1.1「三重邂逅」を体験して

本サイトの兄弟サイト『両生歩き』に、「相互邂逅」と題した、私の言わば「半自伝」があります。

それは、私が十代半ば以来書き残してきた数十冊のノートを、還暦をきっかけに再読した体験にまつわる、自人生の振り返りの記録です。つまり、十数年前、私はその「半自伝」風の回想記を書きながら、その古きノートに全精魂を傾けて表わされている40年ほども昔の自分――もしその再読がなかったら、そのかつての自分は、おそらく記憶の中の遠いかなたに消えかかっていたでしょう――と、その本人がそのまま、今ここにそう息づいているかのように、まさにリアルに再会していたのでした。 続きを読む

1.2「架橋」を通じた多次元の包摂

「生物学研究者による観察」との想定

前節(「三重邂逅」を体験して)では、自分が制作した情報により、後年、自分が自分に遭遇するという、あたかもタイムスリップしたかの体験を述べ、それが単に個的な偶然事には留まらないとの見解を表しました。そこで、この見解を検証するため、ここに、ある想定をしてそれに臨みます。

その想定とは、私が一人の生物学研究者であるというものです。

ただ、この生物学研究者は典型的ではなく、その研究対象を広く生物各種に置くのではなく、人間という特殊な生物種に絞るとするものです。 続きを読む

1.3 「換金」という罠

私たちは、健康を「病気でないこと」とか「無くして覚る有り難さ」とかと、とかく二重否定の受け身的視点で捉えがちです。ですが、それは健康との取り組みのほんの序の口に過ぎないと、繰り返し述べてきました。

さらに、本「理論人間生命学」においては、その健康を生命現象の一環として捉えることで、生命の在り方と結びつけて捉えようとするものです。

そうした見地から、既述の二節では、生命の在り方を、①「自分を実験台」にする体験、②科学理論の取り入れ、という二面のアプローチより、私たちが採用可能な実践的方法として提起してきました。 続きを読む