「MaHaさん、ぼくは二十代の若造なんだけど、こう言っていいのかな、あなたの“相棒”さんは、昔、二十代の頃、こんなことを言ってましたね。」
「さて、どんなことかな。」
「手記にこう言ってます。『自分が二十代の頃、もう十歳も年上ともなれば、その人を、人とは思っていなかった』と。相棒さんはそれくらい、〈老人嫌い〉だったようです。でもその相棒さんは、今やハンパない、老人ですよね。」
「その通り。でその当時ね、ヤツの目に老人は、見た目も薄汚く、言うことものらりくらりで、信用に値する存在じゃなかった。まあ、お義理には、礼儀なんてことはしてたようだけど。まあ、生きてくための、面従腹背だったのかもね。」
「それって、いまのぼくと似てるんです、正直言って。そんな、信用できないっていうか、勝手な人たちっていうか、よく言っても、人を見下して説教臭い。だから、そんな彼らの経験談っていうのも、ぼくにしてみれば、ゴミ箱みたいな話の寄せ集めです。中にはいくらかは値打ちある話も混じってるのかも知れないけど、そんなの、掘り出すまでもないし、そもそも時代ズレしてる。」
「そんな老人話を、いまさら持ち出して何なのかな。そういえばヤツ、たしかこんな昔話をしてたな・・・・ 会社務めをしてた頃、上司がいわゆる不正をしていて、それを当然のように黙認するよう言われたらしい。さすがにNoと即答はできず、どうしようか悩んだんだね。そこで知り合いのクリスチャンのはずの人に相談したらしい。そしたら彼曰く。『牧師でもあるまいし、そんなことを言ってると、ハシゴを外されるよ』。その〈ハシゴを外される〉って言い回しに、ヤツ、えらく驚かされショックだったらしい。自分の内から出る思いを、まるで外から入れ知恵されてるかの言い方だろう、それ。そんな自分がまるでロボットみたいな話が意外だったんだね。それで、だれもこうなんだろうなのかって察したんだね。そこで、自分が牧師でないのは確かだけれど、自分の神くらい、自分で決めようと考えた。」
「それで彼、どうしたんですか?」
「その会社を辞めた。つまり、自分は一般的ではない、少なくとも会社務めはやってられない、今で言う『Q』、つまり“へそ曲がり”なんだと自認した。」
「『Q』って、あの『LGBTQ+』のQですか?」
「そう、もちろん『LGBTQ+』って用語は、性的少数者界隈で使われることが多いけど、その最後の『Q+』は、性的に特異というより、性格的に多数についてはいけない、いわゆる変わり者のことも含んでいるということ。つまり、体は普通でも、精神的にはけっこうデリケートなのが自分なんだとの自己認識。」
「ぼくも自分の性に、ちょっとつまんないけど、体と心とのズレなんてなくて、その点、すごく平均的。でも、自分のものの考え方や価値観として、大勢には従ってゆけない、自分で意固地だなって思うのがあります。ヤセてもカレてもぼくはぼく。そのへんで、年上の人たちの、そつのない生き方には違和感をもってしまう。そういう意味で、〈老人嫌い〉とまでは言わなくても、敬うとか尊敬とかはちょっと無理。」
「それはあるだろうね。そこでなんだけど、自分がゲイではないとしても、そういう生き方のスタイルという面で、いわゆる『カミングアウト』があってもいいんじゃないかな。俺は“変わり者”ですってね。ヤツが会社を辞める決心をした時の心境はそんな『カミングアウト』同然だったらしい。そして辞めたいと上司に告げたら、まるで、“お前はバカなんじゃないか”って言われた。だからそうして、ハシゴを外され、村八分となって、道なき道を生きることとなった。」
「会社辞めて、喰いっぱぐれになったんですね。」
「今なら転職ってのが可能なんだけど、50年も前の当時、〈生涯一仕事〉ってのが常識の時に中途退職するってのは、おおげさじゃなく、自滅行為に等しかった。そして結果的にはなんとか生きて行けたとしても、もうそこは人生の裏街道。」
「相棒さんは、その裏街道を生きてきたんだ。」
「そういうこと。そしてね、私はそういうヤツの経歴を買って、相棒にしてるんだがね。」
共に〈生活Q人〉
「そういう《老いたるQ》と《MaHa》さんのアイボー関係って、いったい何なんですか?」
「うん、いい突っ込みだ。ちょっとややこしい話となるが、聞いてくれるかな。」
「はい、どういう話でしょうか。」
「そんなこんなで、何らかのカミングアウトした『Q+』の人たちって、いまの社会ではけっこういるよね。おそらく君も。たとえば、アメリカじゃあ、目覚めた人で『ウオーク』、日本では『意識高い系』とかと呼ばれるグループの人たち。でもどうだろう、そういう人たちって、君にしてみれば、仲間と思えるのかな?」
「うーん、年齢的には同世代とは言えるけど、どこか、お高くとまってる別クラス、って感じかな。」
「彼らも一応『Q+』の人たちだから、既成の政治家やビジネスマンとは一線を引いているが、もちろん、いわゆる庶民じゃないし、生活に追われているわけでもない。」
「ぼくらって、暮らしにくさはもう嫌ほど感じている。それに氷河期のロスジェネ人たちならなおさら。だけど、選挙的には、だいたい投票に期待できないし、行く気にもなれない人たち。まして、『LGBTQ+』なんて、ごちゃごちゃ小うるさい連中で、一種の流行りのノリじゃないのかって、うさんくさい。いくらぼくがそのうちの『Q+』だと言われても、自分がその一人だなんて信じられない。」
「そう言うのも分るけど、『Q+』のたとえ“Q”ではなくとも、“+”の部分だとは思うよ。私の相棒もね、自分がそのへんの『Q+』のうちの“+”には近いなって発見したみたいだけど。でも、そうした人たちってみな、自分の息子や孫ほどの世代。だから自分が同類だとは、ちょっと切り出せないでいる。」
「そうなのか、ぼくらと相棒さんって、意外に、近いんだ。」
「そう、だから、相棒の経験って、今のそれこそブラック企業のエジキにされてる人たちとは、共有でききるところがけっこうあるってこと。」
「そうか、どちらも生活に窮してる〈生活Q人〉ということか。」
「どう、いっしょだろう。」