4.4 「宇宙」とのつながり

 

前々章(4.2)において、「血縁」と「氣縁」を区別することで、人間にまつわる関係性について、二つの「圏」を発見しました。

それを受けてこの章では、その「氣縁」をさらに「メタ圏」と捉え直すことにより、人間における「血縁=物質起源圏」と「氣縁=非物質起源圏」という、二つの起源を確認し、そのうちの後者を、本章でのテーマと定めて議論を進めます。

 

スマートな「氣」へ

こうして「氣縁」を「非物質=メタ圏」と見る考えを媒介にして、その概念の捉え直しを行うのですが、まずそれを、感覚的判断を生かして、「氣縁」概念の〈スマート化〉と方向づけます。

つまり、「氣」との概念は、古代より実施されてきた東洋医学を起源とするがゆえに、ある種の古臭い伝統気風を感じさせるだけでなく、その認識の様式にも一種の因習的信念とも印象付けられかねないものがあります。そういう概してネガティブな風潮や受容を見直し、温故知新な再考を通して、その真価を新発見しようというものです。

また同様に、それは、その東洋の伝統的由来を共有する「輪廻転生」との考え方と相互につながり合っています。ましてこの「輪廻転生」には、この世と来世という、考え方としてはひとつの宇宙的な広がりを取り込んだものとなっていて、そうした視界を古代からの伝統がすでに持っていたというのも、見直されるべき温故知新さです。

このような広がりと可能性をもった「氣」の概念を、その由来は大事にしながら、他方の科学的明瞭さと新たな結合を探りつつ、これからの将来的概念へと脱皮させてゆこうとの試みです。それがこの〈「氣縁」概念のスマート化〉であり、そうした方向性です。

そこで、「氣」についての、そうした古い伝統的概念と、新たなスマート化した概念とを区別するため、必要に応じ、後者を「氣Qui」と表記します。 

 

「非物質起源圏」という〈宇宙圏〉

さて、このような所定認識をベースに、冒頭に述べた「非物質起源圏」という視座に立ってみると、いよいよ、本サイトHPのヘッド画像の下段に横に流れる電光メッセージの「ステージ」に到達していることに気付かされます。

そのメッセージが告げているのはこうです。

人間、誰にも誕生があるように、誰にも《逆誕生》がある。宇宙から生命の種が到来したように、その地球産生命は《宇宙に逆誕生してゆく》。「理論人間生命学」は、そこに、生命論と量子論の結合の事例を見る。

つまりこの「ステージ」とは、上のメッセージに言う「逆誕生」がそこから始まってゆく地点ということです。

ちょうど2年前の8月、上記の電光メッセージを創作した際、そこで念頭にあったこの「ステージ」とは、やがて遭遇するであろう死という永遠の旅立ちの場面でした。それは、年齢柄ごく伝統的考えにも従ったものでしたが、その3年前のひん死の重傷体験は重く、それまでに受け止めていたように通り一遍には片付けられない、自分に生じる一回性の出来事を想定したものです。

その人間として不可避な事象を、そのメッセージの創作の際には、かく伝統性とは別の発想から、自分独自に、連続した線上のひとつの境界線の通過現象と捉えたもので、その通過後の世界とは何かを考えたものでした。それが、そう通過して「宇宙へと出て行く」という発想であり、電光メッセージのように、生まれた時が「誕生」であるなら、死ぬ時のそれは「逆誕生」であると名付けたものです。

すなわち、この「理論人間生命学」は、生時の「誕生」と死時の「逆誕生」を、地球上に展開される生命期の前と後に、対として持っている、ということです。

ここに、私たちの生をめぐる、この《双対性》が指摘されます。

かくして本考察はいよいよ、この電光メッセージのそうした地点に達したわけで、「氣縁」すなわち「非物質起源圏」という概念を手掛かりに、宇宙へと「スマート」に「逆誕生」してゆこうとしています。

ここに、この「理論人間生命学」は、その地球に結び付いた段階の考察から、いよいよ、「宇宙圏」へと出て行く段階へとなってゆきます。そして重要なのは、東西の融合を示唆するかのように、この誕生や逆誕生関係は、まさに、「輪廻転生」のそれぞれの節目の場面を述べていることであることです。

 

宇宙への入口と出口

先に「4.1 その拡大適用」で、イントロダクションとして、「地球人格論」とそれを拡大した「宇宙人格論」について触れ、それはすでに「ガイア」と呼ばれる西洋思想でも議論されてきたと述べました。その際では後述するとしましたその議論に、以下、入って行きます。

今年6月、日本の小惑星探査機「はやぶさ2」が持ち帰ったサンプルから生命の起源の可能性をしめすアミノ酸が発見されたことが世界に発表され(下に報道記事)、いよいよ、地球生命の宇宙起源説が実証段階に入ったことを強く印象付けました。

日本を中心とする国際研究チームは小惑星「りゅうぐう」から探査機「はやぶさ2」が採取した試料(サンプル)の分析結果を10日付の論文で発表した。23種類のアミノ酸が見つかり、生命起源の解明に役立つ。太陽系誕生直後の状態を保っており、「太陽系の化石」として貴重な歴史的資料になる。

2022年6月10日付『日本経済新聞』電子版

つまり、私の一人の人間としての誕生は、そうして宇宙からやってきた生命の種が、綿々と続いてきたおよそ35億年間といわれる進化過程をへた結果、その末端での出来事として起こったとの想定が、いよいよ確実――少なくとも濃厚――となってきているわけです。

言うなれば、35億年という怖ろしく長い時間的尺度ではありながら、私の命は、生命現象の綿々たる連鎖の起源において、宇宙とつながっていることが極めて濃厚であるわけです。伝統が扱ってきた壮大ながらも想念物語としてではなく、まさに精巧な技術と緻密な構想に支えられた科学的成果としてです。

そこでです。もしそうであるならば、地球上で避けられなく起こる、そうした私の身体の死とは、そうした地球生命の宇宙起源説との絡みにおいて、まったく無関係に発生しているのかと否かとの問いは、湧いてきて当然でありましょう。

つまり、その地球上での生物体としての時期を終える際、生命体としての35億年のプロセスを体現させている――おそらくゲノムのシーケンスに記録されている――過程は、今度は逆向きですが、やってきた宇宙へと遡行してゆくと考えても、無根拠ではないはずです。

それは言わば、いまここにある自分の生命の前後に伸びる時間軸にあって、私の誕生という入口までと、そして、私の死によってそこから出て行く出口とは、すなわち、地球上生命としての極く短い時期の両端にある、宇宙に向かっての入口と出口であったということです。

ここに、上に指摘した「双対性」が示唆している、巨大な尺度にわたる、私たちの生命が依拠している往復運動、あるいは、振動性がありそうです。これもまた、その発展した議論は後述となります。

 

近代的概念としての「氣Qui」

ここに、私がこれまで触れてきた、「越境問題」とか「《死》は通過点」とかとの想像上の設定も、もはや根拠を欠く絵空事の段階ではなくなり、それはいよいよ、初期的ながらも、リアルの問題であると言ってよい段階となってきています。

そして他方、伝統的「輪廻転生」思想についても、あたかもその発想が信仰にまつわる象徴的な説話を越える、スマートな考想と相性良く共鳴しえる回路を確認しつつあると解釈できます。

そこで、ここにそういう設定あるいは仮説が、リアルとして成立濃厚とするならば、次は、いよいよ、その実証に移ってゆくということになります。

そこでですが、人間的事象に関しては、それが生命現象にかかわるだけに、いわゆる物象的実験を適用しにくい事情があります。それが、本「理論人間生命学」では第2部で議論したように、私たちの人生のごとく、十分に長い時間をかけた生存行為の実行は、それが片方で原則の適用という性格をもつばかりでなく、他方で、事実上の実験としての科学的実証過程をも意味します。

つまり上に述べた「宇宙への出入り」という想定は、私たちの無数の命の「誕生と逆誕生」という現象に間違いなく繰り返されている実証的事実です。ゆえに、それはもはや、宗教的教義や疑似科学などの域を越えた、まぎれもない実験過程を踏んだ厳密な科学として、同等の考察内容となっていることです。

そこで本省の冒頭に述べた〈「氣縁」概念のスマート化〉を確認すれば、「氣縁」という概念は、もはや東洋の古臭い伝統概念を捨象して脱皮を遂げ、近代的概念である「氣Qui」として、宇宙へとも飛翔しうる確かな概念の性格をもったといえましょう。

かくして、私たちは、世界における様々な因果関係を考えるにあたって物理的なそれを定石としてきたわけですが、その定石の枠組みを、この「氣Qui」概念を加えることで、非物質的なそれへと拡大しうる手掛かりを得たこととなります。

このように、晴れて日の目を見る「氣Qui」概念は、かつて議論された宇宙空間を埋める「エーテル」に代わるもの、あるいは、近年注目されている、宇宙空間を埋めているはずの「ダーククマター」に相当するかもしれぬ、新たな考え方の適用可能性を意味しているのかも知れません。

 

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