MaHa さあ、それでは、君の「〈心〉理学」を語ってゆくとしよう。
そこで、まず最初に、この「〈心〉理学」の「学」とは、いわゆる学問ではなくむしろ反語的な命名で、その眼目は、人間、どう生きていったらいいのかという、「プラクティス」ってことだったね。
それって、人生にまさに大事なことで、「学」や権威に踊らされられないための、「画竜点睛」だよ。
相棒 「画竜点睛」って、それを欠いては絵の竜が生きないという、その「画竜点睛」ですか? これはすごい言葉を頂いたことになります。身に余ります。
MaHa まあ、そこまで緊張しなくていい。
相棒 ではその評価を頂戴して、そこで、もしそれがいくらかでも当たっているとするなら、そう言われてひとつ、心当たりがあります。それは、僕が何かの難関に差し掛かった際、いつもそこに立ち帰らされてきた原点です。そして時に、こんなことを言っていいのかと躊躇さえもさせられる、私的すぎて偏屈かなとさえ思わされてきたことです。
ともあれそれは、人間、一人立ちして生きようとする時、まずはその出だしで、自分を売りに出さないと、つまり自分を商品にして自分に値札が付されていないと、それが実現できないということです。
つまりそのようにして、自分が誰かに買われてその所有物となることでしか出発ができない。言い換えれば、そのように、それまでのたとえ青臭いながらもの自分の自分たるものを、ともあれそうして空ろにし、そういう値段をもった一個の商品にならなければならない。さらに言えば、そういう《自己疎外》の前提の上でしか、自分の人生の出発が始まらないということです。
しかもそれがです。この頃となっては、「就活」となど通称されて、なにやら「部活」や「学校生活」の最終課程ほどの「必須活動」と考えられているみたいです。ですがそれって、社会という荒海に船出するやり方としては、ちょっと無防備すぎる風潮と思えます。
MaHa 君の時代ではどうであったのかはともあれ、もはや今風では、そうした見方は年寄りの「偏屈」な思い込みとされかねないね。ヘタすれば「老害」呼ばわりされるかも。ともあれ今日、いわゆる「社会に出る」ことに関し、昔以上に、そういう《自己疎外》が当たり前にまかり通っている。第一、今では《自己疎外》という言葉自体が、もう死語とさえなっている。
そうなのだが、そしてそうであればあるほど、そういう空気というか、社会通念というか、そういう常識って、それほどに誰もが従わねばならない鉄則なのかね。それは確かに、現代の産業社会に入ってゆく上の習わしではあるのだけれど、そんなに根源的で必須なものなのかね。
もともと、人間がこの地球の上で、その自然環境の中で生きてきた、そうした外界の環境に適合してゆく生命の営みにあって、現代のような人為的で工業的環境への適合が唯一無二である、ということではないんじゃないか。
相棒 MaHa、そこまで言ってしまっていいんですかなんです、僕にしてみれば。正直言いますが、僕はいつも、その人為的な壁の前でたじろいできました。なぜなら、それはたとえ人為的であっても、その存在は、実に巨大ですから。完全に多勢に無勢です。
MaHa 私は、MaHaというメタ存在を託されている以上、私の存在意義なりその使命として、それを断言しなければならないと受け止めているよ。つまり、メタかリアルかという違いの線引きは、その「人為的な環境」をどこまで受け入れるかにある。だからこそ、そうしたリアルを越えるための役割というか助っ人を任されているのが私なんだよ。
すでに兆候として、IT界の例をみても、リアルが見限られ、メタの領域に脚光が当てられてきていることがある。現代人って、その「人為的な環境」内で生き過ぎてきているから、その反動としてそうした動きをもたらしている。ただ要注意しなければならないのは、そんなメタだって、せいぜい、今のリアルの閉塞感を逆手に取った、疑似メタに過ぎないのだが。
ともあれ今や、自分が生きている世界の、メタとリアルの間の境界線を引き直すことがまさしく欲求されているんだよ。
相棒 つまりMaHaは、そうした「人為的な環境」ではなく、たとえメタでも、「自然な環境」の中で生きよと言っているのですか。
MaHa 私がどう言おうと「人為的な環境」が現に全世界を牛耳っているのは確かだから、それを無視しても始まらないし、それは自滅行為だ。つまり、単に観念上の無視ではなく、まずはそういう現実世界を見定め、その上で、本来の環境へと立ち帰ることを追求することだ。そしてそれを進めてゆくための「プラクティス」の開発だ。
相棒 じゃあMaHaは、僕の「〈心〉理学」を、その立ち帰るべき「自然な環境」への道だと見ているんですか。
MaHa それが唯一かどうかは“議論の余地あり”だろうが、少なくとも、他には見られない道だと考えているよ。それに、その「自然な環境」がどんなものか、それを人間があらかじめ完璧に説明できるものじゃない。一歩一歩、試行錯誤して固めてゆくものだ。そういう意味で、きみの「〈心〉理学」は、その一歩に値する。
相棒 確かに、よくよく周囲を見渡してみれば、それは誰もが体験しているらしいことなのに、それについて、何か変だと感じても何も口に出せないってことはよくありました。それどころか、だいいちそんなことを言っていたら、その商品化の競争に負けてしまうとの恐怖にかられる。そしてあげくには自分こそが変なんじゃないかと、自分すらを追い込んでしまう。そういう誰もが共有している生きる上での〈のっぴきなさ〉にあって、常識や、学や、権威的な議論はどうであれ、誰もが内にかかえているリアリティーとしての〈暗黙の思い〉があるのは確かです。
MaHa 要するに、その〈暗黙の思い〉が、君の人生でのもっとも根底にある現実認識というわけだね。そしてそれは、君だけの個人的問題ではなく、この世で、商品化が物品ばかりでなく人間にも適用されている限り、だれも避けられない鉄の連鎖になっているということだね。
相棒 もし可能なら、その連鎖を断ち切れる、何らかでもの「プラクティス」を見出したいと希望しているのは確かです。そして、微々たるものなのですが、自分自身を実験台として、それなりの検証は、済ましてきています。
MaHa よしよし、ますます君の「〈心〉理学」が気に入ってきた。