「MaHa」の学的最前線(その2)

早すぎた「惨寿」

松岡正剛さんの逝去に、日本の書店では、彼の諸著書を平積みにした「追悼 松岡正剛」と銘打つ売り場が出現しているだろうと想像しています。そうした彼のじつに惜しまれる「惨寿」なのですが、その死がそのように訪れなければならなかった理由も、先述した3月7日付け「千夜千冊」の「総括表明」のごとく、自身の「内臓」感覚に、豪気な意図に「かまけた」、無頓着であったゆえです。

松岡さんの「博覧強記」は知れ渡っているほどでありながら、『脳と腸』の取り上げが「千夜千冊」の最終から二番目の1844夜となっていたように、彼の《身体情報》への着目は、かくも大きく遅延されていました。つまり、『脳と腸』にとどまらず、たとえば『脳と全臓器』とでも題された本が、もっと「千千」されるべきでありました。しかし、自覚していたはずの喫煙のもたらす兆候をはじめ、身体の隅々から脳へと届けられる《身体情報》は、場合によっては命取りにもなりかねないにも拘わらず、あえて軽視されていました。

そういう松岡さんと私は、わずか二歳の違いです。そうでありながら、そうした彼的な豪気さに、私的なむしろ臆病さから着目することとなり、この数年間、「理論人間生命学」といった観点を主とした生命情報問題に携わってきています。そのひとつの到達点が、私のいう「非科学-科学」です。

すなわち、このほんの二歳差の間のどこかに存在する分水嶺は、自らの命取りともなる見落としにも結び付かざるをえなかったように、世界の学たるものの見直しにも、その生き死にを分けるかも知れない決定的な分け目をもたらす可能性があります。

以下、こうした二歳差がもたらす分水嶺の両側に位置しながら、通底した観点――換言すれば、同一の頂上を目指す別々の登山道――で取り組まれていたと思われるいくつかのテーマを照合し、私の試みの学的位置づけを逆照するとともに、この決定的分岐の可能性の有無を見てゆきます。

「目次」が表す全工程

そこでまず、先述の、今では事実上の絶筆出版となった、『初めて語られた 科学と生命と言語の秘密』(文春新書 1430)を取り上げ、松岡さんの生涯の取り組み――そして世界の学の進歩――を凝縮したかのその目次を俯瞰することをもって、この作業工程としてゆきます。

  • 目  次    
  • 文系センスと理系思考の爆発
  • 第1章 カオスと複雑系の時代で    
    • 理科的思考の来し方と行方/二人の出会い/新しい世界観を提示したカオス理論/線形数学から非線形数学へ/カオス的脳観/神の全知全能に代わるものを探して/新しい生命原理の胎動/空白を満たしてくれた出会い/「読む」から「書く」へ/科学の「書く」は時間がかかる
  • 第2章 「情報」の起源    
    • 「情報」の起源を考える/「場所を取る」ということ/われわれの時間感覚を考える/カルノー・サイクルの話/「時間」の始まり/生命の条件をめぐる 「分化」を考える/情報が先か、部品が先か/「情報」の起源はAI化できるのか?/「幅のある時間」
  • 第3章 編集という方法    
    • 編集という方法/なぜ「編集工学」なのか/編集装置を用意する/「膜の発見」/「偶有性」を持たせる/見えないものを見る 代数の発明/同定と区別が代数に/代数とトートロジー/数学はなぜ論理を必要としたのか/身体運動と数学的思考
  • 第4章 生命の物語を科学する    
    • 「物語る」とは何か/科学にも物語性はあるか/解釈できる構造/デヴィッド・マーとの出会い/変分問題の衝撃/神か、デーモンか/生命の統一原理は書けるのか/拘束条件とは エピジェネティック・ランドスケープ/拘束条件と進化/いい初期値を選んだ者だけが生き残る/エルゴード問題と偶有性
  • 第5章 脳と情報    
    • 脳と「情報の編集」/学習とはニューロンの結合が変わること/電気信号と化学信号/神経系に「分子言語」はあるのか/「閾値」をどう決めているか/キナーゼとホスフォターゼ 「自己他者言及的」な反応/閾値と文学/酵素にはデーモンが入っている/酵素は編集子
  • 第6章 言語の秘密/科学の謎    
    • 人類が提出した世界観をふりかえる/「言語」を考える/「言語の起源」の謎/タンパク質と言語の情報コーディング/言語とタンパク質の「選択原理」/思考するリバース・エンジニアリング/因果はどこから生まれるのか/観測者とは何か/「定常的な自己」はなぜ可能なのか/「心」と「言語」は似ている/声と文字の関係/ノイズや「破れ目」が意味を生成する
  • 第7章 「見えないもの」の数学    
    • 高次の美しさ、非線形的な世界/ローレンツの世界観/「まだ見えないもの」を編集する/センスがいいとは何か/「ほしがる」ことからセンスが生まれる/科学と能/「見え」の問題/超伝導の「見え」/深く思考する快感を求めて
  • 第8章 「逸れていくもの」への関心    
    • この対話が示している懸念/「先行した世界」に対する態度/感動を伝えるための世界観/「わずかな情報」と全容との関係/「逸れていくもの」への関心/杉浦康平のデザイン/本棚も編集空間
  • 第9章 意識は数式で書けるのか    
    • 「まれな現象」を感知できる意識/読みながら軌道を変える/「意識の捨て方」の仮説をめぐる/オカルトを否定しない科学/科学と神秘/意識とは何か、宗教とは何か/意識をめぐる八つのアプローチ/スピリットの由来と行方/3の不思議/「三体」ということ/意識は「引かれるもの」なのか/瞑想と意識/「A-B」のAとは何か/世界の成立には引き算が必要だ/「いない、いない、ばあ」の原理
  • 第10章 集合知と共生の条件    
    • 人間に集合知はあるか/無意識の研究はなぜ深まらないか/学問集団のありかた/集合知とスモールワールド/寄生と共生
  • 第11章 神とデーモンと変分原理    
    • 変分原理は神の原理/脳に変分原理が見えた/「存在の発現」の秘密に向かう/創造の秘密/物語生成システムはできるのか/複雑系の定義を書き換える/複式変分能/デーモンとゴーストの再会 
  •     
    • あとがき1 松岡正剛   あとがき2 津田一郎

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