前回までの議論をもって、本「理論人間生命学」は、その導入部を著わすことができました。それにもとづいて今回より、より踏み込んだ詳細の議論、各論に入って行きます。ただ、いかんせん、それがしっかりとした体系としてまとまっているとはまだ言えず、むしろ、これからのもろもろの各論を重ねるなかでその構成も出来上がってくるものと期待しています。そこで、これからの各論では、むしろフレキシブルに進め、最終的にその体系化が成されれば万々歳と考えています。
そういうわけで、今の段階では、大まかな骨組みの構成として、以下のような四つの柱を提示しておきたいと思います。ただしこれらの四本柱は、あくまでも骨格としての暫定的なもので、今後の議論しだいで、新たな柱、あるいは何らかの建て直しも起こってくる可能性があります。
1.「私は雲」
前回および前々回で提示したように(右図)、科学が扱うその厳密性において、ことに量子物理学が実験より発見してきた素粒子分野の対象は、一種の「雲状」とたとえて表現するしか扱えない存在です。それは、科学という存在論としての到達点ですが、これを観念哲学という認識論とのアプローチから言えば、「私は雲」ということとなります。
2.My 多世界論
物理学という科学分野にあっては、そういう量子理論の「spooky(幽霊のよう)」〔前回参照〕な到達点の扱いに頭を痛めています。そして、その結果に提示されてきた二つの立場が、「コペンハーゲン解釈」と「エヴァレット解釈」で、後者は「多世界論」とも呼ばれています。そうした二つの立場ですが、最近では、発展の方向としては、後者の多世界論が支持を広げていると私は見ます。
そういう多世界論の立場を、上記の「私は雲」という視点と合体させれば、「My多世界論」となります。つまり、雲状とは、移り変わるたくさんの世界ということでもあるからです。
3.汎情報論
そのような、雲状の、あるいは、多世界なものとは、もはや、物体でも、あるいは、観念でもない、あるいは、その両者でもあるといった何かです。私はそれを、情報と考えます。ただし、情報というと、今日に言われるいわゆる情報産業の情報と混同されます。私の言う情報とは、そうしたデジタル情報もその一部に含む、もっと広い意味のものですので、それを《汎情報》と呼びます。
4.コロナ後世界
現在、世界をおおっている新型コロナ危機が、それほど厄介な問題であるのは、ウイルスという情報体が、人間世界の《汎情報》面に揺さぶりをかけているがゆえに、パンデミックとなっていることです。
いうなれば、「多世界」なこの世界の実際を、単純化した物質世界に頼っているが故の弱点が攻撃されています。そしてそれは、「私は雲」としてその《汎情報》性の立場に立つのであれば、「免疫」と称される抵抗性や適応性という解決法も獲得できてくるものでしょう。
以上のような四つの柱を各論として、次回より、それぞれを論じてゆきます。
ところで、そういう「雲」にあやかったか、HPのスライド写真に、雲君、雲さんが登場しています。