究極の「Missing Link 失われた環」

本サイトの兄弟サイトである「両生歩き」の最新号(7月7日付)で、「自分って何人」と題したシリーズ記事が完結します。その最終回に述べてありますが、人間がその歴史の中で――ことに合理性の追求という観点をもって――考察してきたことで、フルには手を付けてきていない、あるいはあえて排除さえしてきた分野があります。そのMissing Linkとも言えるものが、カテゴリー上では「神秘主義」と呼ばれる、科学と宗教、あるいは、物質と情報/情念の間に存在する境界領域です。またそれは、残されているという意味では、一種のパイオニア領域です。 続きを読む

量子論は“エロチック”

以下に書くことを、量子理論のいう「雲状の存在」の詳細描写とするなら、それは「多大な誤解」ではないかとの「科学的」批判を受けることになるだろうことは承知しています。しかし、本理論人間生命学における「理論」とは、その「科学」がまだ排除している一種の仮説や推測をも領域内に取り込み、かつ、私たちの生命の現実感にそった実用性――科学的立証を待っていられないのっぴきならぬ生命の問題――をも重視するものです。ある意味では、「科学」の未来を先取りするものとも言えましょう。 続きを読む

「もしグレタが僕の孫だったら」

今朝、まだ日の出前の薄暗がりの中、目覚めたばかりでまだ眠りと覚醒にまたがっている意識が、いきなり、表記のタイトルのような設問をとなえ出しました(「グレタ」とはスウェーデンの18歳の環境活動家グレタ・トゥーンベリのこと)。それはたぶん、昨夜寝る前に、日本のグレタたちを報じる新聞記事を読んでいたための余波でしょう。つまり、グレタの言う、(地球温暖化問題に)「なにもしようとしない大人たちを許しません」とのきついメッセージを、もし自分の孫から言われたら、自分なら何と答えるだろうか、との設問です。 続きを読む