3.04 「人類〈心〉理改造論」

MaHa  前回までに、命をめぐっての有限と無限の二重性、そして、その無限性を忘れた現実論が向かう人類滅亡のシナリオという議論が展開されてきた。そこで、聞きようによっては空論のような話から始めるんだが、いま私たちは、そんな現実論に距離を置いた鳥瞰的な視野を失い、あまりに地上の虫の視野に捕らわれている迷路にはまり込んでいる。「木を見て森を見ず」のジャングル中の視界欠乏とも言える。そうした空中視点からの、「〈心〉理学」の話だ。

相棒 前回は「本源的な二重性」とのタイトルで、まさか地上をはいずる虫ではないですが、地上に暮らす個々人にかかわる、だからこその有限から無限にわたる「情知」という、哲学的といってもいい議論でした。それがいきなり鳥の目が必要ってのはけっこう物理的な話ですが、その哲学的視野と、どういう関係があるんですか。

MaHa まず、一口で言っておけば、今我々は、そうした地と空の両眼視が必要ということ。
 たとえば昔、1970年代、日本経済が絶頂であったころ、「日本列島改造論」という、当時の首相、田中角栄の唱える構想とそれを適用した政策があった。それは聞けばわかるように、そうした物理的改造が50年前の当時の日本をめぐるリアリティだった。いわばここで言う「地」の視野だ。そして、「戦後」と呼ばれたともあれの平和の中で、「空」の視野はアメリカ任せにして、それがその後の日本の、良きにつけ悪しきにつけ、礎となってきた。
 それから半世紀が流れ、今や、経済の停滞や国力の衰退どころか、外国との交戦を意味する「有事」の事態さえ本気で想定され議論される時代となっている。もはや「戦後」とも呼ばれず、あたかも第三次世界大戦の「戦前」であるかの風雲だ。言うなれば、「地」のみに執着してきた当然ともいうべき成れの果てだ。
 そこでだが、いまこそ、過去の悲惨な歴史を忘れたかのこうした状況の蔓延に対し、それを気付かせ、少なくともその健忘症の進行をスローダウンさせる、まずはその思考レベルからの全人類的改革が必要だろう。
 それこそ、田中角栄にならえば、「人類〈心〉理改造論」。

相棒 揚げ足を取る積りは毛頭ありませんが、それにしても、いきなり人類全体の心理云々なんて、大風呂敷が広がり過ぎです。しかもそれが、私のいう「〈心〉理学」がそのように全人類に適用できるって話の筋のようなのですが。

MaHa もちろんさ。そして端的に言えば、いまや人類は、いや正確には人類のうちの一握りの人たちは、まさにそうした歴史的健忘どころか、もはや気が狂ったとも言うべき愚かな心理に捕らわれているということ。さらに悪いことには、それが狂気であるとさえ判っていない。だからその行方で人類を待ち受けていることは、この地球上に一千万年にわたり脈々と引き継がれてきたこの人類が滅亡の瀬戸際にあるとの事態だ。

相棒 第三次世界大戦勃発の恐れということですか。

MaHa いや、恐れどころか、もうそこへとつながる導火線には、火が点いている。そこへと向かって、シュルシュルと火は動いて行っている。だからこそ、すでに世界各国で、防衛費の大幅な増大や武器生産の拡大が現実に開始されている。それが、この半径が6千キロ少々という、さほど大きくもない地球という惑星の上でだ。そしてそれが何をもたらすかと言えば、むろんその惑星の幸福と繁栄ではなく、まったく逆に、その環境や社会の破壊と、そこに生息する人類同士の殺戮だ。これを狂気と言わないで何と言う。

相棒 でも、一般の地球人たちは、そんな戦争なんて他人事と思ってるし、第一、自分が人殺しをする事態なんて絶対に望んでいない。まして自分の息子や娘たちを、戦場へ駆り出そうなんて考えている親は、一人だっていない。

MaHa だのに、そうして各々の国や社会の上層部では、そうした計画や政策が、現実としてすでに手が付けられ、進められている。もちろん国民や対外向けには、そんな恐ろしい事態は、自分たちから起こすのではなく、相手がそうするから、こちらも対抗せざるをえないとの防衛の論理に立ってだ。だが悪いことに、相手も同じ考えに捕らわれている。つまり、こうして動き出す呪われた悪循環は、いったん動き出したら、それこそ、その結末が世界のすべての消滅をもたらすまでは、止まれないだろう。いまや人類は、核兵器という終末的な武器まで持ってしまっているからだ。

相棒 もし、この宇宙のどこかで、別の人類がいて、この地球上のありさまを観察していたら、愚かこの上もないと見ているに違いない。それが宇宙戦争としての事態なら、地球人全体のそうした防衛心の高まりは理由があるだろう。しかし、いまの実際に生じている事態は、敵は宇宙人でなく、地球人同士。仲間討ちです。どうしてこんなバカなことが。
 しかもそうした事態がですよ、この今の、世界をめぐるツーリズムがこれほどに成長し、これほどに楽しまれている、その時代において起こっていることです。まさに地獄と天国のミックスです。そうした地獄にあっては、誰にとっても、一度でも訪れ過ごしたことのある国をさえ相手に、そして現に親しく接し合ったその人たちを敵にした、その殺し合いを前提とした政策が、本気で取り組まれ始めているのです。こうした各国のトップの現実論と、一般大衆の天国を享楽する日常行動との間のこうした悲劇的な亀裂は、放置できるものでないことどころか、それこそ、起こしてはならない狂気の沙汰です。一体、トップと大衆のどちらが、それともその両方が、狂っているのだろうか。

MaHa ただ、人数でゆけば、戦争を不可避とするトップと、ともあれ平和を望み維持したい一般大衆とは、絶対的な数の違いがあるのは言うまでもないことだ。いま、第三次世界大戦を望むか否かをめぐり、全地球人投票が行われれば、圧倒的な差をもって、否との票が多数となるのは疑いない。だのに、現実は、その逆の方向に進んでいる。しかも、民主主義を国是とする国々の間でもだ。

相棒 だから、この逆回転し始めた時代に、すべきことは明白なのです。いかにそれを再逆転させ、この狂気じみた人間心理を正気に戻すのかということです。

MaHa つまり、そこで登場しなければならないのが、「人類〈心〉理改造論」ってわけだ。そしていかにそのトップを含む地球人の〈心〉理を「改造」するかだ。

相棒 それに、私のいう「〈心〉理学」が役に立つと言うのですね。

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