《越境》の日常化

かくして、私にとっての《越境》は、以上に述べたように思念的かつ実例的リアリティーを持ってきています。ゆえにそれは、もはや《越境》として、あえて非日常現象として特別扱いする対象ではなくなってきており、むしろそういう日常が始まっていると言えます。ただし、この「日常化」には、注記しておくことがあります。それはおおよそ、その「日常化」との言葉にはそぐわない、日常をあえて差異化するように、極めて非ルーティン的な取り組みで支えられるものです。 続きを読む