追記章 「漱石論」との遭遇を受けて(その1)

本章までの経緯

この章は、今年(2024年)1月、本「生命情報」のカテゴリーを、ひとまず完結した後、同年6月になって、兄弟サイト『両生歩き』の〈半分外人-日本人〉(その8)に述べた「漱石論」との遭遇にいたったことから、外国体験を共通項にして、私の構想と、120余年前の夏目漱石の英国体験との間に、つながり合うものがあることの発見によるものです。

この発見のきっかけは、その連載〈半分外人-日本人〉(その7)「二股体験がとりもって」に述べたように、連載のテーマである私の外国体験にまつわって、夏目漱石の英国留学体験――日本の近代化の途上での体験と位置付けられる――を思い出したことに始まります。そして、その漱石の英国留学の体験自体については、もはや日本の国文学上での有名なテーマともなっていて、そのいわゆる「漱石論」について、改めて調べてみようと思い付いた次第です。

そこで検索して発見したのが、「夏目漱石研究――初期『文学』概念の可能性――」(神田祥子著 東京大学博士学位論文)という研究論文でした。そしてその梗概中に、以下のような表現を見出しました。

漱石は二十世紀を、近代的な科学的合理主義が様々な局面で強い影響力を発揮する時代と捉えている。そしてこの科学的合理性から逸脱するがゆえに等閑視され、やがて排除抹殺されていく非合理的要素に、漱石はまず「文学」の対象となるに足る〈情緒〉を見出した。

この科学についての漱石の視点は、私が「非科学-科学」と呼んで、科学の外縁部にある捨象されてきた部分を注視する視点と、重なり合うものがあります。ただ私の場合、科学の側からその非合理的要素を捉えたものですが、それを漱石は科学の外より「文学」と呼んで体系付け、それを後に「文学論」として講義したわけです。ここに、視る立ち位置や視線方向あるいは呼ぶ名称こそ異なれ、私の視点と漱石の視点には、まさに重なり合うものがあります。

また同梗概中には、従来の分析や考察には、「包括的な概念としての『文学』自体」を論じるものはあまり多いとは言えないとの表現があり、私が「非科学-科学」な分野を、やはり「包括的」に捉えようとしていることとの重なり合いが推量されます。

さらに、漱石が、「『文学』以外の多くの領域――特に科学や歴史学、美術――と対比させ、その相違点や共通点、互換性を探る道程の中で選び取られていったものである」と表現するその「文学」概念は、これもやはり、私の「非科学-科学」な分野へのアプローチに重なり合います。

そこで、こうした論点をより詳しく点検しようと、この博士論文を下地にまとめられた著作『漱石「文学」の黎明』神田祥子著(青簡舎 2015年)をひも解こうと、日本より取り寄せることとなった次第です。

今後、届いた同書を読みつつ、詳細な比較や発見を述べてゆく積りですが、本日の『両生歩き』上での記事の公開に対応して、今の段階では、以上のみを述べることに留めます。

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