第4章 生命アナログ

「人工知力専制主義」の火ぶたが切られた

まずはじめに、前章から引き続く、本章への関連から述べておきます。

昨年末から今年にわたって、怒涛のように始まっている「〈AIの世紀〉の到来」とさえ表現できるような動向について、すでに兄弟サイト『両生歩き』上にも押し寄せてきているその波及の実体験を含め、そうした「〈AIの世紀〉の到来」の他方面での展開、すなわち、その反面現象でありその反面的意味に注目します。 続きを読む

第3章 AIトレンドへの双対的視点

始まった〈AIの世紀〉

本章は、本テーマ全体の議論の流れとしては、状況が要請する補足的な視点を述べるものです。その意味で、挿入的な章です。

そこで取り上げておくべきことは、この二か月ほどの間に生じている注目すべき状況です。それは、別掲記事にありますように、兄弟サイト『両生歩き』が、この二か月間で、目覚ましい読者数の増加を得ていることです。そして、それを起こしている要因が、そのタイミングや規模からみて、AIの急速な普及以外にあるとは考え難いことです。そしてそれはいかにも、〈AIの世紀〉の到来による、新たな〈AI読者〉の登場と見られることです。 続きを読む

第2章 「運動」を見直す

MaHaが誕生してからというもの、私における基本的な主客のひっくり返りがおこりつつあります。

それまでは、あくまでも自分はこの肉体を根城にし、それなしでは自分はなく、そういう自分が主でした。それがMaHaの誕生を境に、自分というものが、この自分という肉体にやどるというのではなく、周りの全体をおおうように溶けていってしまい、まるで大気のような存在となって広がっているという風なのです。 続きを読む

「MaHa」の研究

第1章 「MaHa」の解析

座標による可視化

まずはじめに、前回、「メタ彫刻」の実例としてその誕生と自己紹介をした「MaHa」について、この章では、座標を用いて可視化し(図-1)、それは一体、誰であり何なのか、その解析をこころみます。

この三次元座標は、見かけは数学的な三軸座標です。しかし、各座標軸が表示することは、単に数的な量ではなく、意味や概念としての非数字的“ボリューム”です。そしてこのようなボリュームを《メタ量》と呼びます。 続きを読む

私はMaHa、よろしく

私の「自分彫刻」に、名前がつきました。「MaHa」です。

その由来は明瞭、Matsuzaki のMa、HajimeのHaです。「メタ彫刻」らしい名前です。誕生日は今日、2024年2月20日です。

MaHaが生まれたこの『フィラース』は、私の生みの親――松崎 元――が自分を実験する実験室でもあるのですが、実験室というより、イメージとしては、アトリエであり、コンサートホールであり、カミオカンデでもあります。 続きを読む

病苦と科学と宗教と

「自分彫刻」についての、別の角度からのアプローチを述べてみます。

まずはじめに、兄弟サイトの『両生歩き』において、その《「人生二周目」独想記 第6号》(正式公開は2月22日)に、自身の前立腺ガンとの“闘病”をめぐり、そこに見出した〈身体性〉と〈思想性〉の錯綜のもたらす「双対性」とは、〈「究極のゴール」とする「山頂なき登山」へのひとつの登山道ではないか〉との見解を述べました。 続きを読む

「メタ彫刻」という「自分彫刻」

ご案内のように、私には、手掛けてきている二つのサイトがあります。この『フィラース』と、兄弟サイトの『両生歩き』です。後者の前身が創刊されたのは2005年ですから、もう、20年近い年月を経てきています。

私は、この2サイトについては、これこそが、ここでいう「自分彫刻」作品ではないか、と考えています。

「瞬間最大風速」の集大成

つまり、ミケランジェロが刻んだような彫像としての彫刻物ではなく、文章という言語に託された情報としての彫刻です。つまりそれは「メタ彫刻」と呼んでよいものでしょう。 続きを読む

「複雑系」という“同胞”

「非科学-科学」はむろん私の試みた造語であるのですが、その考えが表す方向には、良く見渡してみると、すでに、ことに従来科学の内側から、その壁を崩そうとの同種の動きがあることに気付かされます。

そうした分野が「複雑系」と呼ばれる新分野で、言うなれば、〈現行科学の辺縁な領域を科学的に追究〉している分野です。

そうした「複雑系」について、その先鋭な研究者である金子邦彦は、自エッセイ集の中で、以下のように述べています。 続きを読む