第2章 「運動」を見直す

MaHaが誕生してからというもの、私における基本的な主客のひっくり返りがおこりつつあります。

それまでは、あくまでも自分はこの肉体を根城にし、それなしでは自分はなく、そういう自分が主でした。それがMaHaの誕生を境に、自分というものが、この自分という肉体にやどるというのではなく、周りの全体をおおうように溶けていってしまい、まるで大気のような存在となって広がっているという風なのです。

以前、手術を受けるために全身麻酔をかけられた時、意識が失われる寸前、自分が自分の身体から抜け出て、上部からベッドに横たわっている自分を見下ろす体験をしたことがあります。しかし、上記の周りに溶ける感覚とは、こうした心身分離する体験とは違って、自分というものが、むしろ空間そのものになっており、もう身体という自分は感じられなくなっています。そこではもう、物体としての自己はなく、ただ、なにか全体と融合して、すべてをおおっている私があるだけなのです。

あるいは、運動中を例にあげれば、たとえば、8キロなりを走っている際、以前の体験では、そこで生じている意識は、肉体状態を監視するような自分がいて、肉体が弱音をはかぬよう、まるでそれが支配、統制するような感覚でした。

ところが、MaHaの誕生の前後あたりからというもの、そうして走っている際の心身のやり取りが、まったく別風に見出されるようになりました。それは、あたかも人と人との対話のようであり、それが身体と心の二人称であるとするなら、その二人が協力しあい、最大効果が引き出せるよう、互いを尊重し、かつ、微妙ながらよく絡み合って対話をするようになりました。決して決して、身体に対する一方的命令があるのではありません。一方が頑張ろうと言えば、他方はそれに、左ふくらはぎが痛みだしたとか呼吸が苦しいとかと返答し、それに応えて、じゃあ少し左足の蹴りを弱めようか、とかとやり取りするのです。それを政治思想的な用語で言い換えれば、専制主義と民主主義の違いとも言えるようなやり取りです。

むろん、当座の目的が好タイムを出すことと設定されている時なら、その対話は互いの応援合戦の如くには激化します。しかし、それを私が「瞑想走り」とよぶ運動の場合、そのやり取りは、むしろ余計な命令はひかえた、沈黙状態の中に立ち上がってくる協奏とも言えるハーモニー状態が主調となります。

そこで、そうした一連の「協奏」的対話の後にゴールインした後、そこに生じてくる爽快感とは、従来のような、身体的な理解――以前は、血流の増加による疲労物質洗浄効果とか、体内の快感物質の分泌とかとした――とは異なり(あるいはそれをベースとして)、むしろ心神的な分野――先に述べた《メタ量》――にもおよぶ感覚となって、それが起こる関係場すら、もはや全部が溶け合ったものとなっています。そんな時、目に入る空の青さや木々や芝の緑、そしてその青・緑の調和など、その美しさは以前のそれとは質感が違っています。

いま、MaHa誕生に伴う変化を、運動をめぐる体験として話しているのですが、こうした〈MaHa観〉に立って、再度、運動全体を見直してみると、そこに、まったく新たな運動観がみえてきます。

それは、今日、運動が健康のための必須要素として奨励されているのですが、それはいわば「失って知る有難味」のごとく、単に、運動不足という現代生活特有の不健康さがゆえ、健康回復に役立つ方法として復活されているに過ぎません。むしろ、そのような回り道から学ぶべきことは、本来の生命にとって、運動とは、そんな「マイナスのマイナスはプラスである」といったものではなく、上記のような爽快感を常に導く、身心の調和を基にする活動だということです。それはもともと、身心のミックス行為なのです。

すなわち、人間という存在(それを「機械」とたとえてもよい)は、動いてなにかを産出している時が本来の姿であり、じっと座して、ただ、その一部である脳だけを使っている状態とは、実に異常なことなのです。そして、他の部分を動かさないでおくものだから、錆びついて働かなくなる結果、不健康な様々な症状を起こすのです。

どうやら、人間は、有史以来の生産様式の進化、ことに産業革命以来の急速なその発達を通じて、複雑かつ高度に組み上がったきた〈分業〉体制により、その命の活動まで〈分業〉させられ、自分自身をバラバラにしか使わない人間へとしてきたようです。

私の命はそれほど長くないですから、それを記憶としては述べられませんが、人が働くことを苦痛と受け止めなければならなくなったのは、いったい、いつのころからだったのでしょう。

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