1. 過去へのポータル


ポータル(玄関口)を通って「過去」へと入って行く世界は、実務的には、子供時代からの記憶の掘り起こしです。

そうした遠い昔の思い出は、ほんの十数年前までは、〈他愛もない子供心の世界〉と、さほどに気にも留めていない、それこそ些細な事象でした。

それが、量子理論に接し、その難解な世界解釈を自分なりに作り上げる中で、例えば「局地」と「非局地」という、実に耳慣れない用語をもってものごとを捉えられるようになり、それが、一連の過去の思い出を根こそぎに見直すきっかけとなりました。

その見直しの決定的な契機となったのが、私が愚かな事故を起こし、瀕死の体験をしたことです。つまり、片やで、自分の身体がまさに危うい状態になってゆく、つまり瀕死の状態――医者は生死は五分五分との診断を下していたという――に陥ってゆくのを体験しつつ、その他方では、いかにも冴えわたった自分の意識があって事態を静観しているのです。そうした明と暗そして動と静という軌道を異にする対比を、《実》体験していたのでした。

端的に言えば、そうした対比が、この「非局地」と「局地」という対用語の理解につながりました。つまり、明晰に冴えわたった私の意識という「非局地」と、刻々と「半死」状態におちいってゆく自分の身体という「局地」です。それを言い換えてこの対用語を一般化すれば、〈意識〉と〈身体〉、あるいは、〈心〉と〈現実〉といった対比にも適用でき、その平板な対現象の意味を根底から深めるきっかけになりました。

さて、そういう前置きをもって、自分が子供のころ以来に体験してきたことを思い出そうとするわけですが、それは一種の、常識というふるいにかけられ、なかば捨て去られてきていた事々を、再度、拾い直す作業とも言えます。
 

1.1 興味や好きなことって、どこからきたのか

誰にだって、また大人になってからだって、ものごとの好き嫌い、あるいは、得意不得意というものがあります。そうした言わばプラス・マイナス両面な習性を身に着けることとなった発端を探れば、それはどんどん子供時代へのさかのぼってゆきます。

そしてそのさかのぼり作業は、まるで、物質の素を探ろうとして、物理学が物質のより小さな部分へと分け入り、ついには、素粒子という、もうこれ以上細分できない超ミクロ部分に到達するような作業とも似ています。

あるいは、宇宙の起源を探り、どんどん昔へとさかのぼっていった、そのとどのつまりに考えられることが、ビッグバンと呼ばれる爆発を起点――138億年前とされ、それ以前は無だった――に、さまざまな物質が出来てきたことが知られてきています。

むろん、個人の起源は、個体としては、生殖現象として親の代における卵子と精子の受精に始まるわけですが、類としての生殖細胞の起源である生命の素をたどれば、40億年昔と言われる地球上における生命の発生にまでさかのぼってゆくこととなります。

つまり、地球形成の歴史はさておくとしても、そんな綿々たるつながりをもつ生命連鎖の歴史をぬきにして、どうやら、自分にまつわるそうした雌雄やプラス・マイナスの対比ある性質も理解できないこととなります。

そうした深奥な両面性をはらむ自分自身は、生命史のその長大な過程を背後に個体として発生した、いわゆる誕生が起点となります。そして成長過程を体験しつつ、社会と出会ってその規範というふるいをかけられ、いやなものを無理やりやらされたり、好きなことを密かに隠れて追求したりといった、裏と表に分離した自らの生存姿勢を身に着けてゆく社会的過程をへてゆくこととなります。

こうして個的かつ社会的に形成された自分たる自意識は、主観的にはいかにもそれが世界の中心であるかに受け止められようとも、実は、こうした生体的・社会的個体形成をインフラとした「ホログラム存在」(映画館現象)であることを越えられないわけです。

そうして地球中に出現した無限の多様性のなかのほんのひとつが自身であり、またホログラムたる自意識であり、その形成過程において体験してきた記憶内容を、いま、こうして過去というポータルを通して見出そうとしているわけです。

それを、近年の遺伝生物学あるいは情報生物学の知見に立てば、そうしたつながりは、個人のDNAに記録されており、どこまで解読されるかどうかはまた未知数ながら、それを読み取ることで、個体の特定がかなりの精度で行われうる段階にまでは達しているわけです。

つまり、タイトルの「興味や好きなこと」とは、そういう個人としての特殊性の一つ一つであり、それは厳密な意味で、個体的、社会的な綿々たるつながりを背景とした産物であるものです。

 

1.2 誰も教えてくれなかったのに知っていたこと

よって、人が物心ついてから記憶として残っている事々の以前から、意識の閾値には登ってこない、無数の既定条件や情報があったはずです。

この「意識の閾値」以下の潜在情報こそ、このタイトルの「誰も教えてくれなかった」結果をもたらすその発生源です。したがって、それがどこから来たか、それは主観的には、意識の記憶に登る以前の産物であるがゆえに、いかにも不思議なできごとではあります。

子育てをしていて体験するような、成長する子供が見せる不思議な知恵、あるいは、その出所の知れない奇異な行動などなど、そうした謎の現象の起源は、こうしたところに潜んでいるものと考えられます。

 

1.3 テリトリー

そこで、私が子供であったころの、自分の記憶に残っているそうした事例をあげてみます。

その第一は、それが何歳の頃か、記憶するその場所から推定して4~5歳の頃、自分の家の周囲の見知った範囲をこえてその先にまで行ってみようと、こわごわに足を伸ばしていった記憶です。そして、もっと先まで行くと、川があったりしてそれを渡ればもう戻れなくなるかも知れないとのぎりぎりまでの境目を、日に日にわずかづつに越えて範囲を広げてゆく好奇心と冒険心。かくして、やがて出来上がってゆく、自分の家を中心にした同心円があり、そういう「テリトリー」感覚です。

それが、見知らぬ地にまで親に連れられて行った場合、そこはもう一種の飛地で、もう連続性をもたぬこのテリトリー外です。そこでもし何かが起こって親を見失ったりすると、もうパニックに陥った迷子です。なにせ、もう一人では家に帰れません。

 

1.4 学校体験

こうしたテリトリーの同心円は、成長とともにどんどん広がってゆきます。私の体験では、その広がりは学校体験と重なり、小学校の円とは近辺のいくつかの町内の範囲です。それが中学校に入ると、それは区を幾つかに分けたほどにもなります。しかも私の場合、小、中と、別の市へ各々2度の転校を経験しました。それが高校ともなれば、全県をふくむ範囲となり、まして大学ではそれは全国となるわけです。そうした拡大する同心円は、後には国境を越えるまでとなり、現在にいたってはオーストラリアまで広がっているわけです。

ところで、以下は、そうしたテリトリー拡大の過程のある時点で発生した、一種の質的転換の体験です。

それは中学の時の世界史の教科でのエピソードなのですが、その時、授業はロシア革命と日本軍のシベリア出兵について行われていました。その日、教師は、ロシアでは革命が起こって国中が大混乱の時、お前が日本の軍部ならどうするか、と問うたのでした。そこででしたが、私はどうしたことかめずらしく手をあげて、「そのどさくさのすきをついてシベリア出でゆきます」と答えたのでした。「そうだ!」とその教師は声をあげ、私の答えが正解であるとしてくれたのです。

ことの経緯はそれだけなのですが、その当の本人は自分でも、どうしてその答えを思いついたのか、まったく不思議なのでした。

ともあれ、その教師は、いつも身長ほどの竹棒を持ってクラスにやってきて、与える質問に縮こまって押し黙る生徒の頭上すれすれにその竹棒を振り回し、「お前たち、生きてるのか死んでるのか」と声をあらげ、私たち生徒が自らすすんで答える姿勢を、鼓舞しているのかおどしているのかわからない、じつにおっかない先生でした。

かくして私は、自分の内に浮かんでくる考えに一抹の自覚をもつようになり、それが今日までへと至る道の振り出しの一体験となりました。だからこそ、今でもこのように、鮮明に思い出せているのです。

いったい、どこでそうした解答のヒントを得ていたのか、それは記憶の限り、心当たりはありませんし、まして中学生くんだりで、そんな歴史上の特殊な経緯を前もって教えられていたはずもありません。ともあれ、その時点までのその同心円の拡大のどこかで、それにまつわる何かを得ていたようです。

 

1.5 原体験

私の場合、こうした同心円の中心は固定されていたものではなく、父親の転勤の関係で、数年ごとにその中心自体が移動して、同心円が日本のいくつかの地に点在して広がることとなりました。

この引っ越しによる円の中心の移動は、もちろん、自分の行動能力とは無関係のもので、そうした家庭状況の外力による一種の強制でした。そのため、引っ越し先の学校に転校生としてひとり入っていった緊張は、それぞれ、はっきり記憶に残っているほどです。

ただ、そうして強いられた移動による新環境にさらされるという体験は、それはそれで、後の私の海外への飛び出しを、知らぬうちに準備していたものかも知れません。

また逆に、そうした引っ越しを繰り返す生活は、いわば、定まったいわゆる故郷のない生活です。思えば、私が結婚の相手とした女性は、反対に、地方の稲作地に生まれ育った人で、はっきりとした故郷意識を持っていました。この対比は、私がその人に魅かれたひとつの理由となったものです。

以上のように私の人生をふりかえってみて、そこには、地理的な移動という、未知の土地への移動に伴う異なった体験が、人生形成の基本パターンとして根付いてきたところがあります。

つまり、「ところ変われば品かわる」というこの世の特徴を、移動によって実際にモニターしてきたということです。

そしてそうした原体験の産物が、今の「両生歩き」であり「フィラース Philearth」です。そこには、物理的移動を変数とする、この世界の意味を探る方程式が込められています。

 

1.6 自己の現れ

以上のような数々のエピソードは、それをもって、自分の「量子的」現れとまでするには、あまりにも些細な出来事で距離があります。だが、確かにそうに違いはないのですが、それは目の据えようによって、見方も異なってきます。

つまり、この十数年ほどの間――この過程については『新学問のすすめ』に詳しくのべています――で、量子理論についての知見を新たにしないでは、こうした視点に気付くには至っていなかったと思います。そこで出くわした「観測問題」という理解のおよばぬ問題に取っ組んでいるなかで、自分の見方についての視点を、いわば主客逆転することを発見し、それがこうした気付きにつながってきたわけでした。

そしてこれに気付くことにより、合わせて、量子理論中の難解用語である「局地」と「非局地」という対語についても、理解の糸口をえることとなりました。

こうして、いわゆる「自意識」についても、思春期以来、自我の現れに伴い長きにわたり抱いてきた、「理想」と「現実」の板挟み体験、そしてその長い格闘の結果の「想像力と因果律の対立の宥和」――『理論人間生命学』の「空海と量子理論」の章で詳述――との、ひとつの納得の発見にいたるのでした。

 

1.7 「相互邂逅」

こうした追憶作業を進めるにあたって、私は全く思いもかけない貴重な資料――昔の自分が(結果的に)今の自分に残してくれていたノート類――を発見することとなりました。むろんそれは、それを書いていた当時、何十年もの将来の自分がそれを読むことになるなぞとは、夢にすら考えていなかった、まさに想定外の出来事でした。

それは、十代後半より日々書き残していた数十冊のノートです。そして今や、それに思いがけなく――ほとんど事故のように――出会ってそれを読むことによる、数十年昔の自分自身との遭遇です。それはあたかも、「その部屋に入ったら、二十代の私がそこに居た」とでもたとえてよい、そういう実に生々しい体験です。それはほとんど、自分の息子あるいは孫と対面する現実に等しいほどの、生の自分自身との対面です。

そして、その予想すらしてなかった過去の自分との遭遇を、私はどのように受け止めたのか、さらにそれを体験記として残したのが、兄弟サイト『両生歩き』に掲載されている「相互邂逅」です。そこには、結果的に、二重に時間をへだてた私が語られています。なにもSF小説や映画などに期待せずとも、自分にまつわる同等の体験がそこに体現されていたのでした。

いま、この体験記は、したがって誰でも読むことができます。時間をへだてた別々の自分が出会うという、まさに、タイムスリップそのもののストーリーがそこにあります。

かくのごとく、遠い記憶のそれぞれをたどることで、また、ほとんどSF物語そのものに過去の自分と遭遇することで、当時感じたり考えていたことの実相を目の当たりにすることができます。そしてそこにそう息づいている自分が、今の自分より、はるかに〈まともで本質にふれる生き方をしている〉とすら印象付けられる、驚くような発見をすることとなります。

それは、流れてきた時間が、一般的に考えられてきた〈過去から未来へと前向き流れる〉、そんなものではなかったとさえ認められる、目からウロコがとれる体験です。そしてさらに、その若かった自分が、青く未熟な自分であったなどとは決して断言できない、あたかも自分が経てきた時間の流れが後ろ向きであったのかも知れないとすら表現しうる、そういう体験です。

 

かくして、過去の体験のどれをとってみても、その表面的かつ常識的な解釈の皮をはいでみれば、これまで当然と受け止めてきた見方が、いかに皮相的であったのかとの視野が開けてきます。

言い換えれば、時代の常識が盲目にさせていた、自分についての天地をひっくりかえすがごとき、思ってもいなかった別像です

私はそれを、量子論的な自分と捉えています。

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