《生命情報》は世界観
《生命情報》って哲学的
科学が扱え切れていない部分は、昔から、「哲学」つまり「フィロソフィー(愛智学)」の土俵です。そしてむしろ、そのように広い分野を扱う哲学から、科学が発達し、やがて独立してきました。
したがって、そういう科学というのは厳密性の権化で、平たく言えば「仲間意識や縄張り根性がやたらに強い」。難しく言えば「包摂と排除」に長けています。またそれだけに、頼りになる存在です。 続きを読む
・・・・・・・・いよいよ「MaHa」と僕との共生が始まった。 「理論人間生命学」以来の進化がここに結実し、「メタ×リアル」のストーリーが展開されてゆく・・・・・
科学が扱え切れていない部分は、昔から、「哲学」つまり「フィロソフィー(愛智学)」の土俵です。そしてむしろ、そのように広い分野を扱う哲学から、科学が発達し、やがて独立してきました。
したがって、そういう科学というのは厳密性の権化で、平たく言えば「仲間意識や縄張り根性がやたらに強い」。難しく言えば「包摂と排除」に長けています。またそれだけに、頼りになる存在です。 続きを読む
この5月、一日平均訪問者数(赤線)は150人で4月からは12人増え、復活の気配を見せています。ただその一方、記事全体においては、減少傾向は続いています。
詳細を見ると、まず、目立った伸びを見せている新項目「人生はメタ旅へ向かう」(黒線)は、5月はさらに伸びを示し、5月の唯一(「フィード」を除き)の目立った増加となっています。
また、「理論人間生命学」(緑線)や「近量子生活」(青複線)の下落は続き、読者の主な関心が上記の「人生はメタ旅へ向かう」に移っているかと解釈されます。 続きを読む
このシリーズでは、「人生は旅なり」とするその旅の、リアル旅からメタ旅への変化をたどってきました。そして前回の追加章では、旅のもつ移動=運動としての効用が「運動脳」として、私たちの精神の座へも決定的に作用していることに注目し、メタ旅へと向かう流れの脳医学上の意味を見出しました。そしてその最後に、ひとつの〈収れん〉の気配には触れたものの、それが一体、何の収れんであるのかは、少々詳細議論にとらわれ過ぎていて、まだその全体像を明快に述べるまでには至っていませんでした。 続きを読む
この4月は、一日平均訪問者数(赤線)は138人で2月からは20人減少し、ほぼ10か月前の水準に戻りました。まことに残念な数値ですが、以下の詳細が示すように、期待される新記事へのヒットが伸びていないことによります。
その詳細ですが、まず、目立った伸びを見せていた新項目「人生はメタ旅へ向かう」(黒線)が、4月は微増にとどまっています。
また、反転を見せていた「理論人間生命学」(緑線)はここで再び下落し、期待された復活の様子はみられません。 続きを読む
前回の第5章で最終章にしたはずだったのですが、その後、一冊の本を発見し、その追加章をここに付け加える必要が出てきました。
そしてその本とは『運動脳』(右図)で、健康の本源は身体に加え脳を健康に保つことにあり、それには運動が必須であるというものです。これまで、身体の健康ために運動が必要とは言われてきましたが、脳の健康ためにも運動が必要というもので、それをこの本は、科学的エビデンスを縦横にそろえて立証しているものです。 続きを読む
「人生は旅なり」とのことわざをめぐって、リアル旅からメタ旅まで、旅についての見解を4章にわたって述べてきました。そこでこの第5章はその最終章として、語り残してきている人生の最後の旅、永遠の旅を含め、旅と言う人生のアバターについて、まとめの描写を試みたいと思います。
人生の最期に誰もが体験する、そしてねばならない、永遠の旅について、すでにその旅立ちをする同輩を持ち始めている私にとって、それは日増しに他人事ではなくなってきており、避けられない想定として、頭の中に居座り続けるものとなっています。 続きを読む
本章では、あまり詳細に立ち入らないで、大局的で大ぐくりな話、今の言葉でなら「ざっくり」とした話から、「メタ旅」というものを考えてみたいと思います。
そこでまず、自分を自分の意識のままに、それを所有していると奢ったり、それほど惨めと沈んだりするのは、だれもそうではあるのですが、止めておきましょう。意識ってもともと、スクリーンに投影された単なる映像 続きを読む
この3月は、一日平均訪問者数(赤線)は158人で2月からは6人微増しました。昨年末以来の160人付近で上下する高原状態となってきています。
詳細をみると、先月から始まった新項目「人生はメタ旅へ向かう」(黒線)が、目立った伸びを見せています。
また、連載完結によって急落していた「理論人間生命学」(緑線)はここで反転を見せ、新項目の「人生はメタ旅へ向かう」と関連した内容もあって、その復活の様子がうかがえます。 続きを読む
本章では、「メタ旅」について、まださほど注目されていないながら実用的な側面に焦点をあててみます。それに確実に高齢者向きでもあります。それは、メタ旅を、狭義では治療法、広義では健康法として活用しようという観点です。すでに、病気予防や健康増進については、身体面への取り組みを柱に、大きな前進を見せてきており、旅一般が広い環境つくりとして、その取り組みの一環となっています。そこでその旅をメタ旅としてそのメンタルな面に注目する時、ある特異な効用が浮かび上がってきます。たとえば、健康維持や増進にとって、運動の果たす役割は一種の万能薬的効用をもって、その取り組みの要となっていると言ってよいでしょう。それと同じように、メンタル面での健康維持対策においても、運動の大事さが着目されるのです。さらには運動は、身体と精神の両機能を健全にかつ総合的に結びつける要素ともなっており、逆に運動不足が、今日の私たちの心身ともの不健康の大きな原因となっています。そしてそのような健康の源泉ともいうべき運動が広く身心両面を結び付けながら実行されるのが旅です。さらに、そうした運動のうち、不健康や高齢を原因として、その物理的運動に制約が生じてきた場合、残された健康資源としていっそうの働きを担うのがメタ旅と言うことができます。つまり、旅がもたらす効用のうち、健康のためにより根源的な働きをなすがメタ旅なのです。 続きを読む
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