3.2.1 究極の合流

読者へのコメント

この2カ月ほどの間、この理論人間生命学とその関連考察の記述が、一見、曲折した経路をたどっています。そこで読者の混迷を避けるため、ここで状況説明を入れておきたいと思います。

まずその記述の最後のものは、3月7日付の「3.1 理論と経験の結合」です。その後、本論からそれる形で、3月8日付で「『四分の三プロジェクト』への〈下ごしらえメモ〉」、そして3月28日付で「『四分の三プロジェクト』の突破口」との二つの副次的話題を差し挟みました。言わば、毎回、書きつなぐ形で進展している理論人間生命学の論述に、その背景事情を述べるための迂回を挿入していたのでした。

そして4月に入って、兄弟サイトの『両生歩き』にですが、4月7日付で「『日本伝統医学』を思う」を掲載し、理論人間生命学の論述に影響する進行状況を要約しました。

本稿は、そうした分岐議論を経由した後のこの本論へ回帰するものです。ことにこの回り道にあっては、日本伝統医学のとの出会いが強い契機となっており、そうした体験的発展を含んでのこの回帰です。そこで、以上のようなコメントをあえて述べた次第です。 

 

「東西の融合」への到達

本サイトが『両生歩き』という兄弟サイトを持っていることは、すでに触れてきた通りです。そしてその「両生」の語源が、両生類という水陸の両世界に生息する動物種にあり、それが、最初は、日本を出てオーストラリアに定着した地理的両生から、文化的、歴史的、政治経済的、そして思想的な両生、そしてその後にはメタ的両生へと発展してきました。そうして目下のその両生は、東洋と西洋という、人類文明上の「両」世界へと至ってきて、今後への展望として、「東西の融合」といった究極の「両生発想」をもつ段階に至ってきました。

そういうこの段階で、本議論の展開は、二つの方向に分岐します。

すなわち、〈理論を引継ぐ継続的発展〉と〈直観による飛躍的発展〉です。そして、前者によって、理論上の連続性を維持して追究し、後者では、直観という飛躍をもって一つの着地点を見出し、そこから遡行するように理論との合流を図ろうとするものです。この分岐により、本議論の道筋は複線となって少々入り組みます。そうした独特な組み立てではありますが、私としてはより有益かつ慎重な手法と考えており、こうしたダブルのルートをとることにより、議論内容の拡充を果たそうとするものです。

 

〈理論を引継ぐ継続的発展〉

まず、「3.1 理論と経験の結合」においての結論は、私たちの身体や、地球、ひいては宇宙をもつかさどっている《摂理》について、「それがどのように私たちに作用しているのか、その“メカニズム”に踏み込んでゆくこととなります」、と結ばれています。

そしてその後、上記の「回り道」を経ながら、日本伝統医学の可能性への気付きとなったのですが、その気付きの具体的内容については、後述の〈直観による飛躍的発展〉に詳述します。

そこで本「理論人間生命学」に関し、それをこうして到達した「東西の融合」という観点にそって発展させると、それは、人類の知性の歴史的な経緯である〈二つの潮流の融合〉との見地が導かれてきます。それをまず「東西をまたぐ見地」と呼びましょう。

そうだとすると、「3.1」で述べた「地球も宇宙も、統一された同じ《摂理》で支配されている」とするその《摂理》も、少なくとも人間世界に関する限り、この「東西をまたぐ見地」と整合性をもつ種類の知見であるはずです。

 

「東西をまたぐ見地」

そうした「東西」との二世界ができた経緯を振り返ってみると、世界が東西に分かれているのは、人類の各文明の成立に関したローカル起源性に端を発するものです。それが歴史を経ることによって、東洋文明と西洋文明という二大潮流の形成と発展していったわけです。言うなればそれは、人類の長い歴史のうちに生じて今に目撃されている過渡的な分化状態に違いなく、むろん、今後、将来へと向かうさらなる変化が続いてゆくものです。

過去、ことに近世史において注目されることは、西洋文明を中心に、科学と言う「文明の利器」が発達し、それが近代産業発展の動因となり、ひいては、西洋諸国が世界を群雄割拠する植民地化をへて、今日の支配的覇権と科学知識主導の「世界システム」が築かれてきていることです。そうした西洋を主動因とする世界システムの発展は、確かに、人類の歴史に大きなダイナミズムをもたらしてきました。

しかし、そうした世界システムの発達の結果、それが世界支配という形で世界に君臨されるようになり、ことに東洋はその君臨に大きくさらされる結果となりました。それが、二十世紀をへて今世紀に至るなかで、西洋の先導性の成熟化と、後進世界の追い上げにより、近年に至ればいたるほど、その支配構造に陰りが生じ、いわば重しを欠く混迷も見られてきます。

そこで、世界の秩序を再構築する方途を探ろうとし、またそういう方向が必要とされるならば、これまでの覇権や支配のよるものでない、「東西をまたぐ見地」が求められるわけです。

ことに、現在のウクライナでの戦争を契機に、いまだ状況は進行中ですが、おそらく、新たな冷戦というべき、ふたたびの東西対立が形成されることもありえます。もしそうであるならなおさら、人類が再たび二つに分かれて争い合う愚かさを避ける意味でも、「東西をまたぐ見地」の今日的重要性があると言えます。

  

方法上の違い 

こうした「東西をまたぐ見地」を追究するにあたり、まず、そういう二分が存続しえてきた、人間の知恵が築いてきた究極的概念の違いを探る必要がります。

そこで第一に、ひろく「真理」――あるいはその代弁者としての「神」――として扱われる、知的考察様式の究極的な異なりです。

すなわち、「真理は一つ」という見方に立って、人間の知性はその発見につとめることを使命とするとの立場と、様々に変化する状況に即応できる「多様な真理」に立つ立場との違いの発生です。私は、こうした対極的な二つの立場――ここでは、その歴史的あるいは人類学的等の考察には立ち入りません――を、東西文明の違いの思潮上の起源と考えます。さらに、その「真理は一つ」あるいは「唯一絶対神の存在」という発想が、科学の発達のための論理的根元となってきたと見ます。(このあたりの一連の議論については、これまでの導入部での議論を参照。)

そうして科学が、その唯一真理の発見のための最も有力な手段体系として発達してきているのですが、近年に至り、その科学自身が、その唯一性への疑いを発見しはじめています。それが、この一世紀ほどの間に量子理論の発達に伴って導かれてきている、不確定性の発見という科学的達成です。言うなれば、科学が見つけた自らの非科学性です。

ここで、個人的エピソードで恐縮ですが、30数年前、私がPhD論文に取り掛かった時、陥った失敗があります。それは、研究の初心者がはまりやすい陥穽なのですが、自分がこれぞと熱意を燃やす問題に解答を見つけ出そうとの意気込みをもって、その「真理探し」というほとんど特権意識にも似たものに没頭してしまうことです。そこであらゆる書籍、文献の中から、その「真理」に触れている著述や理論を探し出そうとするのですが、それは行けどもゆけども際限がなく、結局、書物の森の中で道を失っている自分を発見することとなります。それは際限がないという量的問題というより、もともと、そういう疑問は自分の頭の中だけにある仮説――悪くすれば思い込み――であって、むろん「真理」とされるものや証明、ましてそれに解答をあたえる著述など、存在しようもないもの――あったとされるものもそういう「信仰」――なのです。したがって、少なくともPhD論文作成の実務とは、その問題つまり仮説を描写し、形あるものとして提示することに尽きます。そして、その論述実務にあっては、それにたずさわる主は、時の権威の歯車になることを自認するか、それとも、とりあえずのその仮説への結論をまとめてけりを付け、あとは独自に自分の設問を持ち続けて行くのか、のどちらかなのです。

こうしたかつての私の失敗は、私が西洋的な「真理の唯一絶対性」を、そうとは気づかぬうちに信じ込んでいたことに由来するものと私は見ています。そして、その真理に到達するところが権威ある大学であり、その課程を修了することがその到達であると張り切っていたからだということでもあります。まさに、現行教育システムの“面目躍如”過ぎるところです。

言うなれば、西洋文明がもたらしてきた支配性にまんまと取り込まれていた、とでも言える一例で、それが「世界システム」と呼ばれるものの片りんです。かくして、そういう経路をへて到達してきているのが、タイトルにあげたように思考の「方法上の違い」で、その顕著な現れとして、洋の東西への分断です。

すなわち、西洋知識における《分析/物証知》に対し、東洋知識における《経験/暗黙知》、という「思想方上の違い」です。

ただ、こうした問題が意味していることは、西か東かといった、二者択一問題なのではありません。それを択一問題に終わらせる限り、問題は「ローカルな起源」に発するという堂々巡りに、またしても戻っていってしまいます。したがって、この地球の上で培われてきたそうした東西二つの方法は、地球上、互いに補完し合う二つのものと捉える以外に、人類としての脱出の方法はないのでしょう。

従って、その探究戦略として、以下の二つの方法論を用いた東西の《すり合わせ》をもって、それに臨みたいと考えます。

第一は、これまでに述べてきた方式で、科学的原則に立つ先端的進展、すなわち境界的あるいは辺縁的議論の取り入れで、とりあえず従来の枠組みを越える「新規開発」法と呼びます。

第二は、これは、上記の科学的方式を「西洋方式」と大別すれば、それに対応する「東洋方式」とでも言えるものへのアプローチで、言わば、二者の両方を取ることです。ことに生命に関する医学的分野に注目すれば、一般に「東洋医学」と称されるものへのそれです。

とくに私は、自分が日本に生まれ育ったとの経緯から、自分の周囲に、漠然とではありながら一種の体験として、この「東洋医学」の末端には触れてきています。したがって、自分の日常感覚的には、それは二つの意味で「温故知新」法とでも呼べる方式で、上記の「新規開発」とは、方向としてあたかも逆向きの印象を抱くものです。

そのひとつは社会史上のもので、日本社会には「漢方」と呼ばれる伝統医学があり、それはそれで社会に深く根付いています。まず、そういう広がりとしての「温故知新」です。

そのふたつ目は、個人的なもので、ことに私の若い時代、身内が発症した職業病に関し、いわゆる「西洋医学」は頼りにならず、藁をもつかむ心境で「漢方」とか「鍼灸」といった「東洋医学」に頼っていった経緯があります。そういう意味の有用性としての「温故知新」です。

これらの「温故知新」法は、これまでに《人生という「実験」》という視野で追究してきた一人称のアプローチを、三人称と時間の要素を取り入れた――たとえば、この「人生」を「人間史」と置き換えた《人間史という「実験」》との視野――アプローチとしたとも言えるものです。つまり、自分の「健康観」が「人生観」へと発展してきたように、それが「世界観」とでも言えるものに発展してきたものと言えます。

そこでこの「世界観」の「世界」とは何かなのですが、それを「西洋世界」として「温故知新」してきたものが「科学」上のおさらいです。しかしいわゆる「世界」には「東洋世界」も含んでいるはずで、そこで、「世界」のうちの「東洋世界」を「温故知新」しようというものです。

ただし、ここで注意しておくべきことは、世界は西と東だけではないはずで、そういう意味では、北や南も含む「非西洋世界」との視点を維持する必要があります。

つまり、この「西洋世界・温故知新」が、第一の「新規開発」法で、第二の方法の第一歩は、「東洋世界・温故知新」ということとなります。そういう次第で、この第二の方法の初歩として、ことに健康にまつわる探究は、東洋医学の領域ということとする次第です。

言うまでもなく、この第一の方法である科学界における進展や今後の可能性については、すでにその要所を既述の部分で述べてきた通りです。

 

「東洋医学」という実務的進展

現在のコロナウイルスのパンデミックが示しているように、まさに全人類の苦難ともいうべき世界的感染状態において、そこに有効に働きうる知恵とは、医学の分野です。

そのコロナウイルスとの戦いにおいて、有力かつ唯一の武器となっているのが、ワクチンです。そして、そのワクチンの有効性の有無は、それがどれだけの免疫力をその投与によって作り出せるかにかかっています。

そしてその最先端のワクチンは、「mRNA」ワクチンと呼ばれる有効な免疫力を作り出す遺伝子情報を取り込んだとされる人工遺伝子ワクチンです。

ただ、いわばそのように人工的に書かれた遺伝子組み合わせをもつ新手法は、次々に出現するウイルスの変異種に対抗できる最有力な方法がゆえに、その副作用の確認は後回しにしてもその副作用リスクより投与による効果の方が可能性として大きいという理由で、いまや全人類にそれが一度のみならず、二度、三度と投与されています。

しかしそもそもウイルスというものは、人類の進化が、それとの遣り取りでなされてきた経緯あるという、いわば、なくてはならない、極めて神妙な「両刃の剣」でもあるわけです。つまり、良いウイルスと悪いウイルスを嗅ぎ分けて、良いものは取り入れて行くという、人体の働きがすでにもつ免疫作用が決定的に重要であるはずのものなのです。それを、応急的な必要のみが優先され、本来の自然な免疫作用の維持、増強が取り上げられないというのは、主客転倒した対応でしかない――何やら「火事場泥棒」の臭いふんぷんな――ことです。

つまり、コロナウイルスのパンデミックの有無にかかわらず、私たちは、自分の体がもつ免疫の働きについて、むしろ、その維持こそが健康維持の核心として取り組まれなければならないものであるわけです。

そして、これまた私的エピソードで恐縮ですが、そうした本来の免疫力の保全に最も有効な考え方をもち、それを長く活用してきている実在する医学は、西洋医学ではなく、東洋医学です。それを、私は、最近になって、確信をもって言えるようになりました。それは、私自身の前立腺癌体験があったからです。

 

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