究極の旅としての「ワープ」
この「ワープ」とは、SF用語で、空間の歪みを利用した異次元空間旅行のことです。その「ワープ」を、この理論人間生命学は、あなたにも可能だとします。でも、そんな空想めいたことが、本当に可能なのでしょうか。
実は、私――74歳の“老人”――、先に本を出版しました。アマゾンのオンライン出版システムを利用したもので、我ながらちょっとした挑戦だったのですが、可能でした。
というのは、この年齢でも、一通りのパーソナルコンピュータ(PC)技能を身につけていたからでした。文章を書くのも、編集するのも、表紙をデザインするのも、そして出版手続きをするのも、すべてPC上で自力で行いました。
おそらく、この程度のPC技能は、私より、たとえば20歳も若い世代になら、いともたやすい技能でしょう。つまり、その意味では、私のPC技能年齢は50歳代相当と言ってよいのかもしれません。
それでは、この20歳ほどの“若返り”は、どのようにして可能だったのでしょう。
その秘密は、ほぼ40年前、私が38歳の時に決心した「中年留学」にあります。
その40歳という大台を目前にした時、普通ならもはや遅すぎると考えられる、海外留学を決心したのでした。そしてその行き先は、オーストラリアでした。
その年齢不相応の留学の結果は、そこが外国であることに加え、まわりは20歳代の若者たちの世界でした。つまり、この「中年留学」とは、実生活上、自分の年齢を20歳ほど時間軸上をスリップさせることなのでした。
そうした「中年留学」より得た収穫は文字通りさまざまですが、その一つに、そのPC技能がありました。
というのは、その1980年代半ばは、アップルの「マッキントッシュ」が世に出て、世界にPCが登場し始めたまさにその夜明けの時代でした。そして、大学というアカデミックな世界では、その新登場の知的ツールの普及が精力的に図られ、その修得は必須となっていったのでした。
つまり、私がこの年齢にしてオンライン出版をなし得た秘訣は、そうしたPCの普及の洗礼を受けていたからでした。
すなわち、このPC技能習得の真の要因は、中年留学というほぼ20年の時間的スリップ、つまり「タイムスリップ」にあります。それに身をさらさないではなされなかったことです。
「タイムスリップ」は、冒頭に述べたSF用語の「ワープ」の一つとされる現象で、もっとも広く知られたワープ現象です。つまり私は、その「中年留学」によって、ほぼ20年の「タイムスリップ」つまり「ワープ」を実際に体験していたのでした。
これは、言い回しの問題ではありません。実際の体験が持つ意味のことです。むろん、20年程度のタイムスリップは、SF話としてはさほど劇的ではないでしょう。しかし、現実談として、そういう時間的ジャンプが無くてはしえなかったことです。ことに、人類史において、PCは、その時に初めて登場してきたもので、その現場での体験だったのです。
最近、アンチエイジングなどという言葉をよく耳にし、その処方がいろいろ伝授されています。むろんその効果を否定するものではありませんが、それを成し遂げる究極の秘訣は、この「ワープ」を体験しうるかどうかにある、と見るのがこの「理論」の要所です。
「若ぶる」エネルギーの出どころ
早い話、この「タイムスリップ」の秘訣は、「若ぶって」留学してみることでした。
ただ、その「若ぶり」にもいろいろあって、若者言葉を使ってみるとか、流行りのファッションを身につけてみるとか、あるいは逆に、子どもたちから「おじんくささ」を指摘されてドキリと――逆若ぶり体験――させられるなど、さまざまです。
それはそれでいいのですが、やはりそれを「ワープ」レベルにまで持って行くには、それをあらかじめ「ワープ」と意識するかどうかは別として、それなりの大きなジャンプをしようという当初の充分大きなエネルギー投入が必要です。
その内容はさまざまであるとしても、ひとつのジャンプを志そうとする際の、動機付けを導くその作業工程を「理論」と呼びます。
私の場合の「中年留学」の動機は、労働運動というものを国際的に学んでみたかったというものでした。つまり、ひとつの興味や遣り甲斐をを発見し、そこに飛び込み、それを突き詰めた結果、何らかの達成や限界に達します。そういう枠組み設定とその完遂感を見出すことこそが、次への方向性を導き出します。こうした作業工程が「理論」です。ある意味では、秩序付けられた実践課程とも言えます。決して、理論と聞いてとっさに思い浮かぶ、頭脳作業の産物ではありません。
そして、「理論」によってそのように導き出された方向というエネルギーこそが「ワープ」の原動力となり、そのエネルギーは、《健康というインフラ》がゆえのもので、病的状態からは決して湧き出てくるものではありません。
この《健康というインフラ》は、前回、その第1原則《生命創造性;Life Creativity》として取り上げた通りです。
こうして「ワープ」を体験し始めれば、そこで体験する「飛翔感」は、それこそそれを実体験しなければ、知りようも、味わいようもないものです。まさしく、《生命創造性;Life Creativity》の醍醐味の体験です。
さあ、そういう「ワープ」に向けて、「理論」を磨いてゆきましょう。