本章やそれ以後の章で、〈科学〉と科学を括弧付きで表示するのは、既述した「非科学な科学」という意味です。そうした見地に立って、本章は「自分を〈科学〉」してゆきます。
「時空」という世界
私にはこの数十年、しだいに強まって抱いてきている一つの思いがあります。それを凝縮して述べと、「空間」と「時間」という二つの概念がしだいに融けあってきて、あたかも「時空」という一つの概念があるかの思いです。
アインシュタインの特殊相対性理論にも、同様の概念がありますが、ここでいう「時空」とは、そうした数学的/物理学的なものではなく、上記の「非科学な科学」でのものです。
私たちは体験上、時間が将来から流れきて、現在をもたらし、それが刻々と過去へと去ってゆく、そうした一本の時間の線上を進んでいる感覚を常識としています。そして、そうした時間軸で区切られた自分自身の体験を、ひとつの空間ととらえ、それが作る一種の箱状の空間概念を、長い列車のように、今を先頭として遠い過去へと、ずっと並べてきています。
ところが「自分を〈科学〉」すると、ここでいう「時空」の概念とは、そうした空間単位の時間上に並ぶ無数の箱ではなく、それらがすべて、「時空」という、ひとつの大きな概念によってくるまれている、一体のものとの考えられてきます。そこで、こうした考えをスパイラル状に表現したものが、以前に述べた「理論人間生命学」の第2部で示した二つの図です。
この「時空」を象徴的に表現すれば、今の自分と若かりし頃の自分とが、あるひとつの空間に〈同時〉存在しているとの見方であり、創成感覚です。そして、ここに〈同時〉と括弧付きにしているのは、いわゆる時間的な同時ではない、別次元上すなわち「非科学な科学」上での同時という意味であるからです。
オーストラリア体験を発端にもたらされたもの
私がオーストラリアに移り住んだことによる最大の収穫は、後にこの「時空」の概念へと通じるその端緒をつかんだことです。そしてそれが、別サイトの名称となった『両生空間』との考えを生み出しました。つまり、日豪という地理的二点を移動し、実体験するということが、まず、そうして生きる空間上の二つの世界、つまり、「両生空間」という考えや感覚を生み出したことです。
そうした地理的、つまり物理空間上の隔たりを一体と捉える感覚を手始めとし、その後に体験したことが、自分が書き残した古いノートをその二十年後、三十年後に読むという、自分自身の時間上の隔たりをひとつの一体として――あたかも二人の自分が同時存在し再会しているかの――「相互邂逅」の体験でした。
このようにして、物理空間上でも、時間軸上でも、隔たったはずのものが一つとなって融合しているとの体験や感覚が、この「時空」概念へと到達する原体験となりました。特殊相対性理論の「時空」という数学的概念とは異なる、体験から立ち上がってくる想念を根拠とするものです。
そして、いったんそうした独自「時空」概念の発端をつかむと、それ以降、あらゆる体験や実感が、その考えに含み込める思いを深めてきています。
さらに、そのような一連の体験を起点とすると、どうやら、一本の時間軸で見ていた過去の自分の世界観が、あまりにも単純なもの、時には、歪んでいたものとさえ見えてきて、それと異なるもっと包括的な世界観があるのではないかと確信されるようになってきました。
つまり、以上のエピソードにあるのは、いずれも実際の体験のなかに発見された世界です。たんなる空想や理念上のアイデアではありません。
思えばかつて二十歳前後の時代、こうした体験にもとづく考えを「経験主義」と呼んで見下したものでした。つまりは、かじったばかりの理念が輝かしく思え、実際の体験にひそむ生命の営みの意味がくみ上げられていませんでした。自分の人生体験にまだ注視がよく配置できていなかった、若さがゆえの、素早く燃焼しやすい精神が行き着きやすいあい路でした。
科学から〈科学〉へ
こうした体験に見出せる新鮮な発見をすればするほど、科学がそれ自身の根拠とする方法論のもつ欠陥に気付かないではいられません。つまり、従来の科学を今日まで構築してきた、物事を根源要素にまで分解し、それを原点に世界観を組み立てる、広く「還元主義」と総称される体系の見直しへの手掛かりです(「理論人間生命学」の第2部で詳述)。
そうした「気付き」をもたらす源泉は、いうなれば、外に目配りをする外向的な視点ではなく、内へと向かう、時には病的とさえも受け止められる、実に孤独な働きです。
いまから思えば、もし私が芸術的な才能を持っており、自分のそうした思いをその才能を通じて直接に表現できたとすれば、おそらく、今の私の歳になるまでほどの年月は要しなかったと思います。逆に、そうした才能を欠いたからこそ、ここに述べているような、「非科学な科学」といった手段に至りついたのかもしれません。
そこで生かされている方法とは、才能に代わる誰もが持つ、日常体験です。
私はかねてから、そのような意味で、「生活者」という視点を重視してきています。この「生活者」との呼称は、かつての理念的な発想では、そういう自身を表すために「労働者」という表現を用いるのが常でした。それが一部であるのは間違いないのですが、それにすべてを預けきれないそれを越えるものがありました。つまり、労働という経済的な概念を土台とする、言い換えれば、物質的要素を重視する概念では捉えきれない非物質的な自分自身の存在でした。
そうした非物質的な自身を探るに際し、日常世界でたどり着いて行く先は、ある意味ではさほど困難ではなく、いわゆる宗教の世界は、まさにそこを根城としていました。しかし、先述のように、それもふさわしい道とは考えられず、なんとか科学の道の延長上の解決法を模索するなかで遭遇したのが、生物学という科学の一分野でした。ことに、生命という、科学のなかでも謎中の謎とされる分野を開拓している流れでした。そして、そうした模索の結果にもたらされたのが、既述の「理論人間生命学」です。