4.02 〈逆シンギュラリティ〉の時代に

MaHa 前回からの話を続けるよ。それでこれからは、君の時代であり、「〈心〉理学」や「情知」の時代だということ。

相棒 はい、それはうかがいました。

MaHa そしてだね、そこでのキーワードがあるんだが、それが何か、解ってるかな。

相棒 ええ、〈〉付きの心、つまり、〈心〉ってことですよね。

MaHa それは、その道行のゴールに到達するまでの言わば道具なんだが、そこに象徴的に目指されるキーワードが何かってこと。それは、〈逆シンギュラリティ〉。

相棒 「シンギュラリティ」って、あの「2045年あたりには人工知能が人間の能力を越える」ってことですよね。それが、「逆」ってことですか。ならば、人間が超人工知能をこえるってことですか。

MaHa 字義的にはそういうことともなるがね。そしてそれを“超人間”なんて呼ぶ人もいるが、そうした、事の上っ面を吹聴するような話には乗らん方がいい。

相棒 抜かれた相手を抜き返すってことですよね。

MaHa いや、米中関係じゃあるまいし、メンツに駆られた競争関係で言えばそういうことだが、そんな殺伐とした話じゃなく、もっとビューティフルな人間自身のこと。それこそ、自分をもっと豊かに、はつらつにして、本来の人間に立ち返ること。

相棒 ようやく解りました。僕の言う〈心〉や〈情知〉を実際に生かすということですね。それを象徴的にとらえれば世情の「逆」ということとなり、だから〈逆シンギュラリティ〉。

MaHa そうそう。そこでなんだが、君くらいの歳なら解るように、「歴史は繰り返す」じゃないが、昔、コンピューターが登場してきた時、それこそ、それで何でもできるみたいな話となって、いわゆる技術過信の世情ができてしまった。むろんその頃に「シンギュラリティ」なんて言葉はなかったが、一種の押せ押せムードや流行り風潮として、ある種の技術革新神話となって独り歩きし始めた。そうして起こったのが、その神話の背後で広がっていった「合理化病」や「過労死」。つまり、機械や風潮に人間が使われ、そうした犠牲者を生んだ時代だ。1970年代から80年代にかけてだね。いや、いまでもそれがこじれにこじれて続いている。いまだに、過労死はなくっていない。しかも、過労自殺というかたちで、もっと悲惨に。

相棒 そうして、その「コンピューター全能」の時代が「第三の産業革命」と呼ばれました。

MaHa そうして今日を迎え、このAI時代が、「第四の産業革命」と言われている。だから、繰り返す歴史を見ればこうだ。その「第三」の前の「第二の産業革命」の時代には、農業を基盤とした第一次産業の時代から工業を主体とする第二次産業の時代へと移り、土地や自然とのつながりを奪われて自分の労働を売ってしか生きられない労働者階級を生んだ。そこでマルクスに始まる革命思想も生まれて、ソ連だの後になるが共産中国だののイデオロギー先導の強権国家が生まれ、その思想が色あせたその後、独裁政権と結びつき、現在のロシアや中国といった非民主主義諸国家へと変貌してきている。

相棒 その他方の民主主義国家でも、「コンピューター神話」の時代がもたらした第三の産業革命の大波にもまれてその民主主義の建て前も崩れ、そこに生まれた不満を土壌としたいわゆるポピュリズム風潮が生まれてきている。それが労働力不足対策やもっとエゲツナクは低賃金労働者輸入のための移民拡大が火を付けた民族主義とも結びついて、自民族ファーストの新右派あるいは新保守の流れとなっている。

MaHa まあ、これからの時代に、新たな革命思想や新たな共産国家が生まれるかどうか、予想はつかないが、ともあれ、すでに「第3部 「〈心〉理学」はプラクティス」で見てきたように、ヘタをすれば第三次世界戦争の勃発さえ危ぶまれる情勢だ。

相棒 でもMaHa、〈逆シンギュラリティ〉なぞと聞かされると、“これぞその「新たな革命思想」かも”なんて思わされたりもしますよ。

MaHa そんなレッテルはどうでもよいし、ましてそう持ち上げられたりされようものなら、それはまた別の危なさだ。
 要は、いま、私たちの日々において、何が重要なのかということ。
 繰り返される歴史が告げていることは、産業革命なぞと、働く人たちの反対側で唱えられる風潮に飲み込まれないように注意すること。そして、いまの「シンギュラリティ」という新ワードもそうした風潮の新バージョンとして用心し、繰り返されてきた歴史が告げる警告に耳を傾けることの大事さだ。

相棒 つまり、そう耳を傾けることの方法として、「〈心〉理学」や「情知」が役立つってことですね。

MaHa 兄弟サイト『両生歩き』《「人生二周目」独想記》第35号でもそれが述べられている。つまり、今のAIの数理体系(アルゴリズム)の開発者でさえ、その仕組みを知っているからこそ指摘している、人工知能の限界だ。だからこそ、そうした現行科学の原理がつくる壁を越えるために、「〈心〉理学」や「情知」が役に立つということ。

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