「近量子生活」の新設

 

はじめに

上のメニュー表示のように、新たなサブサイト「近量子生活」を設けました。

早い話が、この「近量子生活」とは、いよいよの「越境生活」の始まりということです。言い換えれば、「この世」と「あの世」との境界を越えて行く生活の始まりです。量子理論用語をもちいて言えば、「非局地的」な生活へのフォーカスです。あるいは、ちょっとおどろおどろしく言えば、霊魂世界への踏み込みです。

それを「近」すなわち〈量子生活の一種〉と捉えるところがミソです。

ただし、この「越境」とは、ふつうに考えられるような白黒明瞭な「境目」や「線引き」があるという実感ではなく、限りないグラデーションを伴い、少しづつ変化してゆくといった、そんな感じの「越境」です。

ですから、人によってはそれがそうとはなかなか気付けません、そしてそういう私も、その実例でした。

そういう次第でこの新タイトルは、「生活」と題されているように、日々の生活の描写であって、「理論人間生命学」のような体系だった話の展開ではありません。ですから、その毎回の記事のスタイルも、エッセイ風なものとなってゆくはずです。

また、そうした境界線のことは、一般に、「死」と背中合わせのことと理解されるのが通常です。しかし、事故性の高いそれの場合には、確かにそれは「線」をなすと言ってもいいものでしょう。しかしそうでない場合、そうした受け止め方は誤りで、本当は、けっこう身近で、連続的で、親しみすら伴う、「生きた生活現象」の一面であるものです。

こうした視界に目を開かせてくれたのは、別掲の「〈出来なくなる体験〉=〈小さい瀕死体験〉」の8月10日付の記事にあるように、そうした一連のネガティブなことと出会う体験でした。

そしてそこに述べられている〈小さい瀕死体験〉にみられる「乖離」といってもいい現象があり、それというのは、それこそ牽強付会して考えてみれば、量子理論に言う「観測問題」、あるいは「量子現象」のマクロ界での現れでないのか、という私流の気付きです。

そこでここに、「近量子生活」という新タイトルを設け、この気付きをもっと広くかつ詳細に描いていこうとするものです。

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