「局地性/非局地性」と「シスジェンダー/トランスジェンダー」

2021年6月12日付記事のように、量子理論のその特徴を、「エロチック」と呼んでも、あるいは、より広く「ロマンチック」と呼んでもいいのですが、そういう一対の要素同士の「共振」や「共鳴」が前提となっている領域や空間を、「非局地性(注)」という量子用語をもって、あらためて考えてみたいと思います。というのは、この語が、世界を根本的に見直す武器となる可能性を秘めているからです。 続きを読む

究極の「Missing Link 失われた環」

本サイトの兄弟サイトである「両生歩き」の最新号(7月7日付)で、「自分って何人」と題したシリーズ記事が完結します。その最終回に述べてありますが、人間がその歴史の中で――ことに合理性の追求という観点をもって――考察してきたことで、フルには手を付けてきていない、あるいはあえて排除さえしてきた分野があります。そのMissing Linkとも言えるものが、カテゴリー上では「神秘主義」と呼ばれる、科学と宗教、あるいは、物質と情報/情念の間に存在する境界領域です。またそれは、残されているという意味では、一種のパイオニア領域です。 続きを読む

量子論は“エロチック”

以下に書くことを、量子理論のいう「雲状の存在」の詳細描写とするなら、それは「多大な誤解」ではないかとの「科学的」批判を受けることになるだろうことは承知しています。しかし、本理論人間生命学における「理論」とは、その「科学」がまだ排除している一種の仮説や推測をも領域内に取り込み、かつ、私たちの生命の現実感にそった実用性――科学的立証を待っていられないのっぴきならぬ生命の問題――をも重視するものです。ある意味では、「科学」の未来を先取りするものとも言えましょう。 続きを読む

「もしグレタが僕の孫だったら」

今朝、まだ日の出前の薄暗がりの中、目覚めたばかりでまだ眠りと覚醒にまたがっている意識が、いきなり、表記のタイトルのような設問をとなえ出しました(「グレタ」とはスウェーデンの18歳の環境活動家グレタ・トゥーンベリのこと)。それはたぶん、昨夜寝る前に、日本のグレタたちを報じる新聞記事を読んでいたための余波でしょう。つまり、グレタの言う、(地球温暖化問題に)「なにもしようとしない大人たちを許しません」とのきついメッセージを、もし自分の孫から言われたら、自分なら何と答えるだろうか、との設問です。 続きを読む

各論への四本柱

前回までの議論をもって、本「理論人間生命学」は、その導入部を著わすことができました。それにもとづいて今回より、より踏み込んだ詳細の議論、各論に入って行きます。ただ、いかんせん、それがしっかりとした体系としてまとまっているとはまだ言えず、むしろ、これからのもろもろの各論を重ねるなかでその構成も出来上がってくるものと期待しています。そこで、これからの各論では、むしろフレキシブルに進め、最終的にその体系化が成されれば万々歳と考えています。 続きを読む

《My生命》という捉え方

窮極の健康作り

この理論人間生命学が、「理論」という科学の方式と、「生命」という私たちの現実土台との結合をはかろうとの使命を持つものであることは、これまでにも述べてきた通りです。ただ、そうした呼称や設定は、やはり聞こえはどこか学識的で、私たちの日常感覚からは、近寄りにくい感触がぬぐえません。そこで、その「近寄りにくさ」を減らし、それがもっと私たちの日常に身近なものであるとの核心を表すため、ことにそのねらいとする到達域を《My生命》と呼んでみます。 続きを読む

量子理論の適用

量子理論へのインターフェイス

前回、理論人間生命学のパラダイムについて述べました。そしてその最後に、今後の発展の方向として、「量子理論」座標が必要と展望し、そのための道具立てとして図―6を提示しました。

ここで図―6を再掲すると、この赤線で示した新たな座標についてですが、前回で述べたように、この座標は複素数を座標化した「複素数平面」です。じつは、この複素数とは、数学上の“技巧”である《虚数》をもとに発達した概念でありながら、それが、自然の摂理を理解するきわめて有力な道具となってきているのです。それをあえてセンセーショナルに言えば、偶然に発見した石ころが、実は、金塊であったとでも言えるほどの大飛躍な意味を含んでいたのです。 続きを読む

第4原則 自分の常識を「洗い直せ」

まず初めに、唐突なメッセージから手を付けますが、本稿を書かせているのは、私の意識で、それに疑いはありません。そして日頃より、私は意識を自分の中核として受け止め、それを自己存在の根拠としてきています。さらに意識は、感覚を通して自分の身体を感じ取ることができ、身体の面でも、そういう自分が存在することを確かめています。こうして、自己存在は、意識、身体の両面において疑えないと安住してきています。こうした確信は、誰にでも、同じことだと思います。 続きを読む