04 日のいずる国

ねぇMaHa、僕は年齢数上は紛れもない老人だけど、見てくれはそれほどじゃないみたいです。それに気分上で言わせてもらえば、老人扱いされることをまだまだ素直に受け入れられないところもあります。これってやっぱり、運動のせいだと思うんです。運動のお陰で、元気でいられている。それでだんだん、僕の生身と毎年着実に進む数字としての年齢との間にギャップが出来てきている。

その通りだと思うけど、それで何が言いたいの?

いきなり、ズバッとした反応ですね。
ではその核心から言うと、運動って言わば「打ち出の小槌」だと思ってることです。そして、その運動に成り代わって言わせてもらうと、人間、運動しなくなったから、その打ち出の小槌も出番がなく、得られるはずの多くを失ってしまっている。健康がその一つです。それと、生物として、年齢とともに体も衰えるのは自然だけれど、人間は、そうした運動怠惰な生涯を送って、そうした自然な変化を早送りさせてしまっている。人間の文明や文化って、その時代が進めば進むほど、運動から遠ざかってきている。あたかも筋肉を使うことが野蛮であるみたいに。

なるほどね、いいとこ突いてるね。そこでね、面白い洒落を挙げてみるよ。
「人間、貯“金”を覚えれば覚えるほど、貯“筋”を忘れた」

ほぉー、「きん」にからめて、「お金」と「筋肉」を並べてきましたか。
そうなんですよ。医学用語に、昔は「成人病」と言われたのですが、それでは誤解を招くとして改められ、今では「生活習慣病」って呼ばれる一連の病気があるでしょう。この用語ってそれでもまだ誤解を招いていると思うんですが、その習慣って結局、運動不足のことでしょう。だから正確にはズバリ「運動不足病」と呼ぶべきなんです。そしてさらに深刻な事態をもたらしているのが、その誤解のおかげで、運動しないでそれをお金に換え、「お金で健康が買える」かの、もう迷信に等しい行いが根付いてしまったことです。誰もちょっと考えれば、お金で買えるのは薬や治療であって、健康そのものではないことくらいはすぐ分かるのに。つまり、そういう一連の病気って、人びとの「筋」が「金」にすり替えられた結果に生じてきていることでもあるんです。拝金主義の結果なんです。

「換金」前後のダビデ像

                「換金」前後のダビデ

だから相棒さん、あなたはその貯筋のために、運動教の教祖になろうというわけだ。

とんでもない、運動は宗教ではなく、ましてたんなる流行りでもない。れっきとした事実現象です。教祖もいなければ寄附も強要されません。全部、自分の自覚と意志の問題です。

冗談だよ。ごめん、ごめん。そこで話を、もっと先へと跳ばしたいんだが、その運動をめぐって、日本人はいまや世界の先端をゆく、いかにもクールな人たちと認識され始めていること、知ってるかな。特に若い世代において。

えぇー、日本人って体が小さく、運動面ではハンディーがあります。それが世界の先端をゆくって、それは無理筋な話でしょう。

たしかに、これまではそれが日本人だったし、世界でもそういう認識だった。しかし、いまの若い人たちを見ていると、体も世界並になっているだけじゃなく、自分の体についての愛着がすごく強くなっている。もう体と結婚してるみたいな。おそらく、偏差値王国に居るみたいな学校生活や、人の値打ちを金勘定一本で計る社会にうんざりして、そこからなんとか脱しようとするその拠り所を、もう一つの自分、つまり、体に見出そうとしている。

そのヒーローが大谷翔平ですね。

それも一例だが、そこにとどまっていない。いま、スポーツに打ち込んでいる人たちは、プロアマの区別なく、もはや運動が切り開く自分にとっての可能性に光を見出している。自分の体と精神が一体となって発揮するパフォーマンスこそを自分の生きがいとしている。しかも、体を自分の親友や分身と思っていて、それがチームメイトにも延長されている。かつては個人プレー中心のプロの世界だったけど、それから、もっと広い「やって見せる世界」へと視野が広がっている。だから、単にいい稼ぎなんてレベルではなく、そんなの後から付いてくる話。だからね、ちょっと未来学的にこの先を予言すれば、さっきの洒落の話に戻って、「金」じゃない「筋」の世界に移ってゆくことと思う。言い換えれば、フィジカルな人間世界の謳歌だね。

その兆しかな、僕も近頃思うんですが、最近、LGBTQとか同性結婚とか、これまでは無視され、禁忌され、ないも同然とされてきた、人間の身体に根差すデリケートな「個性」が、だんだん、表面に登ってくるようになってきている。

これも未来学的予言として言えば、AIの発達で、もしそれが健全に伸びれるとすれば、従来の生産のための人間の身体機能はだんだん不必要となり、それをAI装備自動機械が代替するようになる。そこで、そうなればなるほど、人間は、産業のための、つまり換金のための自分の体より、自分のためのインフラとしての自分の体に、多くの関心や期待を寄せてくるはずだ。つまり、スポーツがプロもアマも百花繚乱するばかりでなく、個々人が自分で自分の身体医や精神医となって、自分の最高レベルの健康の成果をエンジョイする時代がやってくる。そこでは、職業の面でも、スポーツ界が隆盛するだけでなく、人間が人間味をフルに発揮して人間に働きかける、そうした分野が主流となってくるはずだ。看護、介護、料理、対人サービス、情報、芸術など、産業世界は一変する。

新産業革命ですか?

おそらく、そんなレベルではないね。産業というと、とかく不健康や公害の震源であったのだが、そんな危ないものに人間が関わらなくてもよい《産業消滅》の時代かもね。そして従来その犠牲にされてきた自然の摂理の奥深さが改めて認識され、そういう、いまなら神秘とされている世界が、よみがえってくる。病的ではない健康惑星=地球時代の到来だね。むろんその世では、人と人とが殺し合う戦争などという狂気沙汰は、過去の暗黒史のひとつとなる。今、中世が「暗黒時代」と呼ばれているように。

つまり、生産の内容や意味が、物的から非物的、あえていえば〈心的〉に変わってゆくということですね。

そう、そしてここで先の洒落に落ちをつけると、そうした〈心的〉生産という意味で、いまや日本が、日のいずる国との認識を世界的に得つつあるということ。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA