私たちは、健康を「病気でないこと」とか「無くして覚る有り難さ」とかと、とかく二重否定の受け身的視点で捉えがちです。ですが、それは健康との取り組みのほんの序の口に過ぎないと、繰り返し述べてきました。
さらに、本「理論人間生命学」においては、その健康を生命現象の一環として捉えることで、生命の在り方と結びつけて捉えようとするものです。
そうした見地から、既述の二節では、生命の在り方を、①「自分を実験台」にする体験、②科学理論の取り入れ、という二面のアプローチより、私たちが採用可能な実践的方法として提起してきました。
そうした土台に立つ時、「健康」とは、何よりも優先されるべき私たちの実に現実的な《価値》であることが浮かび上がってきます。
命を換金しない身構え
そうした現実的《価値》に関し、まず、結論の前段から述べますと、「命を換金する罠にはまるな」という身構えです。
私自身という「実験標本」の75年間にわたってきた観察によると、健康維持を病気予防の観点で取り組むというのは受け身的対応で、能動的な対応は健全な生命活動の持続、開発にあるということです。それを素朴に表現すれば、「健康でいて、生きることの素晴らしさを満喫しよう」と言うことです。将来のための犠牲になるな、ということです。
たとえばその犠牲例の典型は、「保険があれば安心」といった宣伝コピーです。これは、人々の病気の不安を商機とし、その不安の除去が、あたかもお金で買えるかのように勧める、あやしげなビジネスです。
お金は、むろんあるに越したことはなく、様々な商品が買える便法ですが、それさえあればすべてに、ことに命に代わりうるというのは大錯覚です。たとえば、高収入高ストレス職やひいては過労死、過労自殺などを見れば、お金が健康や命という、換えてはならないものと交換されている悲惨な事例であることが解ります。
つまり、今の安心はおろか、将来の充実や楽しさを考慮すれば、それは健康あっての産物であるという、しごく当然なことを見落としてはなりません。
ここに「命を換金する罠にはまるな」との身構えを前段とし、その成果は「健康という恵み」の享受であり、さらにその究極は、「私たちの自己充足の源が、生命を生かし創生することにある」との結論です。
生命活動は、セックスがそうであるように、まさしく生命を創出するというプロセスです。
それはたとえ生産期を終え「おひとり様」になった後でも、生命活動のもたらす爽快感や充実感は、自己犠牲や換金結果によって得られるものなぞでは毛頭なく、その活動を、受け身ではなく能動的に進めるところに生じてくる産物です。
今日、健康志向からスポーツ志向へと人々の関心が進んでいるのも、健康維持の段階から、自己充足の開発の段階へと移っていることの浸透を示唆しています。
そのようにして高まった健康の持ち主なら、さらに命を生かすために、自己の創出に励まないはずはありません。そういう創生的な人々が共生する地球こそ、まさに「ユートピア地球」です。
命の換金の現場
逆に、命がお金に換えられている現場とは、毎日の仕事が行われている職場です。
もちろん、職場については幅広いスペクトラムがあり、そのプラス側の端には、真に自分の創造性を発揮できる生産的な職場があります。
しかしそのスペクトラムのマイナス側の端には、それこそ「ブラック」な労働があります。あるいは、そこまではゆかないいくらか割高の収入であるとしても、残業につぐ残業で、とことん搾り取りが行われている職場もあります。
つまり、命を換金する問題とは、まさに労働問題であり、日々の労働条件の問題です。その労働条件が悪ければ悪いほど、健康はおろか命でさえますますすり減らされます。「過労死」はその典型ですし、それまでに至らずとも、心身の疲労がどんどん蓄積されてゆく徹底した搾取労働が横行しています。
もちろん、体にはきつくともそれを我慢することで、いくらかの蓄えができるのも事実でしょう。そして、長い勤労期間を終えて定年に達した時、なにがしかの貯蓄とともに、ある程度の年金が得られるようになっているはいるでしょう。
しかし、そうした長年の労働の成果をようやく手にできるようになった時、もう、肝心の体がもう使い物にならなくなっていたというのもよくある話です。
「生活習慣病」と言われる病気についても、喫煙や飲酒、栄養の片寄り、それに運動不足による肥満などなど、そのどれも確かに生活の中で個人の選択により発生していることではあります。しかしそれを社会集団として見れば、誰もの生活にそのように共通している、あるいは、誰もがそういう片寄った生活しか選択できない状況という、個人の責に帰せない共通の要因が関わっていることも確かです。そうした誰にでも共通の要因の筆頭が、労働条件、ことに、貧しい労働条件です。
そうした貧しい労働条件をどうすれば向上させれるのか。そうした社会的、経済的、そして政治的な問題について、その詳細に踏み込むのは本論の目的ではありません。しかし、それ抜きにしては、「命を換金する罠にはまるな」と言っても、それは絵に描いた餅です。空論です。具体的な労働条件改善のための取り組みの重要さは、強調してし過ぎることはありません。(この分野は、私の若い時期の主テーマでした。その取り組みについては、別掲記事参照。)
「ポスト生産年齢期」 という諸体験
本論が目的とするのは、雇用に伴う問題の重要さは指摘しつつも、時間軸上で必ず体験する、そうした「生産への関わり」の変化であり、さらには、現役人生の後に間違いなくやってくる、「ポスト生産年齢期」に関わる問題です。
ちなみに、日本のお役所用語では、この 「生産人口」 以外の人口を、未成年世代を含め、「従属人口」あるいは「被扶養人口」と呼んでいます。むろん、生産の有無を尺度にした、その意味で「無用」の人口をさす用語です。
しかし、時間軸を横に切った断面をみれば、そこにはあらゆる年齢の人たちの生きる姿があります。そういう横断面においては、そうした「生産人口」から引退した「無用者」であっても、その長い生産従事者としての体験からの人生の知恵を、周りの若い生産人口へ伝達することはあるはずです。そういう意味では、「老若シェアー」ができる領域があるはずです。
さらに、この「ポスト生産年齢期」が、もはや生産期に等しいほどの長さとなる時、これは人類が初めて遭遇する体験でもあり、それのもたらす問題や意味については、まったく手付かずの問題と言っていいほどです。
そこで本論が、時間軸の縦横に目を配って、特に主眼を置くのは、そこに明瞭な経済格差が発生しているにとどまらず、「命を換金した」結果、深刻な健康格差も伴っていることです。
今や世界でそうした諸格差が広がっていることは、もう衆知の事実どころか、格差社会のもたらす危険からの自己防御すら配慮せねばならない時代となっています。そうした現状は、言葉上では「格差社会」の四文字ですが、その実態は、片やで、高級住宅が居住だけではなく投資目的も含めて飛ぶように売れる一方で、生活に追い詰められた若者が、絶望の果てに生きる意味もなくし、死刑になりたいからと無差別殺人を試みるという、聞くも耐えない実例さえ発生しているという、物にはじまり心のありようまでが搾り取られる格差を生み出しています。
一方でそうした重複格差をはらみながら、その他方では、「人生100年」と言われるほどに長命化していっている社会があります。
私をふくめ、その中の高齢側の個人にとっては、残された数十年を「従属」でも「被扶養」でもなく、自立して過ごそうと望む時、以上のように社会的に拡散した健康資源が問題となるはずです。
そして、健康問題を命の問題の一環として捉えればとらえるほど、それは老若時期を分けて考えてよい問題ではなく、時間縦断的にも、横断的にも、連続かつ不離一体のものとして考えなければならない必要が浮かび上がってきます。
以上、このイントロダクションでは、理論と現実の双方にわたる問題点を取り上げてきました。そして理論と現実とは、前述のように「架橋」され、それぞれ互いに結びついた意義をもっています。よって、以上のような各々の分析に立って、それぞれ別の面の課題を照らし合わせ、相互に結合させ、別々では決して達成できない、総合的な成果を目指すべきものです。
松崎元さん、お世話になっています。石川
久しぶりにHPを拝見し、最新日付の記事も拝見しお元気かと安堵しています。
約30年前NZハイク旅行の後、約20?年前にこのHP記事に出会いました。
NZ移住も夢見たけど、OZも特に2州が注射パスポート必須とかで、
もう海外には行けそうも無く残念です。田舎の従兄弟らは、安全性が怪しいのでやめて、
と言っても、インフルも含め3回打ち、3年持つか不安です。
打ったならば、イベルメクチンを勧めていますが、地元市の県会議員が広報し、
週刊文春の記事を説いても、コロナ脳になったようで、同じ地域の不動産屋が
竹馬の友の医師から、同薬を入手も言ってもダメでした。
寺島メソッド翻訳NEWSは知っていたが、系列の「百々峰だより」に
朝日新聞との対比の記事に気付き、別の気づいた人には勧めました。
6月頃にIndiaMARTから輸入し、少量服用し効くかの確証は不十分ですが
毒では無いのは、確かと思う。松崎さんがお気づきで入手済でしたら、不要な情報ですが
もしも、迷っておられるのなら、添付URLから、一度は読まれて、ご検討を希望します。
なお、Facebookは、情報漏れ追加を恐れ・開店休業、1949年5月丑年です。政博
寺島メソッド翻訳NEWShttp://tacktaka.blog.fc2.com/
百々峰だより http://tmmethod.blog.fc2.com/
♪高校生のブログ♪柏発信 https://blog.goo.ne.jp/j4goocast
あと、上記の田代照男さんの歴史観と動画・他Blog紹介もあり、友人に勧めています。
テキサス州に調査に行きたいが、LA他からの移住も増加傾向で、もう高値でだめだろう…