本章も、3章のように、MaHaという主要テーマからは外れた、今の状況が要請する挿入的な視点です。そして、タイトルのように、その“処世術”風なまとめです。
二種の読者
この5月の月初め、本『フィラース』でも、兄弟サイトの『両生歩き』でも、いずれも4月中のアクセスログ上の顕著な変化について、分析記事を掲載しました。
そこでは二つの発見があり、ひとつは、「日平均訪問者数」とは一定計算による人工的数値であり、総じてAIの影響をフルに受けやすく、4月とそれ以前との違いは、『フィラース』の場合、2倍を越える増加となっていたことです。
ふたつめは、各部門別ヒット数に関してで、それは、読者の生の反応のデータであり、その意味では自然数であることです。したがって、その変動は、AIの影響を「日平均訪問者数」ほどは――いまのところ――受けていないと考えられます。
ただ今後は、その読者の側が直接にではなく、AIを介してアクセスしてくる場合が増えてゆくのは確実と思われます。そうなれば今後、読者については、「自然読者」と人工的な「AI読者」との二種が混ざって存在することになります。
それに加えて、AIの影響は、それがデジタル情報技術に乗ったものであるだけに、それが取り扱うヒット数は急激な増加がありえるはずです。すなわち、AIの影響の結果、二種の読者の混在とともに、反応数の急激な――時には爆発的な――上昇が起こりやすいと推測されます。
「人間大」サイズの維持
そこで、こうした「自然読者」と「AI読者」という二種の読者について、むろんいずれの読者であろうと、発行者側とすれば読者に違いなく、その増加は歓迎されることなのですが、はたして、それはぬか喜びにならないのかということです。
というのは、「『AI時代』にあらがう」でも述べたように、このようにして膨れ上がる人工読者数の動向は、そのオンライン上の大挙した出現をもって、あたかもそれが実際の人間の声の反映であるかのように解釈される恐れです。つまり、そのようにして可能となる「人工影響力」ひいては「人間支配」の可能性です。
すでにTV時代――広義に、映画もふくむ映像時代として――のその結果として、いわゆる「セレブ」という、発言力の拡大された人間群が出現しています。そうした「旧セレブ」に代わる、AI時代の「新セレブ」が、AIという巨大な情報力を背景に、TV時代とは比べ物にならない、仮想映像も駆使した、もはや人間大の規模ではない、“怪物的”な影響力をもつ恐れがあることです。
したがって、そうして膨れ上がる〈AI肥大影響力〉と人間大の動向とを見分けるために、少なくともデータ処理の段階での、生の人間反応のデータ収集は重要性です。
そこでですが、現在の段階ではまだ、「日平均訪問者数」と「各部門別ヒット数」として、そのおおむねの区別は可能です。しかし、今後、この「各部門別ヒット数」にも、読者がAIを介してアクセスする「AI読者」もミックスされてくるのは間違いないでしょう。
ただし、この「AI経由読者」の問題は、まだ目下の問題とまではなっておらず、また、そもそも進展著しいそのAI分野の知識に乏しい現在、今後への大きな課題として、機会を改めて述べたいと思います。