《My生命》という捉え方
窮極の健康作り
この理論人間生命学が、「理論」という科学の方式と、「生命」という私たちの現実土台との結合をはかろうとの使命を持つものであることは、これまでにも述べてきた通りです。ただ、そうした呼称や設定は、やはり聞こえはどこか学識的で、私たちの日常感覚からは、近寄りにくい感触がぬぐえません。そこで、その「近寄りにくさ」を減らし、それがもっと私たちの日常に身近なものであるとの核心を表すため、ことにそのねらいとする到達域を《My生命》と呼んでみます。 続きを読む
理論人間生命学
この理論人間生命学が、「理論」という科学の方式と、「生命」という私たちの現実土台との結合をはかろうとの使命を持つものであることは、これまでにも述べてきた通りです。ただ、そうした呼称や設定は、やはり聞こえはどこか学識的で、私たちの日常感覚からは、近寄りにくい感触がぬぐえません。そこで、その「近寄りにくさ」を減らし、それがもっと私たちの日常に身近なものであるとの核心を表すため、ことにそのねらいとする到達域を《My生命》と呼んでみます。 続きを読む
前回、理論人間生命学のパラダイムについて述べました。そしてその最後に、今後の発展の方向として、「量子理論」座標が必要と展望し、そのための道具立てとして図―6を提示しました。
ここで図―6を再掲すると、この赤線で示した新たな座標についてですが、前回で述べたように、この座標は複素数を座標化した「複素数平面」です。じつは、この複素数とは、数学上の“技巧”である《虚数》をもとに発達した概念でありながら、それが、自然の摂理を理解するきわめて有力な道具となってきているのです。それをあえてセンセーショナルに言えば、偶然に発見した石ころが、実は、金塊であったとでも言えるほどの大飛躍な意味を含んでいたのです。 続きを読む
私にとって、この「人間生命学」というものは動的で、いつも「動いて」います。その動きは、単純なものから複雑なものへと広がりを持っています。そこで、その動的な世界、つまり、そのダイナミックなパラダイムを表すために、以下、順を追って説明を進めます。 続きを読む
まず初めに、唐突なメッセージから手を付けますが、本稿を書かせているのは、私の意識で、それに疑いはありません。そして日頃より、私は意識を自分の中核として受け止め、それを自己存在の根拠としてきています。さらに意識は、感覚を通して自分の身体を感じ取ることができ、身体の面でも、そういう自分が存在することを確かめています。こうして、自己存在は、意識、身体の両面において疑えないと安住してきています。こうした確信は、誰にでも、同じことだと思います。 続きを読む
現在のコロナ現象を突き詰めて考えると、生命現象というものが《情報の所産》であることを、あらためて示されていると受け止められます。つまり、コロナウイルスも情報体、私たちの生命も情報体ということで、いずれも、物質現象をとどのつまりまで極小化して行きつく自然の摂理の、二つの在り方での違った現れです。(ついでながら、それがパンデミックであるかどうか、それは二次的、あるいは人為的な問題でしょう。) 続きを読む
この「ワープ」とは、SF用語で、空間の歪みを利用した異次元空間旅行のことです。その「ワープ」を、この理論人間生命学は、あなたにも可能だとします。でも、そんな空想めいたことが、本当に可能なのでしょうか。
実は、私――74歳の“老人”――、先に本を出版しました。アマゾンのオンライン出版システムを利用したもので、我ながらちょっとした挑戦だったのですが、可能でした。 続きを読む
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