第6章 結局、「科学」って、何?

二本の柱

本2023年のその年末に向かって、建ち上がってきている二本の柱があります。

その第一は、12月初めより始めた、兄弟サイト『両生歩き』の「リタイアメント・オーストラリア」への、《「人生二周目」独想記》の掲載があります。そしてその12月22日号に「山頂なき登山」とのタイトルの次記事を載せます。そこに述べられる要点は、「ガン付きの健康」を持ってする自人生の究極のターゲットは何か、との問いです。

その第二の柱は、この「生命情報」において、「非科学な科学」とか「人々を蹂躙しない科学」とかと称して、「私たちの『科学』」について、5章にわたって述べてきました。そしてこの第6章で、表記のよう「結局、『科学』って、何?」との煮詰まった問いに答えようとしています。

つまり、その「究極のターゲット」とは、他方で開拓してきたところの、その問われる「科学」ではないのかという展開です。

そこで、まず本章の冒頭に、このようにシンクロニシティの一例かのように建ち上がってきている、二つの視界が相互に照らし合う〈双対関係〉を指摘しておきます。

《メタ芸術品》という産物

つまりここに、視角は違いながら、二つの「問い」という形で提示されている〈情報コンテンツ〉が描き出すひとつの世界が見えだしているとの合致が、その「私たちの『科学』」ではないかというものです。

このようにして、二本立てのサイトが創り出している〈情報コンテンツ〉の世界について、私はそれを、私にとってのいわば“芸術”作品と考えています。つまり、もはや私にとって、「科学」と「芸術」の区別は無意味にさえなってきています。

ただしそれは、いわゆる文学でも、絵画でも、映像でも、もちろん音楽でもない、今日風にしいて名付ければ、《メタ芸術品》という、芸術作品です。

したがって、上記の《「人生二周目」独想記》の「山頂なき登山」で言う「海図なき航海」あるいは「山頂なき登山」とは、まずは、こうした《メタ芸術品》としてのコンテンツを創作してゆくことにあると考えます。

したがって、第5章で予告した「新たな方法が実際に行われ、新たな可能性が開かれてきている現実の分野」についても、その内容は、この《メタ芸術品》の個々、あるいはその総体ということです。

ただし、その《メタ芸術品》の最終的な産物は、形態としては、まず、こうしたネット上の製品です。しかし、その背後と基盤にあるのは、自分の人生という《実験》による産物であることは、大いに強調して強調のし過ぎはない、そして厳密に、「科学的」なものであることです。

別な言い方をすれば、このネット上の形態としての「仮想上の世界」と、私の「現実の世界」とは、背中合わせの《双対性》関係にあるものです。つまり、《メタ芸術品》と言っても、いわゆる「仮想」のものではありません。

それが「科学か?」と言うなかれ

以上のように述べると、それがいわゆる「科学」なのかと疑問を呈されるでしょう。

もちろん、それが従来の科学ではないのは言うまでもありません。

したがって、それをどう呼ぶのかは、現在のところ「私たちの『科学』」としておくしかありません。

名称はともあれ、肝心な点は、主客が悲劇的にも転倒されがちな私たちの生き方,、生かされ方にあって、そういう権威化した科学へのまさにオルタナティブな中身である、「非科学」であるということです。

ともあれ、まずは22日の「山頂なき登山」をご覧ください。

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