まえおき
兄弟サイトの『両生歩き』の直近号では、先に実行した中央アジア旅行で実体験した「不思議な遭遇」について述べて(居酒屋談35号、独想記32号参照)きました。また来たる7月22日号では、その「不思議」について、その発生の仕組みの解明にこころみます。一方、本サイトでの前回では〈「行動先行遭遇」説〉と題して、何はともあれ先行する実行動が、そうした「遭遇」の前提であると論じました。つまりこれら二つのサイトにわたる議論とは、「旅」という先行行動をめぐって、「不思議な遭遇」の体験というリアル面と「行動先行遭遇説」の提唱というメタ面を、それぞれ分担して述べてきたこととなります。そこに、この〈「行動先行遭遇」説〉を土台にこの22日号の議論を加えることで、その不思議発生の仕組みへの、両面よりの合わせた視界が提示されるにいたりました。そこで、本記事の発表は22日を待たない先走りとはなるのですが、こうしたリアルとメタの関係をあらかじめ提示する意味もふくめて、ここに先行発表するものです。
MaHa 前回の〈「行動先行遭遇」説〉でのハイライトは、人生の壁を突破する秘訣はその先行行動にあるって話だった。そして、その「先行行動」を引き出すのは〈直観〉だという議論。
相棒 そこで、いまやこの時代で、その直観として起こっていることは、実は〈旅心〉にあったとの発見が、来る22日に掲載の記事、『〈旅心〉という「不思議」の源泉』の核心です。
MaHa なるほど、〈旅心〉ね。いま、日本は円安や国家貧困で、旅に出るというより、もっぱら旅人を迎える立場にはなっているが、世界的に旅行がバッパ旅行から豪華クルーズ船にいたるまで、モノに飽食した人々にとっての、一大商品群をなしているのは確かだ。
相棒 そうした旅行熱がどうして起こっているかということなんです。もちろんそれが、お金と時間に余裕が生じた時代の産物であるというのは当然としても、それがこれほど一般化してるのはなぜかなんです。それほどに余裕のない人も含めて。
MaHa リッチなリタイアリーはともあれ、それが多数の生活者にとってもの〈旅心〉を起こさせているのはなぜだろうというわけか。
相棒 まあ、超お金持ちたちは、旅どころか、火星への移住なんて話もぶち上げている。でも問題はそんな見せびらかしの旅ではなく、たとえば、ことにいまの若い人たちの間にある、漠然としながらも巨大な閉塞感で、これからの自分の人生をどう生きて行こうかと悩む時、その〈旅心〉が立ち上がってきているということです。
MaHa 誰にだって、人生は容易じゃない。
相棒 まあ、そう達観ぶらないでくださいよMaHa。いまや、あのアメリカでさえ、まるで自分自身まで、「ならず者国家」になった体じゃないですか。片や関税、他方は武器で、世界をまさに脅迫している。そんな、すべてがジョークのごとき、何も信用のおけないこの世界で、日本人として、もうあんまり頼もしくない日本を背負って、どう生きようかって話です。もちろん、日本だけに限った話じゃないですが。
MaHa それが、『両生歩き』で言ってきている〈雲状〉の世界なんだ。そこで話を先取りすれば、そこで出てくるのが、君の言う「〈心〉理学」なのかな。それこそ、この部のタイトルが、『「〈心〉理学」へのアプローチ』とされているように。
相棒 ただ、現在のそんな混迷した現実世界のことを〈雲状〉と言っているのではないんです。もっとこの世の構造自体のところのことです。それこそ、「雲をつかむような」そういう〈雲状〉のその構造に、何を道具や武器にして、立ち向かってゆけばよいのか。少なくとも、これまでの学たるものは、肝心なところを排除してきた。そこで取り上げたいのが、その〈雲状〉の世界でこそ噛み合いそして働く、「〈心〉理」という領域なんです。
MaHa そういうことね。そしてどうやら、その「〈心〉理」の領域を語る、お膳立てがそろったようだ。そういう道具や武器になるのがいまや「旅心」で、だからそれは「必須予感」であるというわけだ。
相棒 いよいよ、「アプローチ」を卒業して、その本格議論に門出する時が来たってことのようです。