《私風人間生命論》 はじめに

生命と技術のコラボ

1. 本論の位置づけ

私は、今年8月20日の80歳の誕生日を境に、それ以降を「人生3周目」と呼び、それを二つの意味で、自分の生涯の〈最終ステージ〉――時間的最終と思想的最終――と位置づけようとしています。

第一の意味の〈時間的最終ステージ〉とは、いわゆる平均寿命――日本人男では81歳――を念頭に、時間的経緯としてのその最終段階です。

私はこれまで、自人生の還暦までを「1周目」、その後の20年間を「2周目」と区切ってきました。そしてその二つの人生ステージを土台に、こうして迎える次のステージが「3周目」です。言うなればこの「3周目」の人生期とは“寿命後人生期”とも言え、あたかも天与の奇遇のようなその時期を、いよいよ到来する、生命の本質を探求する機会にしたいとするものです。

第二の〈思想的最終ステージ〉とは、積み重ねてきた私の人生の体験と考察の集大成としての〈最終ステージ〉です。すなわちこの集大成は、その人生中に残してきた二つの産物、つまり二つのサイト『両生歩き』と『フィラース』に掲載されてきた膨大な量の言語表現を素材にして、自らの生涯の意味というものをひとつの体系にまとめようとする趣旨での〈最終ステージ〉です。

そして、この〈最終ステージ〉を迎えるにあたって、80年の生命過程と、その過程が残した言語資料をひとつの体系に構成する試みとして、この《私風人間生命論》を著します。

2.体系構成の意義

よってこの《私風人間生命論》は、一つの生命を生きてきたその主体側の視点と、その主体が残してきた生命活動の足跡資料を解読する側の視点という、行為者と観察者という二種の視界が相互に出会うものです。

そこでこの〈行為者と観察者〉との二者の役割ですが、私はこれまでそれを一人で演じてきました。すなわち、「1周目」の人生はこのうちの〈行為者〉に没頭し、「2周目」はその責務に一定の距離を見始める時期でした。そしてそうした二期は、多量な「言語表現」を生産し、それを再読しながら、自らの〈観察者〉との役割を用意する時期でもありました。

こうして「3周目」の〈最終ステージ〉を迎えるにあたり、その〈観察者〉としてその体系を著わそうとしているのですが、それには、その膨大な「言語表現」材料を一望し、集約する必要があります。しかし、私という一人の生身な人間がそれを網羅してこなすには、力量的に限られたものがあります。

そこで、この大仕事をこなすために、AI技術に目を付けました。そしてそれがなしうる一種の「博学」能力に注目し、すでに用意済み全材料を扱いうるその力量をもってすれば、この〈行為者と観察者〉との二者の役割が融合する働きを完遂できるのではないかと考えました。いうなれば、AIという、所与の世界を網羅した情報処理能力をもって、その材料を評価する作業です。

かくして、ひとつの人生という生命活動を成した主の側である〈行為者〉と、それを評価するAI技術の側という〈観察者〉との、コラボレーションが成されることとなりました。

このように、人間というもっとも高度で複雑な生命活動を、その人間が作ったAIという技術が読解する作業が始められたのですが、それに取り組んでみると、そこに、新たな含みが根付いていることに気付かされました。

というのはまずその前段があって、私はこれまで長年にわたる日々の運動(エクササイズ)に取り組んできたのですが、それが、自己を創生する活動と認識するとまでは捉えてきていました。そこにこのコラボレーションがさらに加わることで、これもこの〈行為者と観察者〉との二者の役割を共演するものとの新たな視点です。

ということは、このコラボレーション自体も、私が運動を通じて自人生という生命活動を総合する視野を築いてきたことも、ともに〈行為者と観察者〉との二者の役割を果たすものとして、同等する意味を果たしていることではないかという発見です。

このようにして、〈最終ステージ〉を迎えるにあたって発見されつつある、その「時間的最終と思想的最終」の二分野にわたる〈行為者と観察者〉の協業とは、実は、いずれも、生命体が非生命体と区別されるその決定的特徴である、生物学でいう《自己組織化》と見なされる働きであることです。すなわち、私の人生そのものと、AIとのコラボレーションとの二つの面において、ともに《自己組織化》がそのように働いているということなのです。

ということは、この広く「人生」と呼ばれる人間の生命プロセスは、その〈行為者と観察者〉といういうふたつの形態で、自らの生命を《自己組織化》してきたことを示唆するものです。そして、それだからゆえに、私の人生におけるこの二重の《自己組織化》は、これまで決してそうとは気付かないでいながらも、私をここまでに導いてくる、確かな動因となってきたということなのです。

一般に人生にかかわる話は、経験談から教訓話までを含めて、俗に「人生論」と呼ばれるのが常です。しかしその「人生論」をこの《自己組織化》過程と見て、「生命論」として描くのはきわめてまれです。すなわち、生きたその人物が、語り手として過去を物語るのではなく、あたかも生物学者が一生物を対象とするかのように、その一生命がどのように命を展開してきたのか、〈行為者と観察者〉とが一体となって述べるものが「人間生命論」です。そしていまや、その「人間生命論」をもって、《自己組織化》と見られる働きが人間にも決定的となっていることが発見されてきている、ということなのです。

こうして、生命活動と技術とのコラボレーションをもって、『両生歩き』と『フィラース』の両サイトの全コンテンツをここに再編し、別掲の「もくじ」に示すように、「身体 → 認知 → 人格 → 世界観 → 社会 → 宇宙」という《自己組織化》の階層モデルを成す構造を、5部、10章にわたって描いてゆきます。

この「生命論」は、体験を土台としているという意味で、誰もの生活体験と同じく、すでに実際にあったことを材料として用い、そしてそうであるだけに、それは具体的で抽象論ではありません。

そしてその集大成としての本「生命論」は、だからこそ《私風人間生命論》と名付けられ、その具体性を根拠に、将来へむけてその生命活動に、具体的に血肉をつけてゆくものとなるはずです。

そしてそれは私に限らず、誰もの方向付けとして、同じく具体的に血肉をつけてゆくものとなるはずです。

ゆえに、こうした「3周目」の実際の展開については、本サイトに新たなカテゴリー《3周目を歩く》を設置してそれを述べてゆくこととなります。


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