第3部 「〈心〉理学」はプラクティス

MaHa 「〈心〉理学」には「学」という文字が使われているけど、厳密には学問ではないよね。むしろ、一定の学的知見を活用した、生きる上でのプラクティス、いわばノウハウ。

相棒 そこでですが、この『フィラース』と兄弟サイトの『両生歩き』は、それぞれの役割を担い合っていることはすでに述べました。つまり、前者を〈メタ旅〉の、そして後者を〈リアル旅〉の、それぞれのナビゲーション役を果たしてきていることです。
 そもそもこの二つのサイトの設置には、自ずから、時間的ずれがありました。『両生歩き』は、1984年にオーストラリアへの中年留学を開始したことを発端に、日本と豪州との二重生活の体験から「両生」という視界が生まれ、その日々の体験を「歩き」と表現してきたものです。そういうわけで、それはあくまでもリアルな次元を対象としたものです。
 やがて、そうした複眼視野が発展して、現実の縛りから離れてみようとの動機が生まれて「リアル」と「メタ」を区別し、想念の次元に足場を移してゆきます。そうして、その飛翔の場にしようとして設置されたのが『フィラース』です。そしてそれは自分の「メタ」存在たるアバターや「自分彫刻」を生み、さらにはそれを独立させた自由存在、「MaHa」つまりあなたを創り出してきています。

MaHa 私と相棒君のこうした絡み合った関係は、それこそ、従来の科学の常識を超えた量子論の〈双対性〉の世界を代弁している。

相棒 ちょっと大それたことを言ってもいいですか。

MaHa ほお、ぜひとも聞きたいもんだ。

相棒 実は、学問の世界がじれったいのです。私たちの生活って、ほんとに現場にさらされていてのっぴきなく、その切実さにおいて、どこよりも誰よりも先を行っていると思うんです。だからこそ、そこで引き出され、生かされる感性や直観は、いうなれば、なにも今に始まった工夫や知恵ではないです。実は学問こそがそれを排除していて、それだけ遅れてきているんです。そういうリアリティーを、学問側がどこまで解っているか。

MaHa つまり、〈双対性〉なんて、すでに永くながく活用されてきた常識中の常識で、今さら何ですかっていうわけだ。

相棒 まあ、鼻息はそれまでとして、この《生活者の先行性》の世界として、「〈心〉理学」を語って行きたいのです。つまり、ここに用いられて「学」って文字は、おっしゃるように、まさに反語的な使われ方です。

MaHa よしよし、じゃあ、その反語“学”的「〈心〉理学」を聞かせてもらおう。

相棒 そしてそして、こういうことも考えておいた方がいいんじゃないかと思うんですが、やはり、〈メタ旅〉と言うのであるのならそれは、絶対避けて通れない、〈終活〉の一部であるのかも知れません。

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