相棒 ともあれまず先に名前をつけたんですが、それは「行動先行遭遇」って言うんです。
MaHa なんだねそれは?
相棒 先に日本での残雪山行や、今度の中央アジア旅行でもそうだったんですが、ある直観的な決断のもとになんらかの行動をとると、その結果に、予想もしなかった思わぬ偶然的な遭遇がもたらされるということです。そしてその遭遇がすばらしいんです。そこでそれを「行動先行遭遇」と名付けたんです。
MaHa その「行動先行遭遇」ってのが、いわば定型現象としてありうるというのかね。
相棒 まだ、繰り返し可能な定型現象なのかどうかは分からないのですが、少なくとも私の体験の限りでは、どうもそういうことが言えそうなのです。
MaHa ふんふん、それで?
相棒 それはある意味で、「直観」とはどういうものかを示唆しているのですが、一連の感度を働かせた結果にもたらされた直観には、どうやら、何らかの関連現象の一端をこじ開ける、そんな〈突破効果〉が内包されているのじゃないかと思うんです。
MaHa いうなれば、「芋づる」式に掘り出せるそのつるの片端ということかな?
相棒 そういう一本のつる状のものというより、モワーっとした雲状のものの存在を感じる気配感覚です。
MaHa なるほど。だから、その気配感覚を手掛かりにして行動を起こせば、その雲状のものの中に入ってゆけるということかな。
相棒 そうです。だから、一本の線状のものを追いかけてゆく場合のことではなく、輪郭もはっきりしていない雲状のものを対象にした場合の方法です。
MaHa それって、線状の論理では解けない、その〈雲状の世界〉への開拓方法ということでもあるね。
相棒 そうとも言えるとは思います。そして、数学の世界でも、そうした非線形の数学の開拓は進んでいると思いますが、僕はその方面は門外漢です。
MaHa ともあれ、その〈雲状の世界〉って、何やら、量子物理学でいう量子の在り方の形容に似ているね。例の、確率でしか捉えられないとか、「観測によって収縮」するとかといったあれ。
相棒 そのへんは量子論の専門家に任せますが、生活者としての見解として、たとえばその「観測によって収縮」ということは、「先行する行動とその結果による遭遇」に相似しているように思えますね。
MaHa 確かに、量子論の議論の中で、その先端を切り拓くアイデアってのは、まさに独創的な直観的ひらめきによっているね。だからその先駆者は、なかなか理解されない。
相棒 量子論との符合はゆくゆくの問題として、ともあれ、僕の生活者レベルの説として、我々を悩ます待ったなしでのっぴきならない、それこそ〈雲状の世界〉って、身の回りに無数にあるわけで、そこで格闘する方法として、この「行動先行遭遇」の方法って、まさしく有効ではないかと思うんですよ。
MaHa つまり、直観を手掛かりに、ともあれ行動してその結果にでてくるものを大切に感受せよっていうことかな。
相棒 聞きようによっては、無謀な冒険のすすめとも受け止められそうです。でも、無難な見通しがでるまで待っていてはことは始まらないというのが、他方の私たちの毎日の常態です。だから、そうした現実においては、自分の感覚を磨き、それのもたらす直観に身を任すというのは、妥当なことなんじゃないでしょうか。
MaHa 妥当どころか、それが突破口すらを開く。
相棒 少なくとも、その潜在性はあります。
MaHa 要は、その偶然にもみえる予期せぬ可能性を切り拓くための切り札だってことだ。