばれる、つまり死がまじかに迫った患者へのその苦痛や不安を和らげるケアを専門とする分野があります。思うに、現代の死のほとんどが病院で発生していることをみれば、この緩和看護師こそ現代の「おくりびと」かもしれません。そうした専門領域に関し、同書はこう書いています。

(略)死の現場を見つめる機運も高まってきている。(略)アメリカの精神科医キューブラ―・ロス女史が、多くの臨床の経験から「末期患者が最も安心するのは、何らかの方法で死を克服した人が患者の側にいることである」と言っている。/ということになれば、死の不安におののく末期患者に安心を与えることのできるのは、その患者より死に近いところに立たない限り、役に立たないということになる。たとえ善意のやさしい言葉であっても、末期患者にはかえって負担となる場合が多い。/要するに、菩薩に近い人が側にいれば一番いいのである。(略)末期患者には、激励は酷で、善意は悲しい、説法も言葉もいらない。/きれいな青空のような瞳をした、すきとおった風のような人が、側にいるだけでいい。

『納棺夫日記』文春文庫(増補改訂版)、pp.136-7

ではその「菩薩」とは何かなのですが、著者はこう述べています。

あの〈光〉に出合うと、生への執着が希薄になり、同時に死への恐怖も薄らぎ、安らかな清らかな気持ちとなり、すべてを許す気持ちとなり、思いやりの気持ちがいっぱいとなって、あらゆるものへの感謝の気持ちがあふれでる状態となる。/こうした状態になった人のことを、仏教では菩薩という。

同書、p.117

そしてこの〈光〉なのですが、以下、長い引用となりますが、著者はその〈光〉との出会いを、こう書いています。

私が十年間死を見つめて過ごしたといっても、それはあくまで他者の死であって、自分の死を至近距離で見詰めたわけではない。/しかし、私が蛆を掃き集めながら見た蛆の光や竹藪で見た糸トンボの光が、井村医師〔遺稿集を残した癌で早逝の医師:後述〕がアパートの駐車場で見た光景や高見順〔癌死した作家〕が電車の窓の外に見た光と、同質の光のように思えてならない。(略)死に近づいて、死を真正面から見つめていると、あらゆるものが光って見えてくるようになるのだろうか。/それはどんな光だと言われても、説明のしようがないもののように思えた。

同書、p.91

そうした〈光〉を説明しようとして、著者はさらにこう続けます。

(略)あの不思議な光に最も明解な回答を与えてくれたのは親鸞であった。

 仏は不可思議光如来なり、如来は光なり

と断言する親鸞は、明快であった。/親鸞の主著は『教行信証』である。

同書、p.92

その『教行信証』の中で親鸞は、釈迦が生涯懸けて説いた教えの中で、究極の真実を説いた教えを説く〈釈迦の顔が光っていた〉その釈迦如来の様子こそに究極の真実の証拠があると説明していることに著者は着目し、そしてこう述べています。

親鸞は〈ひかり〉との出合いを体験し、〈ひかり〉を垣間見たところから、この『教行信証』の著作を思い立ったにちがいない。

(略)そう理解する以外に、この問題は解けない。/この不思議な光現象は、理性では理解できない異次元の現象であって、実体験以外に理解の方法はない。

あらゆる宗教の教祖に共通することは、その生涯のある時点において、〈ひかり〉との出合いがあることである。/〈われは世の光なり〉と言ったキリストも、天理教の中山ミキや大本教の出口なおなども、すべての教祖は〈初めに光ありき〉から出発した体現者であった。/親鸞もまた、〈ひかり〉の体現者であったといえる。

同書、pp.94-6

ここであらためてこの〈光〉とは何かですが、この異次元な現象こそ、死にまつわる、そして宗教の核心を形成する極めて重要な原点です。それを著者は詩人の表現を借りてこう述べます。

すすきが光り、川原の小石は水晶のように輝き、川は光の帯となって流れている。/樹や星や電柱が燐光のように輝いている。/そんな世界を銀河鉄道が走って行く。/宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』の光景描写は、井村医師が癌の転移を告げられて見たアパートの駐車場の光景と変わらない。/‥‥‥世の中がとっても明るいのです。スーパーへ来る買い物客が輝いて見える。走りまわる子供たちが輝いてみえる。犬が、垂れはじめた稲穂が、雑草が、電柱が、小石までが輝いて見えるのです‥‥‥」

(略)

私は、湯灌・納棺をしていた頃、死者と私だけがぽっかりと光に包まれているような奇妙な経験をしたことがある。蛆の光や糸トンボの卵の光に涙したこともある。(略)あの時、生と死が交差するように急接近して、不思議な光が私の目の前を流星のように流れていった。

(略)

光如来は、生きとし生けるものへの思いやりと感謝の気持ちがあふれ出る状態にさせるのである。

同書、pp.137-40


科学からみた〈光〉 

以上は、著者の宗教的な視点からの考察と言ってよいでしょう。そうした経験的な視点とは別に、著者は発展する科学の視点をも援用して、この〈光〉を解明しようとします。

そんな光がこの世に存在するのだろうか、と思っていたある日(1987年2月23日)、我が家の横を流れる神通川の上流にある神岡鉱山山茂住鉱の地下一千メートルの東大宇宙線研究所で、世界中の天文学者や物理学者が注目する事件が起きていた。/それは、光とも光量子ともちがう、すがたもかたちもない、すべてのものを貫き通す、不思議な極微の素粒子が十六万光年の彼方からやってきて、地球を貫いて再び宇宙へ飛び去っていったことが観測されたというニュースであった。この不思議な素粒子は、ニュートリノと名づけられ、存在は立証されているが、誰も見た人はいない。

(略)

特に注目すべきなのは、ニュートリノの発生が、宇宙のビッグバンや超新星の爆発など、宇宙や星の生と死が限りなく接近した瞬間に起こることである。/すなわち星たちが死を迎える一瞬に、ニュートリノが光速で抜け出し、次の瞬間に星の構成物質が爆発し死を迎えるが、その残骸から再び新しい星が生まれる。/太陽も地球も、そして地球上の生物も、はるか昔に爆発して死んだ多くの星が残した残骸物質から出来ているのである。/このようにして生まれた我々人間も、その生死の瞬間における現象が酷似しており、それゆえに、回帰本能や複製本能が、生命の起源や太陽系の誕生やさらに宇宙の誕生といった母の母なる根源へと、鮭のように溯上を促されるのかも知れない。/宇宙が生まれたその瞬間は、無限に広がる〈光の海〉だった。

同書、pp.132-3

さらに著者は、今日の科学は、我々が想像もつかない遥か彼方まで歩を進めていることも事実として、量子理論の生みの親のシュレディンガー〔1887-1961〕の言葉を挙げている。

主体と客体は、一つのものである。それらの境が、物理科学の最近の成果でこわれたということではない。なぜなら、そんな境界など存在していないからだ。/と言い、今日の最先端をゆく科学者は、この世界が一如であると、とらえはじめているのである。

同書、pp.126-7

加えて、こうした現代科学最先端の知見と、親鸞の見解を並置して、こう述べる。

釈迦が、すべてのものが宇宙全体の相互依存性の中で成り立っているとする縁起説を中心にすえ、当時の バラモン教団の説く不合理性や霊魂の実在を信じる思想を排除して、独自の無我の思想を展開したように、親鸞も釈尊の説く仏教の中心に〈光如来〉をすえ、無数にある仏典の中から、釈迦如来の〈光顔巍巍〉とした様子だけで『大無量寿経』を真実の教えと選び‥‥‥己の信じた真実を貫いてゆく。

同書、pp.130

このように、著者は、自分の体験した光現象を科学の観点からも検証しています。しかも、以下のように、その科学の持つ欠点を指摘して、さらに人間の視界に立ち帰っています。

科学はその字のとお〈科〉の学問で、科とは分けるという意味である。あいまいなものを区分して、徹底的に分科させて、きれぎれに切りきざんで研究してゆくのが西洋科学の特徴である。/明治以降わが国は、この西洋の手法を取り入れることに全力を傾注してきた。その結果、科目によっては世界のトップ水準にあるものも多くみられる。しかし、こうしたきれぎればらばらの発展進歩は、人の幸福という分野とは無関係に進み、むしろ人の心を不安におとし入れてゆく結果となる。/賢治は、きれぎれの考えやあらゆるものが一瞬ぽかっと光る一つところへ収斂されてはじめて統合が可能だと思っていた。/そして、/僕きっとまっすぐに進みます。きっとほんたうの幸福を求めます。/と菩薩道のキップを持ったジョバン二に言わせている。/まっすぐ進めば、菩薩である。法華経を信奉していた賢治は、菩薩行による統合(一如)を決意していたのである。

(略)

親鸞は、この不思議な光が一如の世界をおのずからもたらすと信じて疑わなかった。/そして宇宙や星や地球上の生物などの生成と消滅を超えた永遠の存在として、また生きとし生けるものの一切に現れ救ってゆく不思議な存在として、この光如来に絶対の信をおいていたのである。

同書、pp.142-4

ところで、こうした西洋と東洋という文明的対比ですが、上記のシュレディンガーは、自著『精神と物質』で、こう述べています。

私たちの自然科学――ギリシア[以来]の科学――は、客観化にその基礎を置いているからです。客観化によって科学は、認識の主体あるいは精神に関する適切な理解から自らを切り離してしまったのであります。だがこれこそがまさに、私たちの現在の考え方が東洋思想からの輸血を必要としている点なのだと、私は信じております。

(略)

私の提言を申しますと、両方〔科学と哲学〕の矛盾共(ママ)、西洋科学の構造に東洋の同一化の教理を同化させることによって解き明かされるだろうということなのです。

『精神と物質』(工作舎,1987)p.90, p.99


私の「光」体験

実は、私もこうした光体験に似たことを体験しています。それを最近、私のサブブログ「私共和国」にまずこう書いています。それは、昨年12月10日付で、

今日、いつもの8キロをはじった〔注記〕のだが、ほとんどおとといと同タイムの1時間4分4秒だった。そしてその後のことなのだが、西に大きく傾いた夕日をあびながら、クールダウンをしている時だった。夕日にむかって胡坐し、呼吸をととのえつつ太陽凝視していると、あたりの光景が何やら不思議な様相を持ち始めた。

  • 〔注記〕この「はじった」という語は私の造語で、「走る」と「恥じ」と私の名の「はじめ」を掛け合わせた言葉「はじる」の過去形で、私がよたよたと誰にも追い抜かれながら、恥じをさらして走るとの意味。

むろんそれは、いつもと何ら変わらないはずの光景なのだが、これまでとは確かにちがうのだ。いつもなら、それは観察者たる自分が明瞭で、「自分ならではの光景」とひとり悦に入れたものだった。それが今日は、そうした観察者たる私が消えてしまったかのような、光景だけがそこにそのように在り、自分の存在などただの透明な気体でしかないようなのだ。

考えて見ればそれもそのはずで、もし私がそこに居なくても、その光景は何ら変わらなく存在しているはずだ。

つまり、その公園の芝生上に胡座している自分が、あたかも将棋盤上の一つの駒がつまみ上げるように取り除かれ、そこに、自分に代わって、ただカメラのような視力のみが在りつづけていたような、そんな感じの体験であった。

ここでは、「光」ということさらな描写はないのですが、その光景とは、西に傾いた太陽光に照らし出されたまさに輝くような世界です。ちなみに、2年2カ月前の2020年11月11日付では、

今日、はじった際、暑さで距離は8キロにとどめたのだが、例の公園の芝生上でのクールダウンの際、座して目を閉じ、深呼吸をしていた。まだ日がやや高く、太陽直視は避けていたのだが、目を開けると、いきなり、“黄金色”の風景が目に飛び込んできて、思わず「ここは天国か」との感慨すら頭をかすめた。

この「黄金色」という描写ですが、いかにも「光」に包まれたかの光景です。

さらには、昨年1月20日付では、こんな描写があります。けっこういいタイムの「はじり」を済ませた後のことです。

そして、その後の芝生上のクーリングダウンが素晴らしかった。芝上に座して目を閉じ、ゆっくり呼吸していると、体が宙に浮きあがっていくかの爽快感だ。そこで目を開けば、西に傾いた太陽光があたりを黄金色に染め、そこはまるで別世界のよう。

その時、不思議なことがおこった。脳裏に一種SFストーリー風のアイデアが浮かんできて、誰やら“未知人”がこう告げる。「地球人には意識というものがあって、それで思考ということをするらしい。どうも我々の退化した能力のことらしい・・・」。もっと続きを聞いてみたかった。たしかに、私たちの意識とは、人間という高等生物が持っている体内ホロスコープのような現象だ。そしてそれが現実の反映だと受け取っている。眠ってしまえば、その装置のスイッチはオフとなるのに。

むろん、『納棺夫日記』に描かれているような、死に直結した「光」ということではありません。しかし、けっこうきつい運動を済ませた後の、一種のスイッチが切り替わっている状況の中での非日常体験です。そこには、 それぞれに光や太陽光を特徴とする「光」の同種体験があるように受け止められます。

つまり、程度や場の違いはあれ、それぞれの基盤となる非日常を契機にした、《越境》がともに体験されているのではないか、そう考えるのです。

【次回 〈B「移動」という客体体験〉へつづく】

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA