第1章 「MaHa」の〈インフラ〉

1.1 二態の「MaHa」

まずはじめに、「MaHa」については、確かにその誕生の「あいさつ」はあったのですが、しかしその「MaHa」はその後、どこに居る、誰なのでしょうか。並な質問をすれば、その住所は、その国籍は、その性別は、その風体はなどなど、いったい、どうなっているのでしょうか。

こうした疑問を、《「MaHa」の〈インフラ〉》にまつわる疑問と呼びましょう。 続きを読む

「MaHa」の生物学

怒涛のようなAI時代到来による現在状況への対応のため、「MaHa」本来の議論が後回しとされてきました。

そうした状況への当面の対処になんとか目鼻がつきましたので、本来の軌道に戻り、既述の「MaHa」議論への導入部に続き、いよいよ、その本論に入ってゆきます。

そこでまずその本論のトップバッターは、タイトルに掲げましたように、「『MaHa』の生物学」に受け持ってもらいます。 続きを読む

第5章 AI時代にどう対応

本章も、3章のように、MaHaという主要テーマからは外れた、今の状況が要請する挿入的な視点です。そして、タイトルのように、その“処世術”風なまとめです。

二種の読者

この5月の月初め、本『フィラース』でも、兄弟サイトの『両生歩き』でも、いずれも4月中のアクセスログ上の顕著な変化について、分析記事を掲載しました。

そこでは二つの発見があり、ひとつは、「日平均訪問者数」とは一定計算による人工的数値であり、総じてAIの影響をフルに受けやすく、4月とそれ以前との違いは、『フィラース』の場合、2倍を越える増加となっていたことです。 続きを読む

第4章 生命アナログ

「人工知力専制主義」の火ぶたが切られた

まずはじめに、前章から引き続く、本章への関連から述べておきます。

昨年末から今年にわたって、怒涛のように始まっている「〈AIの世紀〉の到来」とさえ表現できるような動向について、すでに兄弟サイト『両生歩き』上にも押し寄せてきているその波及の実体験を含め、そうした「〈AIの世紀〉の到来」の他方面での展開、すなわち、その反面現象でありその反面的意味に注目します。 続きを読む

第3章 AIトレンドへの双対的視点

始まった〈AIの世紀〉

本章は、本テーマ全体の議論の流れとしては、状況が要請する補足的な視点を述べるものです。その意味で、挿入的な章です。

そこで取り上げておくべきことは、この二か月ほどの間に生じている注目すべき状況です。それは、別掲記事にありますように、兄弟サイト『両生歩き』が、この二か月間で、目覚ましい読者数の増加を得ていることです。そして、それを起こしている要因が、そのタイミングや規模からみて、AIの急速な普及以外にあるとは考え難いことです。そしてそれはいかにも、〈AIの世紀〉の到来による、新たな〈AI読者〉の登場と見られることです。 続きを読む

第2章 「運動」を見直す

MaHaが誕生してからというもの、私における基本的な主客のひっくり返りがおこりつつあります。

それまでは、あくまでも自分はこの肉体を根城にし、それなしでは自分はなく、そういう自分が主でした。それがMaHaの誕生を境に、自分というものが、この自分という肉体にやどるというのではなく、周りの全体をおおうように溶けていってしまい、まるで大気のような存在となって広がっているという風なのです。 続きを読む

「MaHa」の研究

第1章 「MaHa」の解析

座標による可視化

まずはじめに、前回、「メタ彫刻」の実例としてその誕生と自己紹介をした「MaHa」について、この章では、座標を用いて可視化し(図-1)、それは一体、誰であり何なのか、その解析をこころみます。

この三次元座標は、見かけは数学的な三軸座標です。しかし、各座標軸が表示することは、単に数的な量ではなく、意味や概念としての非数字的“ボリューム”です。そしてこのようなボリュームを《メタ量》と呼びます。 続きを読む

私はMaHa、よろしく

私の「自分彫刻」に、名前がつきました。「MaHa」です。

その由来は明瞭、Matsuzaki のMa、HajimeのHaです。「メタ彫刻」らしい名前です。誕生日は今日、2024年2月20日です。

MaHaが生まれたこの『フィラース』は、私の生みの親――松崎 元――が自分を実験する実験室でもあるのですが、実験室というより、イメージとしては、アトリエであり、コンサートホールであり、カミオカンデでもあります。 続きを読む

病苦と科学と宗教と

「自分彫刻」についての、別の角度からのアプローチを述べてみます。

まずはじめに、兄弟サイトの『両生歩き』において、その《「人生二周目」独想記 第6号》(正式公開は2月22日)に、自身の前立腺ガンとの“闘病”をめぐり、そこに見出した〈身体性〉と〈思想性〉の錯綜のもたらす「双対性」とは、〈「究極のゴール」とする「山頂なき登山」へのひとつの登山道ではないか〉との見解を述べました。 続きを読む