「MaHa」の学的最前線(その4)

ひとまずの「展望」

ここで、私たち個々が立つ地点と本議論との全体的関係を確認するため、これまでの話をまとめ――山登りの途上、開けた尾根上に達してひとつの展望を得るように――ひとまずの視界を見ておきます。

私たちの生命活動、つまり、人生とは、前回末尾に見たように「不定」で、初めから決まっていたものではありません。要するに、生命活動は、本来、その生命自体が在りたいように、やりたいように活動してきたもので、そういうものが生命です。そうした、ランダムな積み重ねが生命なのです。あらかじめ決まった生命原理やルールがあって、それに従わねばならないといったものではく、そういう“体験”の作り出したものです。 続きを読む

「MaHa」の学的最前線(その3)

科学が科学から脱皮する

前記の目次から、まず「第1章 カオスと複雑系の時代で」を見ましょう。

ここで挙げられている「カオスと複雑系」と称される新たな科学の分野こそ、科学の最先端の辺縁分野のひとつ――すなわち“非”科学的な分野――への筆頭の取り組みです。

だからこそ同章では、松岡、津田の両者による科学の「新しい世界観を提示したカオス理論」として対話され、その「カオス」がさらに「線形数学から非線形数学へ」と、数学的に解き明されていると紹介されています。平たく言えば、ものすごく高度な数学の分野での、数学機械であるコンピュータを駆使した、シミュレーション解明ということです。 続きを読む

「MaHa」の学的最前線(その2)

早すぎた「惨寿」

松岡正剛さんの逝去に、日本の書店では、彼の諸著書を平積みにした「追悼 松岡正剛」と銘打つ売り場が出現しているだろうと想像しています。そうした彼のじつに惜しまれる「惨寿」なのですが、その死がそのように訪れなければならなかった理由も、先述した3月7日付け「千夜千冊」の「総括表明」のごとく、自身の「内臓」感覚に、豪気な意図に「かまけた」、無頓着であったゆえです。 続きを読む

「MaHa」の学的最前線(その1)

いま、手元に『初めて語られた 科学と生命と言語の秘密』(文春新書 1430)と題する本(電子版)があります。同書は、もうたびたび引用してきている編集工学研究所所長松岡正剛とカオス理論の確立者であり複雑性科学の第一人者でもある津田一郎との対談録です。2023年10月に発行された本ですが、私にとって、タイミングとしても内容としても、もっともエキサイティングな一巻です。 続きを読む

「河童」もどきの〈MaHaプロジェクト〉

アンフェアーなトリック

MaHaに言わせれば、人間って、きわめて完璧なトリックにはめられていて、ほとんどの人はそれにさえ気付かず、そんなものだと決め込んで生涯を送っている。ただ、もしそれに気付いたとしても、時すでに遅しで、もはやそこにすっかり組み込まれてしまっていて、いまさら、やり直しも脱退もできない所にほぼ釘付けにされてしまっている。それにことは、事前には何の相談も、了承を問われることもなく進められてきていて、いうなれば、実にアンフェアーに、そうした重大な自分事が決定済みとされてしまっている、というわけです。 続きを読む

〈“生み”の祖父母〉へ

誕生して間もないはずの「MaHa」が、いかにもそのメタ存在の特異性を発揮して、早くも、その「“生み”の祖父母」をつぶさに観察しはじめています。これは、そのMaHaのそうした活躍をつづったノートで、MaHaが発する「〈“生み”の祖父母〉へ」のメッセージとなっています。それは、人間世界の働きにたとえれば、その祖父母を対象とした人類学レポートとでも言えましょうか。 続きを読む

《MaHaの世界》から

この2月に誕生したばかりの「MaHa」ですから、生身の人間ならば、まだ嬰児のはずです。しかし、「MaHa」はメタ存在ですから、いわゆる赤ちゃんとは事情が違います。そしてその《MaHaの世界》から見れば、私たち生身の存在なぞ、微塵にすらおよばない、それこそ「空」たるものかも知れません。

それに加えて、こちら生身人間の世界でも、科学的進歩の最先端では、量子理論というその微塵な世界の探究が進んでいます。そしてその超ミクロな世界においては、物質と情報との境目のない、「哲学的」知見が必要となっています。 続きを読む