身辺にある空海
ここに空海を、しかも、量子理論と並べて採り上げることに、なにがしかのためらいを伴いながらであることは否定できません。しかし、以下に述べるように、私は身近で、この日本史上の傑出した人物についてのまさに今日的エピソードを二つ体験し、これはただの偶然ではないと受け止めるところもあって、本章を立ち上げるものです。
その二つのエピソードの最初は、私が親しくするオージーの友人が日本を訪れた際、彼は大阪、堺にすむ友人に連れられて、高野山を参拝する体験をしました。それ以来、彼はぞっこんその開祖、空海に傾倒し、ことあるごとに「KUKAI, KUKAI」と口にするようになりました。
それがどこまで、この真言宗の開祖を知っての上のことかは大いに疑問なのですが、それはともあれ、その初めての参拝のさい、案内したその友人の母親が高野山を深く信奉しているという、そんな親身な話題を含めて案内されることで、親思いな彼は、共有できるある種のスピリチュアルな体験を持ちえたようでした。
加えて私なぞの目には、彼のそうしたご傾注には、近年の高野山が、低迷する日本人信者の在りように危機感を抱き、外国語による案内サービスを展開するなどといったいわゆるインバウンド・プロモーションを手掛け、それにひとまず成功している外人誘致効果も寄与しているのではないかなどと、やや皮肉って見えたりもしています。
そこでですが、そうした空海に関する今の私の考えのひとつの証しが、本サイトHPにある「スライド写真」の一枚です。すなわち、写真5番目の曼荼羅〔まんだら〕がそれで、これは空海が9世紀初め、留学先の唐よりその原本を持ち帰ったとする、両界曼荼羅の一つ、金剛界曼荼羅(他は胎蔵曼荼羅)です。これらは、密教の思想を顕現するその中心の仏である大日如来の説く真理や悟りの境地を二次元的に表現したものです。さらに空海は、そうした両界曼荼羅の世界を三次元的に構想し、それがこの世に表わされたものが、現在も京都,東寺に現存(21体のうち15体が当時からのもの)しています。それが「立体曼荼羅」と称される仏像群です(下写真)。
その国宝の仏像たちの、そのどれひとつをとり上げてもみごとな芸術品で、そこを訪れさえすれば、誰にでも、自分とそれらの間の数メートルの空気以外、何によっても隔てられることなく、じかに、その実物を目の当たりにすることができます。
数年前、日本に帰った際、私も一人この東寺を訪れ(京都駅より徒歩の距離)、講堂と呼ばれる建物に、なんともあっけなく収められている感の、この立体曼荼羅を鑑賞しました。薄暗い堂内には私以外の訪問者は誰もおらず、静まり返ったたたずまいの中で、その千二百余年の時間を無事くぐってきた仏像たちと対面することができました。災害の頻発する日本で、これほどの仏像群がそこに、建立当時のそのままに存在すること自体、まるで奇跡のごとくです。
そこで思い出されるのですが、私がまだ幼児の頃、近く(名古屋覚王山)に「弘法さま」と呼ばれる参拝者の絶えないお寺があって、両親に連れられて幾度もお参りにいった記憶があります。
また、私の大学時代の同級生のひとりは、長年勤め上げた会社を退職した後、四国八十八か所のお遍路の旅を果たしてきたと満足げに話してくれました。そうした巡礼の旅も、若い空海が修行を積んだゆかりの地をたずねる、長く日本人に定着してきた、おそらくそれをことさら信仰とさえも意識させないほどにも親しまれている――これこそ信仰の本来の姿と思われる――、時代も身上も超えた、心同士のつながりを確かめる旅なのではないかと思います。
私は、ここオーストラリアより、この年齢にいたってようやくながらに、日本社会に深く根付いたそうした文化行為の貴重さに思いをはせさせられています。そしてそれはどういうことなんだろうと。
千二百年の隔たり
さて、そうした空海の教えを、私は、上記のように、量子理論と結びつけようとしています。
弘法大師と量子理論。おそらく、通常で並みの身上なら、こうした二者を、ふたつ並べて置くことすら思いもつかないことかも知れません。しかし、日本社会の片やで理工系の教育を受けてその道に進み、他方では上記のような「弘法さん」との近しさを体験して今に至った私のような人間にとって、こうした二者は、スフィンクスの謎かけのように、その二つの異世界の私の内においての共存を問うてきています。
それは果たして、千二百年もの昔に、今日の最先端科学の知見がすでに見つけ出されていたということなのでしょうか。それとも、今日の科学が、時間を超える原理を発見しつつあるということなのでしょうか。そしてそう問われる謎の共存が、誰からもそうと告げられることなく、密かに私の身辺に存在していたということなのでしょうか。
いずれにせよ、このスフィンクス風の問いは、時間というものの捉え方を、これまで信じられてきたような尺度で捉えることを、いかにも短見であったのではないかと指摘しているかのようです。
「想像力と因果律の対立」の宥和
すでに量子理論のあらましについては、本考察でおおむねを述べてきました。そこで他方のこうした空海にまつわる問いについて、先にも採り上げた松岡正剛著『空海の夢』〔9月15日一部加筆〕は、それを多彩な面から、縦横な深度をもって解き明かしています。
ただ、私は幾度もそのページを繰ってきてはいますが、いまだにその全体を読みこなせてはいません。そうした浅薄な理解の限りなのですが、同書の議論のひとつを借りて、そして私流の牽強付会手法をもって、この千二百年の隔たりに、何とかの私の解釈の橋をかけて見たいと思います。
そこで、私にとってもっとも扱い可能なその架橋のための着眼は、同書もほとんど結末に近い、「想像力と因果律」という章の議論です。
そして、その議論の骨格を拾うため、以下のような引用を取り上げます。
想像力と因果律の対立は、現代におけるあらゆる現場を襲っている。人々が奔放な「おもい」や自由な「ねがい」を実行に移そうとすると、その多くが社会史の築いてきた力の関係によって阻まれることは誰もがよく知るところである。そこで人々はしかたなく因果律の範囲内で、因果律の形にあわせた想像力でがまんすることになる。あとは実行をまったくともなわない想像力が文化をうめつくす。
かならずしも社会史や文化史に責任があるわけではない。その証拠にはもっと残酷なことは人々の頭の中でおこっている。あれこれの「おもい」をめぐらしているその頭の中で、実行に移せない想像力があまりに何度も同じ空想的行為をくりかえしているうちに、それはもはや想像力とはよべない悪夢と化していることがあるからだ。個人的な想像力と社会的な因果律の対立も深刻であるが、一人の心境に出入りをくりかえす出口のない想像力は始末に困るほどである。それはたいてい妄想になる。
他方、想像力を失った因果律の動向は、もっと深刻である。そこでは技術化された社会のルールばかりが進行する。時計に従い、世論調査に従い、パソコンの出力結果に従うことに反省すら生まれない。そこでは「自己」は「反映」にすぎないものになる。これは「自己イメージの対立」という生物界では人間のみがもっている怖るべき矛盾というべきである。一部の人々はその度重なる内圧の加重に堪えられなくなってさえきているほどだ。
(pp. 366-7)
つまり、ここでいう想像力と因果律の対立とは、私における、空海と量子理論の対立と、そしてその橋渡しの試みということと見ます。
そうして著者はこう結論を下しています。
私は本書において、(中略)、空海の思想と生涯を右往左往しながら追ってきた。そこに見えてきたことは、一口に、そこでは「想像力と因果律の宥和」こそが懸命に追求されていたということだった。空海は人間本来の想像力が仏教本来の因果律を宥和しうることを確認しきったのである。これは想像力と因果律がさかしらに対立する現代の日々に身をおく者にとってはたいへんに衝撃的である。
現代人のわれわれはいま、古代ヒンドゥイズムやブディズムの者から、また神仙と陰陽のタオイズムやそれらの密教化の過程にたずさわる者から、あらためて何を学ぶべきかを検討しなければならなくなっている。(中略)
宗教とは、ある意味では想像力と因果律を共有することである。
その共有は如来や菩薩とともにおこることであり、また、四国の巡礼にみられるような人々の間でおこる共有でもある。それが生きてある者と死んである者との間における共有にまで進んだときに、宗教ははじめて「生命の海」をもつことになる。空海は、そのことを「即身」というふうにみた。
(pp. 367-8)
すでに述べてきているように、いまや量子理論は、宗教という、これまで科学が立ち入ることを執拗に避けてきた領域に触れる発達をとげ始めています。つまり、上記の引用をこの量子理論のたどる発達に当てはめれば、量子理論はまさしく、「想像力と因果律を共有」する領域に達しはじめています。
そういう理由で、私はここに、空海と量子理論の間には、架橋関係が生じているのは確かなことであると見るに至っているわけです。
難しくて酔っぱらいの小生には理解困難でした。
それはともかくこの年でまたヒマラヤに行くとはリスキーだね。
無事に帰還されることを祈っています。
帰国されたら一杯やりましょう。