3.2.1 究極の合流
続きを読む読者へのコメント
この2カ月ほどの間、この理論人間生命学とその関連考察の記述が、一見、曲折した経路をたどっています。そこで読者の混迷を避けるため、ここで状況説明を入れておきたいと思います。
まずその記述の最後のものは、3月7日付の「3.1 理論と経験の結合」です。その後、本論からそれる形で、3月8日付で「『四分の三プロジェクト』への〈下ごしらえメモ〉」、そして3月28日付で「
続きを読む読者へのコメント
この2カ月ほどの間、この理論人間生命学とその関連考察の記述が、一見、曲折した経路をたどっています。そこで読者の混迷を避けるため、ここで状況説明を入れておきたいと思います。
まずその記述の最後のものは、3月7日付の「3.1 理論と経験の結合」です。その後、本論からそれる形で、3月8日付で「『四分の三プロジェクト』への〈下ごしらえメモ〉」、そして3月28日付で「
この「理論人間生命学」は、その名の通り、理論的な枠組みとアプローチをその開発の方法としてきましたが、他方、兄弟サイトの『両生歩き』において、それを経験的に、ことに「健康」――すなわち健やかな「生命」――というアプローチをへて、ひとつの達成を見ています。
むろんこれは、私的体験に基づいた視点ではありますが、理論という抽象性をその対極から補う具体性において、まぎれもない事実を提供しているものです。 続きを読む
私は、もしそれが何かと問われれば「無宗教」と答える、宗教について一線を引く部類の人間です。
浅い教養程度では、聖書や仏典の片りんくらいはかじった経験はありますが、教会やお寺に意図して通ったこともなく、日常生活で接する時折の布教への誘いも、無碍に断り続けてきています。また、家族関係において“葬式仏教徒”程度には伝統的しきたりには従ってきています。 続きを読む
ところで、「理論人間生命学」がになうの最大の課題は、いわゆる「科学と非科学」の境界をどう突破し、すでに述べてきた「二重性」の融合がどのように達成されるのかの探究にあります。この問題は、ある意味では、人間の文明がかかえてきた懸案と言ってもよい課題です。
その「 理論人間生命学 」と、本章で取り上げてきている思想体系のひとつとしての「 〈いのち〉の 続きを読む
私は、これは誰にもある認識だと考えるのですが、生きる世界とは二重構造になっているとの受け止め方をします。それは、言い古された表現では、「本音と建て前」とか「理想と現実」とか「この世を忍ぶ仮の姿と真の姿」、あるいは、見方を広げれば、「陰と陽」、「プラスとマイナス」、ひいては「雄と雌」などなどが挙げられ、そうした構造を代言しています。 続きを読む
11月28日付の日経電子版の「Global Economics Trends」によると、〈今年のノーベル賞に決まった「自然実験」は、「政策の効果検証に革命」〉とあって、「自然実験」という見慣れない用語を紹介しています。
そこで、この記事を要約してみるとこうなります。
続きを読むこれまでの理論中心の経済学では、制度改革などについて理論が想定する影響を、統計データなどを使って検証しようとしても、改革の前後のデータを単純に比べるだけでは、効果を正確に測定するのは難しかった。例えば、最低賃金の改定や移民問題、教育の効果など社会全体への影響を分析するような場合には、研究者が条件を変えるといった介入ができないため、実験には適さないと考えられていた。
前節(「三重邂逅」を体験して)では、自分が制作した情報により、後年、自分が自分に遭遇するという、あたかもタイムスリップしたかの体験を述べ、それが単に個的な偶然事には留まらないとの見解を表しました。そこで、この見解を検証するため、ここに、ある想定をしてそれに臨みます。
その想定とは、私が一人の生物学研究者であるというものです。
ただ、この生物学研究者は典型的ではなく、その研究対象を広く生物各種に置くのではなく、人間という特殊な生物種に絞るとするものです。 続きを読む
© 2024 フィラース