2.2.2 「生きていく」思想(その2)

 思想体系という利器

用語上の原点

ところで、「理論人間生命学」がになうの最大の課題は、いわゆる「科学と非科学」の境界をどう突破し、すでに述べてきた「二重性」の融合がどのように達成されるのかの探究にあります。この問題は、ある意味では、人間の文明がかかえてきた懸案と言ってもよい課題です。

その「 理論人間生命学 」と、本章で取り上げてきている思想体系のひとつとしての「 〈いのち〉の 普遍学」の両者は、互いの起点や意図するカバー領域がちがい、おのずから、用いられる用語にも、趣旨する内容は同じでありながら表現は異なっています。

そこでまずはじめに、著者が明確に述べているもっとも重要な用語法から見てゆきます。

本論考の(その1)で、著者の若い頃の同僚との議論に触れましたが、著者はそれを再度とりあげ、以下のように述べています。

同僚の科学者の問題意識を「現象」、私の問題意識を「存在」と仮に名づけることにしましょう。近代科学は様々な自然現象の法則性を明らかにすることを目的とする「現象の科学」であり、私自身がもう四半世紀以上も考え続けてきたのは「存在の科学」なのです。人間を例にして考えてみると、「現象」とは個人(観察者)の外側に分離して観察することができる外在的世界のできごとであり、その観察者が今度は「そもそも、いま、ここに生きているこの自分は何ものであろうか」と、分離することができない自分の内側の「〈いのち〉の世界」のできごとを考えるときに生まれてくるのが「存在」です。両者の問題意識の差は、生きものとしての(広い意味での)主体性を問題に入れていないか(現象)、それとも入れているか(存在)です。

『〈いのち〉の自己組織』p. 14-5

すなわち、「理論人間生命学」とこの「〈いのち〉の普遍学」は、共に「存在」を扱う基本姿勢は共通しており、ことに前者は、この「自分の内側」のできごとを、体験のもたらす発見として、一貫してその重要さを捉えてきています。

「内在的世界」と「外在的世界」

「理論人間生命学」では、生活者の立場に立って「二重性」という視点を重視しています。すなわち、現在の私たちは、「持てる」者でない限り、生きて行くために、被雇用者でなければならず、「仮の自分」という自己疎外にさらされています。それはむしろ、その疎外意識がゆえに、必ずしも「思想」にたよらずとも、直観的にその「二重性」を見出しています。

そのような「二重性」に対し、この思想体系においては、「共存在の原理」の視点から、生命界を「内在」と「外在」を分けて捉えます(下図)。つまり、私たちの〈いのち〉が存在する「内在的世界」と、それを失った自己中心的な「外材的世界」というものを置きます。

『〈いのち〉の自己組織』p. 35

この「共存在の原理」とは、たとえば、私たちの身体と、その身体を形成する無数の細胞とは、互いに依存し助け合いながら「共存在」すると捉えます。また、この「共存在」の事例は、人間と地球という関係においてもそういえます。そして、「〈いのち〉の共存在」が、そこにあると見ます。つまり「居場所」としての〈いのち〉があり、それが「内在的世界」です。したがって、個々の人間は〈いのち〉としての地球という「居場所」にあるところの〈いのち〉であるわけです。そして、こうした「身体と細胞」あるいは「人間と地球」といった二重の〈いのち〉の構造を「二重生命」と呼びます。

つまり、「理論人間生命学」における「二重性」とは、一種のネガティブな意味を含ませた、私たちの存在の「二重性」を指していますが、この思想体系では、〈いのち〉そのものが二重の構造を持つとして、とくにネガティブ性は含ませていません。言うなれば、現代の私たちは、そういう本来の「〈いのち〉の二重性」が認識できないまま、自分が強制的に自分の外在的存在にされている違和感がゆえに「二重性」を感じているということとなります。

このように、つながっているはずの「二重の〈いのち〉」という思想上の「二重性」と、それが分断されている現実の違和感という体験上の「二重性」というわけです。言うなれば、同じ〈いのち〉が、片やあるべきものとし、他方は欠けている、とする対比です。

時間と空間の二面性
「点灯」の普遍性へ発展

前回に右図を示した際、点灯した意識の持つ「二重性」の認識について、「時間軸にそう「移動性」という重層体験 ――いくつもの断面における「感知→編集→表出」のサイクルの繰り返し―― 」の確からしさは、「量子理論の援用をもって新たな進展をしてきています」と述べました。つまり、ここでキーポイントとなるのは、このらせん運動の意味です。

『〈いのち〉の自己組織』〔p. 109〕で著者清水博は、「居場所における〈いのち〉の生成と消滅に必要なのは、活きとしての時間と空間です」と述べています。そしてそれは、「相対論的な四次元空間と、量子論の主客非分離です」とし、「時間と空間とを相互に分離という意味でのドラマの舞台としての四次元空間――空間の活きが時間によって変わり、またその逆も言える――と、内在的世界の主客非分離です」と述べています。

これこそ、この右図に示したイメージを思想的に表現したものと言ってよいものです。ことに私は、ここで使われている「主客非分離」という用語の意味は、量子理論で言う「非局地性」に当たる概念であると考えます。(これは数学にうとい者の邪推ですが、ここまで来れば、この図をもとに、これらの関係を数式で表記するのももう一歩ではないかと思ったりもします。)

また、次章で述べるような別領域、すなわち宗教にいたる見解として著者は、1200年生の禅僧、道元の『正法眼蔵』の「有時の巻」からの言葉を引いています。「いはゆる有時は、時すでにこれ有なり、有はみな時なり」〔『〈いのち〉の普遍学 』p.58〕。この「有」とは存在のことで、この道元の言葉を言い換えれば、「いわゆる存在と時について、時とは存在のことであり、存在とはすべて時である」と述べていると私は解釈します。上図のように、すべての存在は意識の中にあるのですから、この道元の言葉は、まるでこの図のことを語っているかに受け止められます。

2.2.2.2 「ギャップ」へのアプローチ

「ギャップ」と人生

以上の議論をまとめれば、「理論人間生命学」を手掛けることとなった私の最初の動機は、「科学」と「非科学」との間のギャップ、言い換えれば、「科学」を「非科学」その方向への拡大にありました。同じような動機はまた、「生」と「死」の間にも存在し、そのギャップに臨んでゆくことを「越境」とか「越界」とかと呼んできました。

間違いなくこの問題は、人間の端緒にして永遠の問題であり、その意味で、解決点への到達のない作業であるのでしょう。

そのような広大な問題意識のなかで、私は、それでも、もっとも手掛かりの確かな突破口が、二つの科学の領域で開けられつつあることに注目しています。

その一つが、量子理論による、「双対性」とか「局地性と非局地性」といった専門語で特定し始められている、従来の非科学の分野が、科学の領域に入れられつつあることに注目します。

その第二が、生物学の領域で、〈いのち〉という、物質と非物質が交錯しあう分野の開拓で、それを「生きていく思想」とよんで、私が「理論」として扱う、同様の視点を広げてきています。

そうした「学」としての発展を、私は、生活者/人の場に立ち還って、そうした前進を、私たちの生活、つまり、人生の知見として、取り入れて行きたいと展望しています。

「夢」という捉え方

最後に、清水博は自分の「生きていく思想」のまとめとして、「夢のクオリティ」とのタイトルのもとに、次のように述べています。

夢は、居場所とそこで生活する人間とのかかわり合いのなかから生まれてきます。だから夢のクオリティは、その居場所の未来がどこまで広く、深く、また遠く先まで考えられているかによって決まると、私は思います。たとえば、自分が生きていく居場所を広く考えていけば国際社会となり、深く考えていけば生きとし生けるものの〈いのち〉の居場所である地球となり、また遠く先まで考えれば、その地球の未来になります。クオリティの高い夢は〈いのち〉の倫理に接しているのです。〔中略〕

世界を広く眺めてみると、一国の政治家、企業の経営者に、夢のクオリティの高さが要求される時代に確実に移ってきています。このことを理解できない人びとにリードされる国家や企業は追い詰められていくでしょう。これは住民にも当てはまります。夢のクオリティを決めるもの、それはその人が抱いている哲学のクオリティなのです。クオリティの低い夢には〈いのち〉の倫理につながる哲学がありません。

〔中略〕もう、合理思想だけでは生きていけない時代が来ています。

〈いのち〉の普遍学』、p. 315-17。

以上のようにいくつかの「ギャップ」の問題を総合して《世界観上のギャップ》と呼ぶとすると、それを、存在するものの認識上の問題として捉えるのではなく、そうした人間の認識能力を超える――知らなくても在る――あらかじめ所与の問題として捉えるのが宗教の本来の分野です。

それこそ、「宇宙誕生」はおろか、まずはじめに「言葉ありき」とされるわけですから、それは科学論争とは噛み合いません。

このようにそのギャップを宗教としての立場でみることを、誰も「無いことの証明」が出来ない以上、どんな見方であろうとその存在は否定しきれません。そういう意味で、私は、神の存在の否定をしようとは思いませんし、そのような能力を超える世界への窓は開けたままにしてあります。

次の章では、そういう「開かれた窓」を通じて、この宗教の問題を見ておきたいと思います。

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