第0章 舞台裏を明かす

この「生命情報」とのカテゴリーでは、すでに「はじめに」のなかで、6っつの話題を提示し、その「生命情報」についての異なった角度からの具体的なイメージを表してきました。

それに続いてこの第0章との少々異例な章を入れるのですが、これは、この先に進めるための準備としての章で、必要な説明を提供するためです。

冒険的な作業

これまでの作業に、悪く言えば「闇雲に」、良く言えば「直観的に」、そしてともあれ「唐突」にでも、前に進ませることを優先しようと思います。動きのないところに、体験も発見もありません。

というのは、これまでの諸成果が、いずれも“踊り場”に達し、互ににらみ合うかのように、動きをほとんど止めてしまっています。

すなわち、そうしたアプローチ――量子理論、理論人間生物学、そして生命情報――が一定の到達を見せてはきましたが、それらはいまだ、体系的な完成はもたず、ばらばらの様相をていいます。融合の気配はあるのですが、いまひとつ、決定的骨組みが組み上がりません。どうやら、これまでの各々の並置/積み上げ方式の発展に限りがあって、何か、そうではない、新しい方式を必要としているようです。

そこで発想を変えて、その並置/積み上げ方式から、直観的に、新たな方向付けを与え、ともあれ、その次へと足を進めてゆく方式を採ろうと思います。それが有効かどうか、やってみないでは判りません。ともあれ、いまは停滞を排し、そうした〈冒険〉の時と腹をくくり、前に進むことにします。

「日誌」式の弱点

それと、この『フィラース Philearth』の記事は、制作方法として、どれも、日々刻々に、日誌をつけるように書き加えられる現在進行形の方式を採っているため、自ずからその各内容は、断続的で暫定的なものを越えられない弱点を持っています。つまり、全体の完成を備え、体系的にしっかりとした構成への途上の段階です。

というのは、たとえ羅列式にでも、具体的な記述をともあれ提示し、それらが一定の量や水準に達した際に、それを改めて再構成し、その体系化をはかりたいと想定してきたものです。

一方、あらかじめひとつの体系を完成させ、それを秩序良く提示ゆく場合、むろんこのような未成熟な方式は必要ありません。しかし、体系化どころか行方も含め、自力で見出して行かねばならない場合、遠回りや紆余曲折も含め、こうした方式は避けられないやり方です。

ことに、実際の人間生命を対象とする場合、あるいは人生にとっては、それは必然な方法であると考えます。

よって、そうした舞台裏での話を、ここに第0章として、まずは提示させていただきました。

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