3.04 本源的な二重性

MaHa 君もその談義に入っていたはずだけど、兄弟サイト『両生歩き』に掲載の居酒屋談義36話「人生3周目は傘寿から」で、実に重要な話が交わされてるね。

相棒 あれは面白かったのですが、それってそのうちのどの話ですか。

MaHa 人はその人生の大詰めにきて、「健活」と「終活」の背中合わせの綱渡りに際し、どう「死角」に迷い込まないことができるかというくだり。そのいわば「迷宮の虜」になるのを避ける第三のやり方についての話。そこで言われていた、人間の存在って、もともと二重構造だって話。

相棒 そうなんです。二重構造って聞けば、資本主義の矛盾として捉えちゃうのが普通ですが、そうじゃなく、人間の本源的な有限性と無限性という二重性です。

MaHa 人間を有限性に立って、そこでそのこの憂き世の二重構造と考えれば、それこそ私たちの死は、それですべてが終わるどん詰まりの話となる。そして、「健活」と「終活」が重なり合って、アクセルもブレーキも使い分けが効かなくなり、自分でもどうすることのできない成り行きの中で、その無惨な終わりを迎えなければならないこととなる。
 それを、そう考えるのではなく、自分をなす意識というものは、そもそも、そうした有限性を超えたところに宿るものであって、そういう無限である意識であるからこそ、有限である身体を持つ人間とは、本源的に二重構造にあるという議論。
 実にすごい議論じゃないか。

相棒 そうした話って、通俗的には、たとえば「死後の世界」とか「あの世」とかいわれて、漠然たる宗教話で考えられてきた。そういう意識の無限性を、肉体の死滅をもって全ての終わりを告げてしまったために、そんなおどろおどろとした話とされてきた。でも、この二重性とはそういうことではなく、誰しも自分の意識はもっており、その意識は、いくらでも無限に広がる世界なのであって、もともと肉体と意識の間には、二重性ははっきりと存在していた。

MaHa そこでだが、その意識を構成するものを、君たちの談義ではそれを「情報」と呼んでいたね。

相棒 はい、そうなんですが、実は僕としては、この「情報」という言葉は、大いに舌足らずと考えてます。
 もともとこの「情報」って用語は、IT世界の専門語として使われ始めたために、そうした何か数学的なものとの受け止めが強いのですが、じつはここで言われる「情報」は、そうではないんです。そこには数学的なデータやアルゴリズムも含まれますが、もっと広く人間に関係する、形にならないもの、たとえば、心、思い、感情、感覚、直観などなど、それらすべてを包含するものです。何か別の用語を用意するべきだとは思いますが、いまはまだないですね。ともあれ、そういう、無限へと広がってゆくことです。

MaHa 「情報」の「情」の部分はいいが、「報」の部分はまるでお役所言葉でいけない。「情知」や「情智」なんてのがいいんだが、その発音が「情痴」を連想させてしまう。

相棒 そうですね、とりあえず「情知」くらいを定着させたいですが、ともかく、そうした要注意すべきな「情報」との語です。

MaHa ちょっと話しは跳ぶんだけど、人類、過去の過ちを繰り返さないために、いまほど世界平和の実現が必要な時はないよね。
 そうした時に、いわゆる現実論者は、核抑止論だの、対抗武装だのとの議論を盛んにさせているが、まともな人たちは、その危なさやぼう大な無駄を真に危惧している。
 つまり、いまここで必要なのは、そうした目先の現実論の先をゆく、本当に誰にとってもの利益となる、彼らに言わせれば「理想論」を、いまこそ現実化することだよ。
 言い換えれば、私たちの意識がその無限性だからにおいて望める、平和というものを形にさせてゆくこと。それは、世界の誰しもの願いだし、ここで誰しもがそう考え、それだからの次元で、それが現実としえるということなんだよ。その意味では、金は少しもかからん。

相棒 つまり、人間が本源的に持つ二重性を生かすからこそできる、世界平和の現実化。片一方のリアリティーに縛られていては、互いにすくみ合うばかりで、やがて人類、自滅して行ってしまう。

MaHa でなければ、。

相棒 それによって、主観的観点が客観的観点に転化し、一体化するということです。

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