「MaHa」の学的最前線(その9)

私はこれまで、生活者が身を挺して体験している「のっぴきならなさ」を考察の重要なキータームとしてきています。今回は、連載〈「MaHa」の学的最前線〉の最終回として、この「のっぴきならなさ」が提起している、そこに潜んでいた学的な三領域にわたる意味を述べて、この一連のテーマのまとめとします。

前回では、松岡・津田対談『初めて語られた 科学と生命と言語の秘密』の最終章である「第11章  続きを読む

サイト訪問統計分析レポート(2024年10月)

「AI読者の出現」の様相

下のグラフのように、訪問状況は様相が大変化し、新たなフェーズに入ったかの感があります。すべての部門ではないですが、ほとんどの部門で、数倍から十倍以上もの桁違いの増加が見られ、あきらかに、AIの普及による新たな読者傾向、「AI読者の出現」と見るべき状況となっています。

〔注〕表示期間を2年間に縮小

10月の「日平均訪問者数」(赤線)は、9月の287人からへと400人へと、先月に続いてさらに100増し、最高値を更新しています。9,10月の二か月間で2倍の伸びです。かくして、訪問状況は、従来の生な読者から「AI読者」による――株用語で言えばレバレッジのかかった――、激しい変動をもった変化状況に移ってきています。 続きを読む

「MaHa」の学的最前線(その8)

今回の焦点は、「日本の哲学」とも称される西田幾多郎の哲学にあるのですが、前回では松岡・津田両氏の対談に見出される「主知主義の勇み足」とともに、両者の――ことに松岡編集工学論の――議論のハイライトである「日本の文化」に、なぜかそれが取り上げられていないことを指摘しました。

その松岡・津田両氏の対談の最終章「第11章 神とデーモンの変分原理」では、対談の締めくくり――先述したように松岡氏の事実上の絶筆レベル見解――をしています。その際、科学思想の発展の潮流をめぐり、1920年代のヨーロッパ哲学において、伝統の身心二元論への批判が出始めていたことには触れられています。にも拘らず、同時代の日本においても、同質な批判に根差した日本的哲学の萌芽が、独自な発想をもって出始めていたことには触れられておらず、両者の議論は一挙に、戦後の“電脳”時代へと跳んでしまっている、ひとつの「見過ごし」があります。 続きを読む

「MaHa」の学的最前線(その7)

松岡正剛・津田一郎両氏の対談録『初めて語られた 科学と生命と言語の秘密』の「第8章『逸れてゆくもの』への関心」での冒頭、以下のようなやり取りがあります。

松岡 まず、そうとう陳腐な振り分けにすぎないだろう「理科系と文科系」というタームをつかって、数学を武器として科学的な思考をとても大事にしてきた津田さんと、いわば言葉を道具にして編集的な世界像をスケッチしようとしてきたぼくの立ち位置を、やや浮き彫りにしながら話をしたことなんです、、、

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サイト訪問統計分析レポート(2024年9月)

9月の「日平均訪問者数」(赤線)は、8月の173人から287人へと114増し、かつてない最高値となっています。この大幅増は、「MaHaの世界」(桃色線)のほとんど垂直にも見える“爆増”によるもので、9月27日に発表した記事「「MaHa」の学的最前線(その6)」――故松岡正剛氏の絶筆出版とも言える対談録『初めて語られた 科学と生命と言語の秘密』を解読――への、わずか数日間に見られた桁違いのヒットがもたらしているものです。 続きを読む

「MaHa」の学的最前線(その6)

前回の(その5)を引き継ぎ、今回も「観測」についての議論です。

これまではそれを、対談録『初めて語られた 科学と生命と言語の秘密』を解読しながら、学的にアプローチしてきています。

一方、この「観測」について、それを日常視線から取り上げているのが、兄弟サイト『両生歩き』に掲載の記事「《観測装置》たる自分」です。

こうして「観測」にまつわって、二つの記事がほぼ同時並行してアプローチされています。この一見、無関係のような二つの違った議論なのですが、それらの間に見られる同異を照合することで、興味深い発見をすることができます。 続きを読む

「MaHa」の学的最前線(その5)

本シリーズでは、松岡(8月に故人に)、津田両氏の対談『初めて語られた 科学と生命と言語の秘密』の〈牽強付会〉な読解を続けているのですが、今回は、その第6章「言語の秘密/科学の謎」です。

まず、この章で、私が我が意を得たりと膝を打ったのが、以下のくだりです。すなわち、物理学者の間で言われている「スケール問題」という、ミクロ現象とマクロ現象を区別する問題にかかわるものです。ところが私は、そこに区別はないとの自説をもって、これまでの議論を述べてきています。そこでは、失礼ながら、「スケール問題」というのはどうも、視野を限りたい物理屋さんの用いる方便じゃないかと勘ぐっています。 続きを読む

「MaHa」の学的最前線(その4)

ひとまずの「展望」

ここで、私たち個々が立つ地点と本議論との全体的関係を確認するため、これまでの話をまとめ――山登りの途上、開けた尾根上に達してひとつの展望を得るように――ひとまずの視界を見ておきます。

私たちの生命活動、つまり、人生とは、前回末尾に見たように「不定」で、初めから決まっていたものではありません。要するに、生命活動は、本来、その生命自体が在りたいように、やりたいように活動してきたもので、そういうものが生命です。そうした、ランダムな積み重ねが生命なのです。あらかじめ決まった生命原理やルールがあって、それに従わねばならないといったものではく、そういう“体験”の作り出したものです。 続きを読む

サイト訪問統計分析レポート(2024年8月)

この数か月に生じてきたAIによる大規模なインパクトはひとまず一巡したようで、下のグラフが示すように、8月の「日平均訪問者数」(赤線)は、7月の191人から173人へと減少しました。全般として、昨年末以来の一時的なAI津波現象が去って、本来の訪問者数レベルが戻ってきたかと推察されます。

今後の状況を見なければなりませんが、このようにして、「日平均訪問者数」(赤線)が、150~200人の間に落ち着くのは、これまでの変化から見て、順当なものではないかと考えられます。 続きを読む

「MaHa」の学的最前線(その3)

科学が科学から脱皮する

前記の目次から、まず「第1章 カオスと複雑系の時代で」を見ましょう。

ここで挙げられている「カオスと複雑系」と称される新たな科学の分野こそ、科学の最先端の辺縁分野のひとつ――すなわち“非”科学的な分野――への筆頭の取り組みです。

だからこそ同章では、松岡、津田の両者による科学の「新しい世界観を提示したカオス理論」として対話され、その「カオス」がさらに「線形数学から非線形数学へ」と、数学的に解き明されていると紹介されています。平たく言えば、ものすごく高度な数学の分野での、数学機械であるコンピュータを駆使した、シミュレーション解明ということです。 続きを読む