あるエイリアンからの投稿

乗り合わせたUFOが地球近くを通りかかった際、傍受した地球の諸通信から偶然、貴サイトの「セルフ生殖社会」というタイトルを見つけた。

私は地球人ではなく、まして、地球人の生殖方法であるという男女による両性生殖というものを知らない。私の星の人間の生殖は、単身で行う「セルフ生殖」だが、地球からそんな同名のタイトルが発信されているのをキャッチし、驚くと同時に大いに興味を掻き立てられて、この投稿を書いている。

私の星では、遠い太古に、地球人のような両性生殖をおこなっていたとの記録はある。それが、男女による両性生殖では、生まれた次世代の生育責任が二分し、時には紛争すら生じて、子供世代の成長や親の責任や出費分担などに深刻な影響も起こり、将来の子供の人生に決定的な影を落とすまでになった。そこで、そうした問題を避けるため、親責任の一人化が目指され、究極的には、生物としての生殖過程において、それに向けた改良、進化が果たされてきた。

その片親化は、当初は、法律や制度的なものから手を付けられたが、それを追うように、長い世代を要して、医学上や、生物学上の単性生殖が可能となるようになった。そしてもうここ数世代では、親となること、つまり、子を持ちたいと希望する人は、単身でも、その旨を所定機関に申し出て、自身を妊娠状態にする一種の手続きを行い、それをへて親となれるようになった。

技術的に、この妊娠状態の獲得は単身でも可能だが、劣性遺伝を避け、また、希望する別の遺伝子をもつ胎児とするため、自分以外の生殖細胞も混合して受け取ることとなった。むろん、時の流行りや、誰もが好む選択の偏りを避けるため、遺伝子情報の一定割合は、ランダムな組み合わせが行われている。

私の星での古い物語には、両性生殖時代の逸話や、それに伴う異性間での生殖細胞の交換行為があったとの話がある。現代の自分たちから見れば、それはなんだか申し合わせたゲームのようで、どれほどまで真剣になれたのか不思議な気にもさせられる。それが、当時のその二人には、一時の感情が高揚して、その交換行為が推し進められたとされている。そして他方、そうした感情高揚にはおのずから無思慮が伴いがちで、また、時には暴力的な行為すらもあったようだ。そして記録には、そもそもそうした感情依存の交換行為こそが、その後の問題の根源となっていたと記されている。

むろん、その感情作用には、思いが燃え上がる一定の享楽があったようだ。そうなのだが、それも、生命維持のためにプログラムされた生殖適齢期に合わせた自動興奮作用によるもので、いわば生物機械的なものであったとされている。それを誰もが、人生の最大の楽しみのように一様に解釈する風習があったようである。

現在、私の星では、そうした享楽と一面よく似た反応で、地球の言葉では「愛」と言われるものに近い、人間同士の心情の交換作用がとても重要視されている。しかしそれは生殖目的のものではなく、誰もが誰もに与え、誰もからも受け取るという、もっと広範な社会的なものである。

もちろん、私の星の人たちは十人十色どころか万人万色で、その多様性は無限の広がりと深さがある。それでも、長い人生を、一緒にやって行こうと気の合う者たち同士が、地球でいうカップルや家族と同様なものを作って、共同の生活を楽しんでいる。むろん、共同を嫌って、一生、独身ですごす人も少なからずいる。

私はこの投稿をもって、地球の人たちに、私たちの流儀を押し付けるとか、先行体験を教えるとかというつもりは少しもない。でも、私たちが行っている方式やその背景を知ってもらうことと、地球で行われているその両性間の交換がいったいどんなものか、好奇心からも、知ってみたいと思っている。

ことに、そうした 両性間の交換 は、身体も健康な若い時に済まさないと、生殖も遅れ、人生計画もくるってくるはずだ。したがって、そうした人生経験もまだ未熟な若い時に、しかも感情に頼って、その一生ものの判断がどれほど正しくできるのか、そこにさらに関心がある。きっと、当たり外れも大きく、それも人生の味としてしまえばそれまでだが、社会システムとしては、無駄の多い問題含みのものではないかと思われる。

私の星では、その辺のところが、いわば、ある意味で無難な、ある意味で統計的な一定幅で選択されるようになっており、たしかにその意味でドラマ性を欠く一方、安全性は格段に増している。むしろ、そうした次世代の生産という人間社会の共通土台部分は、不幸の根を絶って安全無難に固められ、それを基礎にしたより上部の働きにおいて、それぞれの個人が、自己の個性をフルに生かした可能性の花を咲かせる社会になっている。

聞くところでは、地球社会は「高齢化社会」へと移ってきており、誰もが長生きするようになっているようである。私の星も、人が長生きするというか、いわゆる子育て時期を終わらせた後の、後半人生の時期が長くなってきている傾向はある。

そこで、生殖段階を果たす前半人生では、社会形成のために次世代の「セルフ生殖」方法が効果的と選択されてきた。だが、後半人生では、もはや次世代生産は完了し、それへの貢献は問われない。そこで、そうした義務から晴れて解放された人生後半を有意義に送るため、自分の再度の誕生、すなわち、先とは別な意味での「セルフ生殖」が、まさしく最重要課題となってきている。そして、そのようにして再充電した、しかも十分な人生経験をもった人たちが社会にもどってくるのは、社会にとっても、その深まりを増す、重要な要素となっている。

このへんの、人生後半の再度の「セルフ生殖」は、高齢化に移ってきているという地球ではどうなのだろうか。まだまだ、残された時間を楽しむ程度の、余生の扱いとされているのだろうか。

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