日本出身の在豪/米看護師の対談をめぐって

9月2日、私のタイ・カンボジア旅行や、R.Y.さんの表記対談などのため、ほぼ二カ月振りとなったオンライン三者交流会でした。

筆頭の話題は、やはり直前に行われた「在豪/米看護師オンライン対談」となり、感想の交換となりました。

そこでまず私が触れたのは、対談の〈看護職実態の日豪米比較との中心テーマ〉からは的外れの点ながらと断った上で、永住ビザ(PV)――外国で専門職の仕事に就くにあたっては、現実としてどうしても前提となる関門――の得方についての対談者間の違いでした。

すなわち、PVの取得にあたって、対談の片やが、学生ビザとかワーキングホリデービザを振り出しに、必要な要件のABCを見出し、各々の獲得を積み上げて達成した一方、他方では、米国籍者との結婚が切り札となってその道が開けた、そうした違いのことです。というのは、プライベートな問題に踏み込むという意図ではなく、豪米の制度的違いの結果であるとも言える、その取得者の自力開発度がどこまで可能かという面で、個の努力と所定制度との噛み合いの有無上の違いがあるのではないかと見たものでした。

また対談では、日本と比べた豪米の看護師の働く待遇の違いも明らかにされたのですが、その中でも、オーストラリアの時間外手当の割増の高さには、米国の側から驚きの声が上がっていました。その点、日本の条件が目立って劣るのは、豪でも米でも、それは労働組合がストライキをして獲得した成果との共通の認識が語られていました。この点について私も同一の見解で、それに加え、オーストラリアでは、この5月の総選挙の結果、政権交代して労働党政府が発足、しかも深刻な労働力不足の情勢のなか、ことにコロナ禍での医療の緊急性から、同国での看護関係職の門は、いっそう広められると予測できることです。

これらに加えて、私がことさらに興味深かったのは、豪米の両者が、そうした恵まれた条件での仕事に充実しつつも、看護サービスの質の高さやそれを支える教育や訓練という面で、日本のそれにはひいでたものがあるとの共通した見方を持っていることでした。

ことに私には、少なくとも日本の実態にそれなりの限界を見出したがゆえの海外脱出だったはずと考えられる両対談者たちなのに、その古巣への共に肯定的な見解は、一見、矛盾しているかに受け止められたからです。そこで自分のことを振り返ってみれば、そうした一見矛盾したかの自国や自体験への評価は自分にもあった(たとえば、PVを取得しても日本国籍は維持した)ことでした。

つまり海外体験とは、そのように両国にまたがった立場やその体験に身をさらすがゆえに生まれる考え方こそが重要で、そのハイブリッドな発想こそが、ひとまずの海外定着の土台を築き終わった若い世代ならではのさらなる選択を生み、その結果の意義を問うチャレンジであるのだろうと思うからです。

そこでたとえば、実務的観点に立って日本と豪米の看護職実態を要約すれば、患者にとっては日本がすぐれ、働く者にとっては豪米がすぐれている、と凝縮できましょうか。

だとするならば、今後に向かっては、患者側にも働く側にも、両面にわたってまさった看護環境の構築という方向は当然に出てくるはずです。

そうする中で、日本の看護職経験者こそが、そうした両面性がわかる看護スキルの提唱者かつ開発者となってゆくイメージ。これはなかなか面白い。

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