ユートピア地球

先に「バーチャル地球」という考えを提示して、それが人類のこれからの生存環境となってゆく事実上の地球という意味で、「バーチャル」と呼びました。

そして、「バーチャル地球」を、「局地」「移動」「理論」という3軸からなる3次元空間としてそれを定義しました。ただ、この定義には、その発展過程を「直思考」と呼んで論理的には意味をなしていても、感覚として飲み込みにくい嫌いがあります。

生きずらい現在の地球ではない、もっと快適な地球という意味では、それを直接感覚に訴えて「ユートピア地球」と呼び替えても、イメージ上はほぼ同等です。

よってここでは、イメージしやすくほぼ同義な「ユートピア地球」という用語をもって、「バーチャル地球」にかかわる議論を進めてゆきたいと思います。

スーパーシステム

別掲の記事(「無から有を生む仕組み」9月22日更新)に述べている――そしてこのコロナ状況に必見の視野でもある――ように、議論を推進する有効な道具として、「免疫」という生物学上の分野が注目されます。それは当初、私たちの身体がもつ、外敵から体内環境を守る防衛システムとしてまず認識され始めたものです。それが、ここ数十年の分子あるいは情報生物学の発展とあいまって、免疫系の機能は、単に身体を防衛するにとどまらず、生命自身の発生から進化にも関与する、もっと根源的な機能を果たしている「スーパ(超)システム」であることが解明されてきています。ことにこの用語の提唱者で世界的免疫学者、多田富雄〔1934-2010〕はこう述べています。

私は、免疫系や脳神経系のように、自ら「自己」というものを作り出し、「自己」の反応様式を形成し、「自己」の運命を決定してゆくようなシステムを「超システム」とよぶことを提案した。「超システム」は基本的には、自ら作り出した「自己」を持つシステムである。

〔『多田富雄のコスモロジー』p.78〕

そうであるなら、「スーパーシステム」とは、片方では、悪質ビールスの検出に当たって防衛機能を果たし、他方では、生命のもつ生命ならではの能力である「自己創生」あるいは「オートポイエーシス」の発生源であると言えます。そしてそれは、身体が「自己」と「非自己」の違いを検出しつつ、必要なものは取り込み、不必要なものは排除して、成長あるいは進化をもたらすプロセスを支える能力であるわけです。

そこで、こうした生物界における免疫学上のフィジカル分野の働きとしての「スーパーシステム」にとどまらず、私はあえて牽強付会に、それを意識の上でのメンタル分野の働きへと延長適用し、それこそ、私自身の「スーパーシステム」機能の発動の機会として使ってみます。

つまり、「自己」を「自我」、「非自己」を「他者」と置き換えた場合、個人の発達過程において「自我」が形成されてゆく社会的プロセスは、メンタル世界においてこの「スーパーシステム」が働いたゆえと見なせるわけです。言い換えれば、社会環境における「アイデンティティ」の形成のプロセスです。

移動の「直思考」なイメージ

ここで、「直思考」を通じたこうした仮説を理論面から検証しておきたいのですが、以下のように、先に示した「バーチャル地球」の三軸図を「ユートピア地球」と呼び替えて、再度、掲示します。そして、この未来地球での日常を、やはり直接感覚的にとらえやすくするため、そこでの自動車/ビークルの運転にたとえてみます。

このバーチャルな創生世界である「ユートピア地球」でのビークルの操縦ですが、まず、下の三軸図における「理論性」軸は、言わば自動操縦までもはたす「ナビ」で、自分が到達したい目的構想をそれに指令します。つぎに、「移動性」軸は、移動装置としての「車/ビークル」ですが、地理的移動にとどまらない次元的移動を可能とする装置です。そして「局地性」軸は、その移動する地理的空間に当たる「街」ですが、その空間尺度は線的な数量ではない、たとえば「きっもちいー!」といった、多次元的変数です。

こうしたユートピア系環境を考える際のポイントは、3軸のそれぞれの変数をイメージするにあたって、「双対性」や「境界」を念頭に、その「越境」を実行するところにあります。言い換えれば、生命の仕組みがそれを成してきた「スーパーシステム」すなわち「自己創生」のシステムに、私たち自らの意識を乗せてしまうことです。言うなれば、旧来の地球を支配してきた生きにくいどころか自滅の堂々巡りに背を向け、生命創生のシステムに乗り換えてゆくことです。

繰り返しますが、「スーパーシステム」は、架空や絵空事ではありません。38億年前の原始生命の誕生以来、一刻として途切れることなく、綿々と続けられてきた実際の生命のシステムに、私たちが立ち返ってフォローして行くことです。つまり、そこから逸脱してきていたのが近代の人間の営みであり、その結末としての環境破壊や異常気候の発生なのです。

国家アスペルガー症候群

すでに別掲の「『情報』とは自分をつくる構成要素」で述べたように、人間自身、ことにその意識は、発生および発達過程での生物情報の作り出した産物と見なせます(意識を自分のものと感じるのは原因と結果をひっくり返した幻想あるいは思い込みです)。すると、その発達過程で提供される情報のなんらかの偏りが、その人の意識ひいてはその人格へのそれに応じた偏りをもたらすだろうと考えるのは合理的です。

それを社会心理の脈略で見直してみると、どのような社会にも、歴史や地勢条件によって、そうした偏りや逸脱を持っていると考えるのも合理的です。

このような人格的そして広くは社会的な偏りあるいは症状として、各々のレベルでの、自閉症やアスペルガー症候群が起こってきます。つまり、個人の精神医学上の障害である自閉症やアスペルガー症候群があるように、社会や国家レベルでの自閉症やアスペルガー症候群が考えられます。

すなわち、人間の人格形成過程で、与えられる情報が一方的な言わば悪質ビールス的なものばかりであった場合、その人格は、攻防機能ばかりが発達した、偏って戦闘的な特徴をそなえてくるものと考えられます。これが典型的なアスペルガー症候群の症例で、敵味方あるいは黒白の区別をしなければ気が収まらない、あるいは、その場の微妙な空気が読めないといった人格的偏りです。これに対し、与えられる情報が、人間社会の多様性を映した含みあるものであった場合、形成される人格は、そうした様々なニュアンスを感じ取れるものとなり、その場の空気が読める能力をもつものとなるでしょう。こうしてその人は、スムーズな人間関係を築くことが可能となります。

ここでさらに視点を広げ、この アスペルガー的な状態を、個人から社会そして国へと集団化してみた場合、目下の、あるいは歴史的な国家間の対立は、まさにこの戦闘的メンタリティーが国家レベルで集団化したものと見なせます。

つまり、各々の国の文化、歴史、国民性は、ことにその特性やその国らしさが強調される場合、そうした アスペルガー的な偏りを、意図の有無にかかわらず、集積させてきたからがゆえのものです。そしてそこには、「非自己」を受け入れることを、あえてその国らしさという名目をもって拒否するがゆえのものです。そういう意味では、いずれの国も“国格”の偏りを過剰に抱えており、互いに互いをビールス視していると言えます。

そしてそうした様々な国の“国格”の偏りの集合体というべき地球は、そうした戦闘的特徴がまさに絡み合った混迷状態とも言え、それを一個の身体にたとえれば、多種のビールスに侵入されて正常な機能を失った病的状態と言えます。だからゆえの、目下の全身的「パンデミック」状況です。

そこで上の一個の身体機能に戻れば、そこにおいては、そうした混迷を制御する「スーパーシステム」が備わっています。そしてその脳神経系や免疫系がたくみに働き、そのおかげで人間は、今日までの進化を果たしてきています。

つまりいまや、そうした「スーパーシステム」の地球レベルへの適用が試まれるべきと考えられます。

「ユートピア地球」とは、この「スーパーシステム」が機能している、少なくとも、ことにそれが目指されている地球のことです。

人類はいま、自分たち一人ひとりが持っているその「スーパーシステム」の機能をあらためて理解し、その原理に立ち返って、これまでのようにそれを集団的に破壊するのではなく、逆に、集団としての国そして地球におけるその免疫系を働かせてゆく必要があります。単に、カーボンゼロといった産業集計上の数字合わせで解決する問題ではないでしょう。

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